トレジャーハンターが見つけた宝

南條 綾

トレジャーハンターが見つけた宝

 古い遺跡の奥に眠る財宝や、忘れ去られた神殿に残る秘宝。王家の墓に隠された呪具を探し、命を懸けてそれらを手に入れるのが私の仕事だった。あの日までは。

雪乃さんの髪にそっと指を通しながら、私はあの冬の始まりを思い出していた。


 あの日、私は山のふもとにある小さな温泉宿に辿り着いた。

看板に書かれているのは「月読の宿」だけ。雪に晒された文字が少しはげている。

外観は古びてるのに、灯りだけはやけにあたたかい。

雪がちらつく夜にそれを見るだけで、肩の力が抜けた気がした。

昔話とかおとぎ話みたいだって、一瞬思ってしまって。そんな自分がちょっと恥ずかしかった。


 扉を開けた瞬間、甘い湯の匂いがふわっと流れてきた。

その向こうに立っていたのは、黒髪をゆるく束ねた若い女将だった。


「いらっしゃいませ。お一人様ですか?」


 私より少し年上。二十七、八くらい。

喪服みたいな黒い着物に、白い帯。

その黒が、彼女の肌の白さを余計に浮かび上がらせて、息が止まるくらい、見惚れるほど綺麗だった。


「……はい、一人です」声が少し上ずって、自分でびっくりした。


「それではこちらへ。雪でお疲れでしょう。すぐにお風呂を沸かしますね」

彼女は小さく微笑んで、当たり前みたいに私を迎え入れてくれた。


 名前を聞くと、雪乃ゆきのです、と返ってきた。

あとで聞いた。雪乃さんは三年前、山の事故で旦那さんを亡くして。

それからずっと一人で、この宿を切り盛りしてるらしい。


 湯に浸かったら、体の芯がほどけていった。

ぼんやり考える。こんな山奥で、一人で宿を続けるなんて。どれだけ寂しいんだろう。

私ならたぶん、手放して、便利な都会へ逃げる。そう思ってしまった。


 今日の客が私だけだからか、雪乃さんは部屋までお茶を運んできてくれた。


「綾さんでしたね。珍しいお名前ですね」 雪乃さんが湯呑みを置きながら、そう聞いてきた。


 珍しいかな?綾って名前自体はわりと見る。

けど、“あや”でも文とか彩のほうが多い気はする。


「ええ。親がちょっと変わってて……」照れくさくて、つい笑ってしまう。


「『綾』って、織物の綾模様があるでしょう?父が言うには、『人生も織物みたいに、いろんな糸が絡まって、ときどき乱れても、最後には綺麗な一枚の布になる。だからその“綾”のように生きなさい』って。……まあ、ただの親バカの名言なんですけどね」


「素敵なお名前ですね」


 雪乃さんがくすりと笑って、優しく言ってくれた。

その笑顔だけで、胸の奥がふっとあたたかくなる。

こういう雑談、いつぶりだろ。普段は情報と駆け引きばっかりで、こんなふうに笑うこと、あんまりない。


 夕食は囲炉裏の前で、二人きりだった。

山菜の天ぷら。川魚の塩焼き。漬物。地酒。

雪乃さんが自分で仕込んでるっていう梅酒。


「旦那が好きだったんです。この梅酒」


 少し遠い目。なのに、声は穏やかだった。


「……寂しくないんですか。こんな山奥で、一人で」


 無自覚で聞いてしまった。言ってからしまったと思った。

雪乃さんは少し驚いた顔をして、それから静かに笑った。


「寂しいですよ。毎日、寂しいです。でも、この宿を閉めたら、旦那との思い出までなくなっちゃう気がして。それに、たまに綾さんみたいな旅人が来てくれる笑顔が、私の支えなんです」


 その言葉が、胸の奥に刺さった。

私はトレジャーハンターだ。

人の心の隙間を見るのは得意なほうだと思う。

でも、雪乃さんの瞳にあるのは、隙間なんて軽いものじゃなかった。深い。底が見えない。


 その夜、眠れなかった。

布団の中で、雪乃さんの横顔ばかり浮かぶ。

白い喉元。細い指。ふと見せる、儚い笑顔。


 ダメだ。これ、たぶん恋だ。

トレジャーハンターがやっちゃいけないやつ。

色恋はトラブルの種になるし、足が止まる。身動きができなくなる。


 寂しさや情欲があるときは、一夜の恋で済ませるほうが楽だ。欲もそこで満たせる。

なのに今回は、それができない感じがした。

早くこの宿を出ないと沼る。そう予想してた。


 翌朝、雪は止んでいた。

出発の日だから、荷物をまとめて玄関に立った。


「この度はありがとうございました。また、いつでも。忘れ物はないですか?」そこで雪乃さんが、少しだけ言いよどむ。


丁寧な言葉なのに、声だけ少し寂しそうで、それが妙に刺さってしまった。


「……もう一日、泊まってもいいですか?」衝動的に、そんなことを言ってしまった。


 そこから、滞在は伸びていった。三日、五日、一週間。

暇つぶしのつもりで、雪乃さんの手伝いをした。

薪を割って、雪をかいて、風呂の湯加減を見て。


 夜は囲炉裏の前で、また二人きり。

私が遺跡で見た、不思議な話。

雪乃さんが旦那さんと過ごした、静かな日々の話。


 私が遺跡で見た不思議な話。雪乃さんが旦那さんと過ごした日々の話。

夜はそれを、囲炉裏の火にあぶられながら、ゆっくり交換してた。


「綾さんは、強くて、かっこいいですね」


「好きでやってることだから。そんなこと言われたの、初めてだよ」


 ある夜、酔った勢いで雪乃さんが言った。


「私、女の人にこんな気持ちになるなんて、初めてで……」


 息を呑んだ。

火の光で、雪乃さんの頬が赤く染まってる。

私は、そっと彼女の手を握った。


「私もだよ。雪乃さんに、こんなに惹かれるなんて、思わなかった」


 その夜、私たちは初めてキスをした。

囲炉裏の火がぱちぱち音を立てる中で、震える唇を重ねた。

雪乃さんの唇は冷たくて、でもすぐに熱くなった。


「……怖いんです」キスを解いて、雪乃さんが震える声で言った。


「また誰かを好きになって、失うのが」

私は、彼女を強く抱きしめた。


「私は、トレジャーハンターだから。大事なものは、絶対に手放さない。ほしいものは地の果てまで探して、自分の手に入れるよ」

それを聞いた雪乃さんは、私の胸で小さく泣いていた。


 温かい涙が、着物を濡らしていく。

抱きしめた腕の中で、雪乃さんの呼吸が少しずつ落ち着いていった。

そのまま離したくなくて、離せなくて。

それから、私たちは恋人になった。


 朝は一緒に起きて、雪かきをして、夜は同じ布団で眠る。

雪乃さんは恥ずかしそうに私の胸に顔を埋めて、

「綾さんの匂い、好き……」

そう囁いてくる。

そのたび、心臓が変な音を立てた。


 ある夜、雪がものすごく降った日。

停電になって、宿中が真っ暗になった。

私たちはロウソク一本だけで、布団に潜り込んだ。



「寒いですね……」雪乃さんが小さく震えた。

私は彼女を抱き寄せて、自分の体温を分けてやった。


「綾さん……触っても、いい?」雪乃さんが、恥ずかしそうに聞いてきた。

私は頷いて、彼女の手を取って、自分の胸に導いた。雪乃さんの指先が震えている。

でも、だんだん大胆になって、私の着物を解いていく。


 私も、雪乃さんの帯を外して、喪服のような黒い着物を脱がせた。雪の中で育ったような白い肌。

細い肩、柔らかな胸、くびれた腰。

私は、もう我慢できなくて、雪乃さんを押し倒した。


「綾さん……優しくしてね」


「うん……大好きだよ、雪乃さん」


 その一言で、急に現実に戻って、ちゃんと抱きしめ直した。

大丈夫って言いたいのに、声がうまく出ない。

だから代わりに、名前を呼んだ。何回も。

その夜、私たちは何度も何度も愛し合った。


 朝、目を覚ますと雪は止んでいた。

窓の外は真っ白で、世界が音を忘れたみたいだった。

雪乃さんはまだ眠っていて、私の腕の中で小さく息をしている。


「そっか。私が探してた宝物は、ここにあったんだ」

私はそっと髪を撫でて、囁いた。


「……私も。綾さんが、私の宝物です」

雪乃さんがうっすら目を開けて、微笑んだ。


 それから、私はトレジャーハンターを引退した。

「一緒にこの宿をやりましょう。私たちで、新しい思い出をたくさん作っていきましょう」

雪乃さんがそう言ってくれた。


 今、私たちは二人で「月読の宿」を守っている。

旦那の写真は飾ったままだけど、もう寂しそうな顔はしていない。

雪乃さんは笑うようになった。私の隣で、本当に幸せそうに。


 そして私はあの夜を思い出して、雪乃さんの寝顔を愛おしく眺めていた。

ロウソク一本で愛し合った、奇跡みたいな夜を。

私はもう、どこにも行かない。

私が探してた最高の宝物は、この山奥で見つかってたんだ。


 雪乃さん、おやすみなさい。

ずっと愛してるよ。

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