New Year's Order

haru

New Year's Order

大晦日。

新雪が街を柔らかく包み、音のない静けさが広がっていた。

人々は白い道に足跡を刻みながら、それぞれの“願い”を胸に灯して歩いていく。

カウントダウンの会場では、掲示板の数字が淡く光り、訪れつつある新しい年に、かすかな鼓動のような期待が漂っていた。


その雑踏から遠く離れた六畳間。

青年は、PCのモニターだけが照らすその部屋の中で、じっと座っていた。

手には四枚のカード――三枚のキングとジョーカー。

もう片方の手には、ダイヤの3を握りしめている。


「……見てろよ。世界をひっくり返す」


誰も聞く者がいない部屋で一人つぶやいた。


---


彼は子供の頃から、他人に認められることが少なかった。

友達同士の喧嘩を仲裁したのに、先生からは一緒に怒られてしまう。

転びそうになった子供をとっさに支えても、その親は別の人に感謝の言葉を伝え、彼が横を通り過ぎても気づいてもらえない。


そして、1週間ほど前のクリスマス。

街は光に彩られ、どこにいても祝福の歌が流れていた。

彼は炊き出しのボランティアに参加し、誰かの役に立とうと走り回っていた。

しかし終わってみれば、名簿へは載らず、写真もフレーム外、スタッフに覚えられることもなかった。

自分に向けられるはずの“ありがとう”が他の誰かに向けられる。

役には立てたはずだと自分に言い聞かせたが、心の溝が埋められないような虚しさを感じていた。


帰り道。

彼は人の流れに呑まれながら家路をたどっていた。

足取りは重い。

周囲の人は、早歩きで、焦ったように目的地へ向かっていく。

ただ、彼にとってはその足音も声も、どこか遠くに感じられた。

誰かの肩がぶつかった。

謝られもしない。

彼はバランスを崩し足元を見た。

そこにはトランプが一枚——踏み潰され、泥のついたダイヤの3。

踏まれた跡で角が少し丸まっており、表面には靴紐の跡のような薄い線が残っている。

周りの人は、誰もカードに気づかない。

屈んで拾おうとしたときも、カードはその上から踏みつけられていた。

彼は息を吹きかけ、手で汚れをはらった。

そして、案外きれいになったその“自分だけが気にかけたカード”を、無言でポケットに入れた。


その夜、奇妙な夢を見た。

闇の中からジョーカーに似た何者かが現れ、そしてこう言った。


「契約成立だ」


その男は指を鳴らし、カードを掲げる。


「ここに三枚のキングがある。

 一枚につき、願いがひとつ叶う。どんな願いでも、だ」


「もちろん代償はある。

 大切な何かを一つ失う……が、お前には、もう失う物などないだろう?」


男は愉快そうに笑った。


「もしくは――

 “俺”と組み合わせて、革命を起こしてもいい」


男は顔を近づけて囁く。


「……世界をひっくり返したくはないか?」


そして、いつの間にか消えていた。

彼はその男が消えた後も、ただ呆然とそこに立ち尽くしていた。


“世界をひっくり返す”


耳元には囁きの触感がいつまでも残り、胸の内側ではその声が低く反響し続けていた。


目が覚めると、机の上にキング三枚とジョーカーのカードがあった。



---


カウントダウン会場では、人々の視線が電光掲示板に集中していた。

静寂と微かなざわめき。


青年は部屋でそのライブ配信を観ていた。

カードを持つ手は微かに震えている。


3、2、1……


彼の耳には、世界が息を呑む声が聞こえた。


「ハッピーニューイヤー!」

夜空に弾けた花火の閃光が群衆を染める。

人々は歓声を上げ、見知らぬ者同士でさえ笑顔を交わし、肩を叩き合う。

紙吹雪が風に乗って舞い、新しい年の訪れを祝うざわめきが会場を満たしていた。


青年は部屋でうなだれている。

しばらく顔を伏せたまま動かなかったが、やがて静かに目を開け、薄笑いを浮かべた。

テーブルにカードをそっと置くと、上着を着て部屋を後にした。

テーブルにはキングが三枚とジョーカー、そしてその上にしわくちゃのダイヤの3。


会場からは、家路を辿る人々の群れが流れてくる。

もしくは、そのまま初詣に向かうのだろうか。

しかし、その目の奥はどこか虚ろで、張り付いたような笑顔と、どことなく操り人形マリオネットのように見えるぎこちない動き。

空は厚い雲に覆われ、鈍い紫の光がにじんでいた。

夜のはずなのに、景色はどこか薄明るく、不自然なほど静かだった。

人々の流れに逆らうように、彼はポケットに手を入れ歩いていく。

その足音に追いつけず、白い息だけがよどんだ空気に混じって後方へ消えていった。


「俺が存在していい世界を……か」


伏し目がちな視線の奥には、かすかな光が潜んでいた。口元はわずかにほころんでいる。


「これで、いいんだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

New Year's Order haru @koko_r66-haru

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ