夢見るチェリーブロッサム

宮塚慶

夢見るチェリーブロッサム

「もう、終わりかなあ……私の夢」


 一眼レフカメラを手に持った私――熊野くまの智絵理ちえりは、直面した結末に心の底から絶望した。

 田舎の小さな公園にひっそりと広がる、まだ多くの人が知らない美しい桜並木。それを一枚の写真に収めることができれば、地元の宣伝にもなるしカメラマンとしての腕も評判になると思っていた。

 なのに。

 満開を待たずして桜は散ってしまった。昨日天気予報を無視して無情にも降り注いだ雨が、花弁をすべて奪い去っていったのだ。


「……やっぱり、もう就職した方がいいのかな」


 フリーターとしてだらだらと過ごしながら写真を撮っている現状を、両親は快く思っていない。

 私もその反応は当然だと思っている。

 だからこそ決定的な一枚を撮影できなければ、そろそろ諦めてしまおうかと未来を託してやってきた。

 そんな決意を嘲笑あざわらうような大雨。

 これは今後の人生を決めたと言ってもいい。


「これも神様の決めたこと、なのかもね」


 写真家として大成するのは難しくとも、趣味として細々と続けることはできる。そう自分に言い聞かせた。

 夢の潮時を受け入れる時が来たんだ。

 なんでだろう。覚悟を決めてきたはずなのに、やっぱり胸の奥が痛む。


 すると。


「いやだねー、せっかく綺麗に咲くところだったのに」


 並木道の少し先で、同じように桜の木を見上げている人がいた。

 淡いベージュの髪を後ろ手に括っている女性。春色の服と黒の上着がコントラストになって、私の目にはとても印象的に見えた。

 あの人も満開の花を見に来たのだろうか。だとしたら、私ほどではないがご愁傷様だ。

 彼女は両手の親指と人差し指でファインダーを覗き込むようなポーズをとって、ふーむと考え込むように息を漏らす。

 その動きに、同業者かもしれないと思わず声を掛けてしまった。


「あの! 桜を撮りに来たんですか?」


 呼びかけられた女性は、こちらを見て快活そうな笑みを浮かべる。


「桜を撮りに来たのは、あなたの方でしょ?」

「えっ? あ、はい。そうなんですけど……」


 女性が軽やかな足取りで近づいてくれた。

 その跳ねるような動きは、気落ちしている私からすると何処か浮世離れして見える。大人っぽい雰囲気に反して、何処かあどけない心地を感じさせた。

 彼女は私のカメラを指差して問いかける。


「此処の桜、満開だと綺麗だよね。写真映えするよ」


 あまり他の人に知られていない秘密のスポットだと思っていたが、やはり知っている人は知っているんだ。お姉さんも地元の人なのかもしれない。

 写真映えする。

 そう、するはずだったのに。


「そうですね。……でも、散っちゃいました。私の夢と一緒に」


 再び現実を認識すると、自然と視線が地面に落ちてしまう。

 するとお姉さんは、唇を耳元まで近づけてきた。同性とはいえ、あまりに大胆な動作に私の思考回路が止まる。


「あ、あの!?」

「明日」


 動揺する私に、彼女が囁く。


「もう一度、此処にきて」


 ふんわりと彼女から香る花のフレグランスが鼻孔をくすぐり、胸の奥が高鳴るのを感じる。

 未熟な自分に対して、なんて余裕のある大人な雰囲気を醸し出しているのだろう。

 お姉さんは、その色香に似つかわしくない無邪気な笑みを浮かべる。


「人も桜も、咲く前に散っちゃうこともある。だけど、あなたはこれから花開くつぼみなんだから」


 言うや否や、先ほどと同じ軽やかなステップで公園を歩いていくお姉さん。

 その後ろ姿をじっと見つめていると、不意に風が強くなる。

 私が思わず髪を抑えて、次に視線を戻すと彼女はもうそこにいなかった。

 何故だろう。胸中がざわつく感覚だけが残る。


◇ ◇ ◇


 翌日。

 言われたとおりもう一度公園を訪れた私を待っていたのは、信じがたい光景だった。


「えっ? ええっ!?」


 公園の街路樹として並ぶ桜の木が、どれも等しく咲き乱れている。風に揺れて舞う花びらが桃色の雨を降らせ、私の周りを漂った。


 ――満開だ。


 どういうことなのか全く分からない。

 此処に来るよう伝えてきたあの人の姿はなく、問いただすこともできなかった。


「夢でも見ているのかな?」


 言いながら私は反射的にカメラを構えて、その景色をフィルムに収める。

 被写体の角度や光の位置を考える必要すら無いように思えた。それぐらい、この桜は何処を切り取っても美しい。

 無我夢中でシャッターを切る。


「すごい、すごい!」


 興奮のあまり語彙力が下がる。うわ言のように感想を漏らしながら、公園を踊るように見回した。その度に写真を撮る。撮り続ける

 きっとこの写真たちは、見てくれた誰かの心を動かす。

 確信があった。

 だって、自分の心をこんなに満たしてくれるのだから。写真を通じて見た人に熱量が届くことを、疑うこと必要なんてない。

 昨日までどんよりと曇っていた心が、知らない間に晴れ渡っている。本当に、悩みから解放されて咲き誇ったような気持ちだった。


 ――これから花開く、蕾。


 あの女性の言葉を思い出す。


「こんな満開の桜、どうやったんだろう。きっと、あの女の人が助けてくれたんだよね?」


 姿を見せてくれない昨日の女性に、それでも何か伝えたくて。

 私はどちらともつかない方角に向けて、ゆっくりとお辞儀をした。


◇ ◇ ◇


 見事に咲いた桜を見上げて、あたしは両手で写真を撮る真似をしてみる。

 残念ながら写真家ではないので、どの角度から構えるとそれっぽいのかよく分からなかった。


「ちょーっと、やりすぎたかな」


 悪戯っぽく舌を出してみると、こちらを取り囲むように咲いた桜の木々がざわざわと揺れる。


「あの子、上手く撮れたかな?」


 昨日出会った少女は、胸の奥に小さな蕾を抱えていた。きっと花開けば、誰かを照らすことができる眩しい光。

 一目見てそれが分かったから、今日は少しだけお裾分け。

 あとはあの子次第だ。

 いくら綺麗な桜が此処にあって、それをフィルムに収めることができたとしても。それを魅力ある一枚の芸術にできるか、そして世に広めることができるかは彼女の行く末に掛かっている。

 ……なんて。

 大丈夫だとも思ったから、こうして答えてくれたんだけれど。


「さーて、と。夢見る若者を救っちゃって、あたしってばなんて良い人なんでしょ」


 満足したので、公園からは立ち去ることにする。

 けれどその前に。あたしは桜の木に向けて声を投げかけた。


「今年も良い春になったわ。ありがとね、みんな」


 再び、風に揺られて木々が音を漏らす。

 あたしも思わずウインクして、みんなに答えてみせた。


 私の力は大したものではない。

 咲きそうな花に、少しだけ元気を分け与えることができる。それだけ。

 けれど、あの子の心に芽吹いていた花も咲かせることができたのなら。

 それはきっと素敵なことだと思えた。

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夢見るチェリーブロッサム 宮塚慶 @miyatsuka

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