第9話:決戦と地位の逆転
第9話:決戦と地位の逆転
王都の空は、鉛色の雲に覆われていた。風が鋭く頬を打ちつけ、街路に積もった落ち葉をぐるぐると巻き上げる。セレスティア・ローウェルは深く息を吸い込んだ。鼻腔に漂う冷たい空気、金属と石の匂い、遠くで鳴る鐘の音――すべてが心を引き締める。
「これが……最後の任務……」
ライアスが低く、落ち着いた声で囁く。肩越しに手を置かれた温もりが、セレスティアを少しだけ安心させる。彼の存在は、どんな戦場でも揺るがぬ支えだった。
王家が依頼したのは、ジェイド・グラントが密かに操っていた危険魔物の討伐。ジェイドの計画は、セレスティアを罠にかけ、自らの失脚を回避するという狡猾極まりないものだった。
広間から通じるダンジョン入り口に足を踏み入れると、湿った石壁と土の匂いが濃く漂った。足元の苔が柔らかく、踏みしめるたびに微かに音がする。壁の隙間から冷気が吹き込み、セレスティアの頬をなでる。全身の神経が研ぎ澄まされ、感覚のひとつひとつが、戦いの準備を告げていた。
「……セレスティア、慎重に。ジェイドは必ず罠を用意している」
ライアスの声は柔らかく、だが鋭く響く。目を閉じれば、彼の瞳の奥にある揺るぎない信頼が映る。
魔物の咆哮が奥から響いた。低く唸る声に、震えるような振動が足の裏から伝わる。暗闇に目を凝らし、セレスティアは魔力を集中させる。
「ここで、私のやり方を見せてやる」
心の中で呟き、手のひらに魔法陣を描く。まず『鈍足』を魔物にかける。筋肉が一瞬で硬直し、動きが鈍る。次に『麻痺』を放つと、四肢が石のように固まる。最後に『衰弱』の呪文で力を徐々に奪う。魔物は完全に動きを封じられ、岩のように立ち尽くす。
背後から、ジェイドの声が響いた。
「ふふ……これで終わりだ、セレスティア」
冷たく響くその声に、胸の奥がわずかに緊張した。だが、恐怖ではなく、逆に燃えるような怒りと決意が胸を支配する。
振り返ると、ジェイドが魔法の剣を振り上げ、闇の魔力を纏って突進してくる。空気が切り裂かれる音、金属が光を反射して鋭く煌く。石壁に反響する気迫の波動が肌を刺す。
「ジェイド、もう遅いよ」
セレスティアの声は凛として、迷いのない響きを持つ。手元の魔法陣を一瞬で展開し、『鈍足』『麻痺』『衰弱』の三連コンボをジェイドに叩き込む。
ジェイドは剣を振るいながらも、その動きは徐々に鈍くなり、筋肉が重く、思うように剣を制御できない。麻痺の波が全身を包み、衰弱が力を奪う。叫び声が、嗄れた悲鳴に変わる。
「く……ぐっ……!」
振動する息遣いと、額の汗、歯を食いしばる音。すべてが、彼が絶対に負けたくないという誇りと、しかし制御できぬ現実の間で引き裂かれる様を表していた。
セレスティアは息を整え、冷静に言葉を重ねる。
「ジェイド、魔力の多さで力を測る時代は終わったの。戦略と特性を活かすことこそ、本当の強さよ」
声が闇に響き、魔力の波動が彼の魔法を完全に封じ込める。ジェイドはついに膝をつき、剣を地面に落とした。荒い呼吸が、広間の静寂を引き裂く。
ライアスが駆け寄り、肩を抱き支える。「君はすごい……俺は、ずっと信じてた」
セレスティアは軽く頷き、目の前のジェイドを見下ろす。彼の瞳には、怒りも恐怖も混ざった絶望だけが残っていた。
「もう終わり。あなたの時代は終わったわ」
その声は王都の石壁に響き渡り、公正な裁きの証人となる。ジェイドは公的に逮捕され、失脚。その姿は、かつて自分を侮辱した貴族社会の象徴のように、静かに崩れていった。
深呼吸をして、セレスティアは肩の力を抜く。床に落ちた剣の冷たさ、湿った石壁の匂い、遠くの鐘の音……世界は変わらず存在する。だが、今や彼女は自由であり、強く、美しく、そして誰にも奪われぬ誇りを胸に抱いていた。
ライアスがそっと手を握り、「これからも、俺は君の隣で支える」と囁く。セレスティアは微笑み返し、指先に伝わる温もりを胸に刻む。
これが、落ちこぼれだった男爵令嬢の、頂点への逆転劇の完結。魔力の多さではなく、特性と戦略、信頼と勇気がもたらした勝利。そして、静かに燃える愛と絆が、二人を照らしていた。
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