バックシートでは背筋を伸ばして

錯千メイハ

第1話:泥に沈むには心が嵩張りすぎている

もしもTRPGのゲームマスターが指示厨だったら、一体どうなるだろう。

しかもそのTRPGというのが、分厚く重厚なルールブックも、サイコロもキャラクターシートも何もないものだったら。

ただただその場の浅はかな思いつきとで、脳内に作り上げたデタラメな世界だったら。


「安全そうだから進むよ」

そう宣言した直後に、意地悪な展開を継ぎ足してくるタイプだったら?

「あーあ。そっちは底なし沼が隠されていて、巨大なワニが口を開けて待っていたんだ。もっと慎重に選べばよかったねえ」と完全に後出しジャンケンでアドバイスもどきを垂れ流してきたら?


私なら即座に帰宅し、友人関係を消去する自身がある。

そもそもこんなものはゲームとして成立しないはずだ。


だからこそ、私の幼馴染はよくもまあこんな独りよがりな茶番劇に、文句ひとつ言わずに付き合ってくれたものだ。

今更ながら、あの菩薩のような忍耐力に対し畏敬の念すら抱いてしまう。


これはそんな奇特な幼馴染、及びその家族とともに、地方のイベントへ向かう軽自動車の中での話だ。イベントは「ヒーローショー付き潮干狩り」。欲望の幕の内弁当のような企画である。



――年季の入った軽自動車のエンジン音と振動に合わせて、窓ガラスがガタガタと小刻みに鳴いている。窓の隙間からは少し生ぬるく、プランクトンの死骸を含んだような独特の海風の匂いが侵入し、必死に稼働するエアコンの埃っぽい人工的な冷風と混じり合って鼻腔をくすぐる。


幼馴染は後部座席でふんぞり返り、根拠のない自信に満ちた瞳でこう言い放った。

「ねえ、今日の潮干狩りは任せておいてよ。柿を採るの得意だし、アサリもたくさん採れるよ」


……は? である。

そこに一体、どのような論理的接続が存在するというのか。


アサリは硬質な殻に軟体を閉ざし、太陽の届かない冷たく暗い砂泥の中でひっそりと呼吸管を伸ばして息を潜める二枚貝の一種である。

対して柿は、秋の柔らかな陽光を一身に浴びて枝先に実り、重力に逆らうようにして存在する、鮮やかな橙色をした植物の果実だ。

収穫道具においても、物理的な形状や生息域においても似ても似つかない。共通点を見つける方が難しい。


しかし、私の脳裏には確かに以前幼馴染祖母の家に行った時の光景が鮮明に蘇っていた。

あれは秋の夕暮れ時、庭にある立派な柿の木の下でのことだ。

西日が長く影を落とす中、幼馴染はまるで魔法のような手際で、次々と見事な柿を収穫していたのだ。

いや、それがどうしたという話ではあるのだが。


そもそもの話をさせてもらうと、私は柿という食べ物が致命的に好きではない。

あの独特のヌメッとした食感も、輪郭のぼやけたボヤッとした締まりのない甘さも全てが苦手だ。

木の周りには、カラス除けの無骨な黄色いネットやケージが要塞のように張り巡らされていたが、正直なところ「こんなゴムまりのようにブヨブヨして美味しくない柿を、わざわざ苦労して網をくぐり抜けてまで盗む物好きな奴なんているわけがないだろう」と冷めた目で見ていた。


幼馴染は勝ち誇ったような表情を浮かべ、柿を指差しながら言ったものだ。

「今はまだ舌がお子ちゃまだから分からないだけよ」

ガキが。こういう妙に大人ぶるガキが、世の中で一番救いようのないガキなんだと相場が決まっている。

「良い柿を食べたことがないんだね」

この柿は良い柿ではないのか?

そう聞きたい気持ちをすっと胸の奥、心臓の裏側あたりに引っかけたまま、私は今を生きている。



――そんなこんなで私たちは目的地の潮干狩り会場に到着した。

車を降りた瞬間、鼻腔を強烈に刺激する、湿った砂の生臭さと、海藻が腐りかけたような濃厚な磯の香りが充満している。

一歩踏み出すたびに、ズボズボと音を立てて足首まで埋まる冷たく重い泥の感触に、思わず情けない悲鳴を上げそうになる。


「いい? よく見てて。砂の中に隠れているアサリも、本質的には木に実る柿と一緒なの」


それは絶対に違うだろう。

アサリは枝になっていないし、空中にぶら下がってもいない。

しかし、どういうわけか、幼馴染のカゴはあっという間に立派な模様のアサリで山盛りになっていた。

それどころか、砂に埋もれた百円玉まで掘り当てている。


なにが起こっているのか。

理屈は不明だが、目の前の現実はあまりにも残酷な格差を見せつけてくる。


「どうして……どうしてそんなに的確に見つけられるんだ?」

泥だらけの手で空のカゴを抱えた私は、敗北感にまみれながら幼馴染に聞いた。


「あのね、波打ち際の砂の表面をよく観察して。小さな穴が二つ並んでいたら、それはアサリのサインなの。そこを狙って、熊手で表面をガリガリと一点集中じゃなく、広く薄く削るように探るといいんだってさ」


先に言って欲しかった。



――潮干狩りの後、メインイベントである「戦隊ヒーローショー」が始まった。

特設ステージの周りには、砂まみれの子供たちが蜜に集まる蟻の群れのように密集している。


「うわあ、すごい! カッコイイ! テレビで見るのと一緒だ、本物だよ!」

幼馴染も目をキラキラさせながら無邪気に手を叩いて喜んでいた。


ガキ、である。

ヒーローたちの動きの端々からは、連日の公演による疲労感と中の人の「早く休憩したい」という渇望が滲み出ている。

ペラペラの合成繊維で作られたスーツには皺がより、背中には着脱用のチャックが隠しきれずに見え隠れする哀愁が漂っている。

こんな子供だましのアトラクションで心底喜べるとは、なんと幸せな脳みそをしているのだろう。


その後「憧れのヒーローと夢の腕相撲対決!」という触れ込みの参加型イベントが始まった。

長い行列に並んでいたのは、私たち以外はもっと低学年の子ばかりであった。


退屈しのぎにステージ上の様子を鷹のような観察眼で分析していた私は、ある重大な、世界を揺るがすような法則を発見した。

ヒーローには演出上の決まった「パターン」が存在するのだ。


相手がどんなにひ弱そうで指先一つで吹き飛びそうな子であっても、ヒーローは最初、必ず五分五分の死闘を演じる。

腕が小刻みにプルプルと痙攣するように震え、プラスチック製のお面の顔を左右に激しく揺らし「ぐぬぬ……こ、こいつ、強いぞ……! この小さな体のどこにこんなパワーが……このままでは負けてしまう……!」と苦悶の演技をわざとらしく披露する。

そして、負けそうになるギリギリのラインで粘りに粘り、最後は「うおおお!」と雄叫びと共に逆転勝ちするのだ。


これだ、と思った。

私は世紀の発見をした科学者のような興奮気味の口調で、前髪を汗で張り付かせた幼馴染の耳元で熱く囁いた。


「よく聞いて。あのヒーローは、観客を盛り上げるために必ず接戦を演出しようとする習性がある。だから、最初から本気を出さずに、わざと力が拮抗しているフリをして泳がせ、相手が『いける』と油断したその瞬間に、一気に火事場の馬鹿力を込めれば絶対に勝てる」


私は戦場を全て支配する軍師のような全能感に浸りながら命令した。


幼馴染は私の完璧な作戦を聞いて、まるで神託を受けたかのような尊敬と畏怖が入り混じった眼差しを向けてきた。


「そっか、すごいすごい! さすがだね、そんな細かいところまで分析してるなんて! やっぱり君は天才だよ! わかった、その完璧な作戦通りにやってみる!」


結果、幼馴染は見事に勝利した。 ヒーローは「なんてこったー!」と派手に転がり、負けた芝居をして、会場は万雷の拍手に包まれた。

「やったあ! 本当に勝てたよ! 作戦大成功!」 幼馴染は満面の笑みで、飛び跳ねるように戻ってきた。


そしていよいよ私の番だ。

私も幼馴染と同じく、寸分の狂いもない作戦を実行した。

ヒーローの腕が台本通りに小刻みにプルプルと震え、「こいつ……やるな!」という拮抗した演技のフェーズに入ったその瞬間、私は全身の筋肉を連動させ全力を込めた。すると、ヒーローはいとも簡単に作戦に引っかかり、抵抗することなくガクッと腕を倒してくれたのだ。


その瞬間、私の背中に、氷水を直接流し込まれたような冷たい汗がツーっと流れた。

勝利の快感ではない。

あのヒーローは「わざと引っかかって、わざと負けてあげる」という、子供の夢を壊さないための高度な接待プレイをしていただけなのではないか。

それだけならいい。

だが、私がドヤ顔で語った「完璧な作戦」を聞かされた幼馴染も、実は最初から全てを悟っていたのではないか。


私が得意げに「ヒーローの隙を突く!」などと熱弁を振るっている間。

心の中で(また始まったよ)と苦笑しつつ、私のちっぽけなプライドを守るために顔を立てて「すごいすごい」と言ってくれていただけなのではないか。

その上で、わざと私の作戦のおかげで勝てたかのような迫真の演技をして「上手くいったよ!」と報告しに来てくれたのではないか。


なんだか、これ以上深く記憶の蓋を開けるのが怖い。

あの時の、ベタつく潮風に髪をなびかせながら、少し困ったように、でも優しく笑っていた幼馴染の顔が、網膜に焼き付いたかのように妙に鮮明に記憶に残っている。

アサリも取れず、理屈ばかりこねる私に向けられた、慈愛に満ちた顔を。


――これは今思い出したことだが、行きの自動車で私は幼馴染に、私が考えたTRPGのアドバイス料を請求しようとしていた。

「魔王と戦う時は、最初から全力で行くと警戒される。一旦手を抜いて油断させ、相手が隙を見せた瞬間に叩くのが定石だぞ」

そんなアドバイスするために、なけなしの小遣いである百円を払わせようとしていた。

流石に見かねた親に「やめなさい」と止められていたのだが。

もう、これが限界だ。 穴があったら入りたいが、あいにく砂浜にあるのはアサリの小さな穴ばかりで、肥大化した万能感による気恥ずかしさを収納できる場所など、物理的にどこにも存在しないのだ。

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