第5話 家族の正体

 あれは中学時代のことであったが、普段から、友達の家に行っても、そんなに遅くはならないという、少年であったが、その時はちょうど正月で、友達主催の、

「お正月パーティ」

 のようなものが催された。

 自分も含めた4人が招待されたかたちになったが、それが、中学時代の自分の、

「グループ」

 だったのだ、

 友達はマンションに住んでいて、父親は、海外赴任が続いていて、

「久しぶりの日本の正月だった」

 ということであった。

 そんな事情もある中で、元旦に皆遊びに来てくれたのが、主催家族としても、

「賑やかでうれしい」

 といっていた。

 真一少年は、その気持ちが分かった気がした。

 というのは、

「真一少年の父親も、毎日忙しくて、夜帰宅するのは、深夜になることが多かった」

 小学生の頃は、

「ずっと仕事で大変だな」

 と思っていたが、実際に帰ってきたのを見ると、結構酔っぱらっているのを見るということが多かった。

 それでも、中学生くらいになれば、

「営業で仕方なく飲んでいるのだから、これも仕事のうちだ」

 ということを分かるようになってきた。

 だから、相変わらず、

「お父さんは、仕事で忙しい」

 と思っていたのだ。

 だが、父親が、会社の人を家に連れてくることはなかった。

 前からなかったというわけではなく、真一少年が、小学校低学年の頃くらいまでは、時々、会社の部下という人をつれてきて、リビングで、飲んでいたものだった。

 だから、

「元々は、社交的だった」

 ということであるが、いつ頃だったのかということは忘れてしまったが、ハッキリしないだけで、どこかの時期で、誰も連れてこなくなったということであった。

 最初の頃は、

「つまらないな」

 とおもったり、

「寂しいな」

 とも感じたが、次第に、

「これが当たり前だ」

 と思うようになると、

「どこの家庭も静かで、賑やかなことを好まないんだ」

 と思うようになった。

 つまりは、

「どこの家庭も同じに違いない」

 という思い込みを抱くようになり、

「仕事を家に持ち込まない」

 といっている人の方が当たり前なんだと感じるようになっていたのだ。

 だから、たまに、こうやって友達から誘われると、

「これは珍しいことなんだ」

 と思うのだが、それが逆に、新鮮に感じられ、呼ばれるとうれしくなって、飛んでいくのだった。

 親の方としても、

「相手の家族に迷惑を掛けなければ、それでいい」

 ということであった。

 だから、子供としても、

「相手に誘われなければ、こっちから行くことはない」

 と思っていたのだ。

「相手が、おいでといっているのだから、その時点で迷惑ではない」

 ということであった。

「どのような行動をすれば、迷惑をかけることになるか?」

 ということは分かっているつもりなので、それさえしなければ、

「親に怒られることはない」

 と思っていた。

 だから、この日も、

「いってきます」

「いってらっしゃい」

 という、普通の会話から始まったので、いつものように、夕方には、

「ただいま」

「おかえり」

 という言葉を交わすことになると思っていた。

 しかし、事態は急変した。

 友達と遊んでいると、時間が経つのが思ったよりも短く、それだけ、

「楽しい時間だった」

 ということなのだろうが、皆、

「ここで帰ってしまうと、せっかく盛り上がった気持ちが萎えてしまう」

 ということで、主催側の子供が、

「皆泊まっていけばいいじゃないか」

 ということで、親に許諾を申し出ると、

「快く承知してくれた」

 ということで、

「じゃあ、皆お泊りで、夜を徹して話そう」

 ということになったのだ。

 つまりは、ここから先は、

「友だち同士の連携」

 ということになったのだ。

 友達の母親も心得ていて、

「じゃあ、皆、ここから親に連絡を取って、お泊りできることを話してね」

 ということであった。

 皆それぞれケイタイを使って、親に連絡し、ほとんど皆、二つ返事で、OKをもらっていた。

 しかし、真一少年の場合はそうはいかなかった。

 母親に電話を入れたのだが、母親は、

「お父さんに聞いてみないと」

 と言いだしたのだ。

 これは、母親が、

「自分では判断できないことが持ち上がった時の言い方」

 ということで、子供としては、

「えっ? 何を相談する必要があるというのか?」

 と感じた。

 父親に話をしていたようだが、すぐに、

「お父さんが帰ってきなさいということだから、すぐに帰ってきなさい」

 というではないか?

「えっ? 何がどうして?」

 と聞くと、また父親に聞いたようだが、母親は、

「相手のご家族に迷惑でしょ」

 というのだ。

「いやいや、だって、元々は相手が招待してくれたのであって」

 というと、

「それは、夕方まででしょう? それ以降は、家族の時間だとわきまえないと」

 という。

「だって、他の皆は泊まってい言って、家に連絡して許可を得ているのだから、俺だけが帰るというのは」

 というと、

「よそ様はよそ様、うちはうち」

 といって、怒っているようだった。

 後から思えば、会話の途中で、

「本来であれば、友達の家に迷惑をかける」

 ということが問題だったのに、それを覆すかのように、

「他の皆が親から承諾を得ている」

 ということで、

「言い訳をはぐらかすように話を変えたことが、親にとっては癪に障ったのかも知れない」

 とも感じたが、

「それにしても、これでは、子供の中での俺の立場は、丸つぶれだ」

 ということで、親は親の立場だけでものをいうが、

「子供の世界」

 というものをまったく無視した言い分には、さすがに、子供としても腹が立ったのである。

 そして、もう一つは、

「父親が、一切電話に出なかった」

 ということだ、

 たぶん、

「呆れてものも言えない」

 とでも思ったのか、それこそ、頑固おやじというものを地で行っているという感じであろうか。

 結局、真一少年は、

「親の承諾を得られない」

 ということで、

「それじゃあ、しょうがないわね」

 と相手の親実も言われ、それこそ、

「強制送還」

 という憂き目にあうことになったのだ。

 これは、子供とすれば、

「親も説得できないのか」

 と皆に思わせたことで、それだけでも恥ずかしいということだ。

 しかも、そのために、

「自分だけが、強制送還させられる」

 という、いわゆる、

「罰を受ける」

 ということで、

「これほどみじめなことはない」

 といえるだろう。

「親だったら、子供がそういうみじめな思いをしてまで帰られなければいけない」

 ということを分かって当然のはずなのにと思うのだ。

 というのは、

「親だって、自分が子供の頃があった」

 というはずなので、似たようなシチュエーションがあったのではないだろうか?

 そんな時、同じように、自分の親から、

「帰ってこい」

 と言われたのではないだろうか?

 そして、自分と同じみじめな思いをしたのだとすれば、俺だったら、

「大人になって、自分の子供に同じようなみじめな思いをさせたくない」

 と思うに違いない。

 それを考えると、

「本当に自分の親なのだろうか?」

 と感じてしまう。

 しかし、親というものを考えると、

「大人になれば、自分の子供の頃のことをすっかり忘れているのか、自分がされたいやなことであっても、自分の子供にしてしまう」

 ということが当たり前のように思える、

 成長すればわかることなのか、

「親には親の立場があって、親になって初めて分かることだ」

 ということになると考えれば、親の行動は、子供にとって理不尽かも知れないが、

「これが、子供が親になる」

 ということになるのだろう。

「子供はいずれ、親になることはできるが、親が子供に戻るということはありえないことだ」

 といえるだろう、

 だから、

「子供というのは、永遠に、親に対して、理不尽な思いを抱き続ける」

 というもので、

「子供は親になってしまうと、子供ではなくなる」

 ということになるだろう。

 つまり、

「一人の人間の中に、親と子供を共有する」

 ということは不可能なのだといえるのではないだろうか?

 だが、本当に、

「大人になれば、大人としての考えになるのだろうか?」

 と考えると、今の時代では、

「ほど遠い」

 と考える。

 その最たる例が、

「幼児虐待」

 というものだ。

 親が、

「子供は自分の所有物」

 ということで、

「親にすべての権限がある」

 と思い込んでいることである。

「育ててやるかわりに、親の言いなりになれ」

 とでもいうのか、そもそも、こんな親になったのは、

「子供の頃に親から受けた仕打ちを、歪んだ形で解釈し、それを逆恨みということになるのかも知れない」

 普通逆恨みというと、

「自分に対して何か恨まれることをした人間に対し、理不尽な仕返しをする」

 などということを、

「逆恨み」

 という言い方でするものではないだろうか?

「実際に、親に対しての恨みごとがない」

 という子供のいないだろう。

 それが、

「親が子供に対してする、教育」

 というものであったり、今の時代の、

「幼児虐待」

 というものかも知れない。

 それが、

「苛め」

 と

「躾」

 の違いといってもいいだろう。

 つまりは、

「躾という言葉を使って、自分を正当化し、その言葉を免罪符にして、子供を我が物にしよう」

 というのが、

「幼児虐待」

 ということであろうか。

 児童相談所などが判断することになるのだろうが、

「虐待だ」

 と認定されると、その時点で、

「親失格」

 ということになり、

「親ではなく、犯罪者というレッテルを貼られる」

 ということになるだろう。

 さすがにこの時の、真一少年は、まだ、

「躾の範囲内」

 といってもいいかも知れないが、正直、

「大人になっても、いまだに親が理不尽だ」

 と考えることに変わりはない、

 もし、それを理解できるとすれば、

「自分が親になった時」

 ということでしかないだろう。

 その時は家に帰ってから、

「父親に聞いてみよう」

 ということで、みじめな思いから、

「どこをどう通って帰ったのか、記憶にない」

 というくらいのみじめな思いを抱きながら帰途に就いたくらいだったのに、家に帰ってみると、案の定、家の雰囲気は、異常だった。

 それを見た瞬間。

「分かっていたことではあったが」

 ということで、

「俺のせいなんだろうな」

 と、まずは、自分を責めた。

 そうでなければ、理不尽さだけで家に帰ってきたことになり、余計に、家に帰ってまで、自分のみじめさを感じ続けなければいけないと思ったのだ。

 だから、

「悪いのは自分だ」

 という気持ちをどこかにもっておかなければいけないということで、

「これこそが、みじめさを感じた時の、自分の免罪符だ」

 ということで、本来であれば、

「逃げの意識だ」

 と感じることを、逆に、

「自分を悪者にすることで、正当性を保ちたい」

 という気持ちがあふれていたのだろう。

 ただ、親の方も、

「これは計算なのか?」

 と思うところで、

「お父さんは?」

 と聞くと、

「あんたが情けないとかで、頭が痛くなったって寝ちゃった」

 というではないか、

 母親も、

「指示を仰ぐ相手」

 ということで、

「おんぶにだっこ状態」

 という父親が寝てしまったということなので、もう何も言わず、ただぶすっとしていた。

 それこそ、

「あんたのせいよ」

 と言わんばかりである。

 こうなると、子供としては、どうすることもできなくなり、

「明日しかないか」

 と思うのだが、結局、翌日になると、父親は不機嫌ではあるが、何も言おうとはしないのだった。

 少し時間が経ったことで、

「怒りが遠のいてしまった」

 ということから、

「今さら蒸し返すのは、無意味」

 と思ってしまったことで、結局、

「うまくはぐらかされた」

 ということで、

「親子間の争い」

 ということでは、完全に、

「親に逃げ切られてしまった」

 ということになり、

「子供の負けだ」

 ということになるだろう。

 もう、みじめさというものが消えてしまうと、これ以上蒸し返すことは、まったく無意味だということになるのであった。

 ただ、これは、

「子供が大人になる」

 ということのために、

「通らなければいけない」

 という道なのかも知れない。

 ただ、その答えとして、

「他の友達のように、親から許しを得て」

 その夜に、

「大人への階段」

 というものを勉強ができる儀式だったとすれば、

「大人への階段」

 をみすみす逃したということで、その責任は、

「親にある」

 といってもいいだろう。

 子供の成長を、

「親が妨げる」

 ということは、ある意味、

「親の義務違反」

 ということであろう。

「子供の教育」

 というのが、

「親の義務」

 ということであり、そのために与えられている力というものがあるとすれば、それが、

「権利」

 というものかも知れない。

 つまり、

「義務を果たすための力を、権利だ」

 ということであれば、

「民主主義においての権利」

 というのは、

「義務」

 というものに裏付けられたものでないといけないということになるであろう。

 昔の時代というのは、

「義務:

 というものが中心になっていて、それを果たすために、国家権力というものがあり、

「上からの押さえつけ」

 ということだったのだろう。

 しかし、民主主義という世界は、やはり基本は

「義務」

 というものであり、それを果たすために、与えられたものが権利だということになると、

「今も昔の大切なのは、秩序やモラル」

 というものではないだろうか?

 今の世の中というのは、

「権利ばかりを主張する」

 ということで、実際に守らなければいけない、

「秩序」

 や、

「モラル」

 などと、権利を天秤に架けることで、解決方法を見失った時代になりかかっていたのだろう。

 だから、異までは、

「秩序」

 や

「モラル」

 というものを守るということで、

「ハラスメント」

 と呼ばれる考え方からの、

「コンプライアンスを守る」

 という時代になってきたのだ。

 昭和の頃までは、

「秩序を守るのは、与えられた権利というものとのバランス」

 と考えられていたことが、大きな問題だったのかも知れない。

「個人の権利」

 というものが守られれば、

「義務は果たされる」

 ということになり、

「秩序もそれによって、自然と守られる」

 ということだっただろう。

 しかし、

「権利」

 というものを、あまりにも全面に出しすぎると、

「個人主義」

 という考え方から、

「秩序」

 というものが、うまくいかないということになる。

 要するに、

「守るべきものの優先順位」

 というものが分からなくなると、主義というものが見えてこないということになるだろう。

「国家があって、家族があって、個人がある」

 どれも大切なものであるが、それを均等に守ろうとすると、無理があるわけで、それぞれに、

「権利、義務」

 というものを与えることで、

「守るべき優先順位」

 というものが、自ずと分かるというものであろう。

 家族間というのは、そういう意味でも難しい。

「個人個人、正確が違う」

 というのと同じで、家族間で、違うのは当たり前、ただ、それを、

「家族だから」

 といって、

「親が子供に押し付ける」

 ということがあっていいのだろうか?

 親としては、

「秩序を教える」

 という教育のつもりなのだろうが、子供が理解もしていないのに、無理やり押し付けることで、

「親や大人に対して反発する」

 ということになると、家族間が、

「取り返しのつかないことになる」

 ということであれば、

「本末転倒だ」

 ということになるのではないだろうか?

 そんな真一も、今年で、23歳になった。

 まだまだ、結婚する年でもなく、彼女がいるわけではないので、

「親の気持ちなど、分からない」

 ということで、成人してからも、結構意見の相違で、衝突していた。

 ただ、中学時代のように、

「親の言いなり」

 というわけではなかった。

 ただ、大学生になったことで、

「大人の意識」

 というものを自覚できるようになり、

「父親に反発しても、大人としての意見で話をしているのだから、こっちも、口では負けていない」

 と思っていたのだ。

 だから、

「口喧嘩」

 というものでは、負けるわけはないとまで思っていて、それこそ、

「親の意見というのは、ただの頑固爺の言い訳だ」

 としか思っていなかったのだ。

 それこそ、

「老いては子に従え」

 とばかりに、感じていたということである。


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