第4話 母親憎し

 今から10年くらい前のことであろうか、母親を殺された少年がいた

 その少年は、誰にも話をしているわけではなかったが、

「子供の頃は母親が嫌いだった」

 ということである。

 というのは、そもそも、父親が厳しい人で、それを奥さんにも強いていたということで、今のような、

「虐待」

 というわけではないが、実に細かいところがあったということであった。

 その少年は、名前を、中条真一という。

 真一少年は、子供の頃、よく

「忘れ物をしていた」

 ということで、よく母親から、叱られていた。

 本人は、

「忘れっぽい」

 という意識はないのだという。

 しかし、

「小学生の子供が、忘れっぽい」

 などというと、それこそ、

「言い訳でしかない」

 として、大人は討て合わないだろう。

 特に、

「物忘れ」

 などというと、

「忘れてしまった」

 といっても、信じてはくれず、

「たるんでいるからだ」

 といわれるだけであった。

 特にひどかったのは、母親からの仕打ちとして、

「文房具を一つでも忘れてくると、學校まで取りに行かされた」

 ということであった。

「鉛筆一本」

「消しゴム一個」

 を忘れてきたというだけで、

「学校まで取りに行ってらっしゃい」

 と、

「取ってくるまで、帰ってくるんじゃない」

 とまで言って、取りに生かされたものだった。

「物忘れがひどい」

 ということは、本当に、

「たるんでいるから」

 と思ったのか、

「厳しい躾」

 というものを子供に課すということになるのであろう。

 まわりからは、

「それはひどい」

 ということになるのだろうが、

「他の家の子はこんなことはない」

 といって逆らえば、

「よそはよそ、うちはうち」

 といって、逆に、

「他の家との比較を、みじめに思わせる」

 ということになり、余計に、

「母親を意固地にする」

 ということになるのだ。

 それこそ、

「負のスパイラル」

 というもので、母親への口答えは、

「それだけ、言い訳にしか過ぎない」

 と思わせるのであった。

「まるで、マトリョシカ」

 のように、どんどん小さくなっていくことに、

「永遠」

 という感覚を与え、結果、

「限りなくゼロに近い」

 という状況を作り出すということになるだろう。

その、

「負のスパイラル」

 というのは、

「両親の間でも繰り広げられる」

 というもので、

「親子三人が、まるで、三すくみのような関係に思えてならない」

 ということであった。

「実際に表向きは、子供が両親に弱い」

 という風に見えるが、実際には、

「子供は、父親に強く。父親は、母親に強い。そして、母親は息子に強い」

 という関係であれば、ある意味、

「うまくいく家庭」

 といってもいいだろう。

 しかし、これが、

「昭和までの家父長制度」

 というものであれば、

「父親の権力は絶対」

 ということで、母親にも息子にも、その力は誰にも邪魔のできないものということになるだろう。

 しかし、実際には、

「父親が、子供に逆らえない」

 という瞬間があるという。

 それがいつなのか分からないが、父親は、子供の成長を感じた時、

「いずれは、子供にはかなわない」

 と感じるのだ。

 それを感じた時、

「三すくみの関係」

 というのになることで、その時から、

「家族はうまくいく」

 といえるだろう。

 しかし、今の世の中、そんなにうまくいっている家は、ごく少数だといってもいい。

「なぜ、そのようなことになるのか?」

 というのは、

「子供が、成長する前に、親子関係が崩壊するからだ」

 といえるだろう。

 その理由とすれば、

「子供が、大人になり切る前に、子供の方が、我慢できなくなる」

 という場合と、

「親が子供に対して、独占欲から、子供が成長する前に、親子の縁を切る」

 というようなわがままを行った場合ということになるだろう。

「そもそも、血は水よりも濃い」

 といわれるが、

「それを信じるがゆえの、家父長制度」

 であったり、

「家を存続させる」

 などということでの、それこそ、

「昭和までの古臭い歴史」

 ということで、勝手な押し付けというものをするからであった。

 だから、親の中には、

「昭和の頃の教育が意外と今の時代では有効なのかも知れない」

 ということで、

「苛め」

 ではなく、

「躾」

 ということであれば、子供が引きこもってしまったり、親をないがしろにしたりしないだろう。

 と考える。

 ただ、実際に、

「昭和を生きてきた」

 というわけではないので、その手加減具合がよく分からない。

 だから、親によっては、過剰なくらいの

「躾」

 というもので、

「やりすぎ」

 ということも起こるのだろう。

「躾と称して」

 ということで、

「幼児虐待」

 というものが起こっているのではないか?

 ということから、

「自治体における、児童相談」

 というものが、重要になってくる。

 つまりは、近所からの、

「児童虐待が怪しまれる」

 ということでの通報であったり、

「学校の先生による、子供のSOSというものが、しっかりとキャッチできるか?」

 ということが問題になるのだ。

 その中でも、

「まるで、昔の拷問のような」

 ということが平気で行われている。

 よくあるのが、

「内縁の夫」

 という名目での、

「お互いの利害関係の一致」

 というだけで、

「かりそめの夫婦関係」

 というものが形成された家族において、

「父親まがいの男は、表で、博打や女遊びに浩司、借金を重ね」

 さらには、

「母親は、父親の所業に対しての苛立ちから、子供に対して、育児放棄をする」

 ということで、

「餓死させる」

 という残酷なことであったり、

「自分のストレス解消」

 という身勝手な理由で、

「パチンコ屋に入り浸った時、車に乳幼児を置き去りに死、そのまま。熱中症で死に至らしめる」

 という残酷なことを行っているではないか。

 この場合は、

「確かに母親は、わざとではない」

 ということになるだろうが、

「子供を車の中に押し込めていれば、暑さですぐに死んでしまう」

 ということくらい、すぐにでも分かりそうなもの。

 とは言っても、母親は、

「分かりませんでした」

 という言い訳しかできないので、言い訳をするのだが、実際には、

「本当に、分からない」

 ということなのかも知れない。

 要するに、

「本来であれば、分かるはずのことが分からない」

 という人が、親になるということである。

 要するに、

「そんな人間が親になる」

 ということ自体が間違っているということだ。

 とはいえ、今の時代は、

「子供が増えないと、少子高齢化で困る」

 というのは、分かり切っていることであるが、だからといって、

「幼児虐待によって、子供を死なせる」

 ということが起こるのも、

「大きな問題だ」

 ということである。

 さらに、

「親の自覚がないことで、幼児虐待から、親の暴力がトラウマとなり、子供の成長を妨げる」

 ということであったり、

「精神異常の状態」

 ということから、

「人間としての、感情を失った」

 ということで、

「凶悪犯になる」

 ということを助長しているということになるであろう。

 それを考えると、

「親というものは、ちょっと歯車が狂うと、世の中に、極悪人や、凶悪犯をたくさん生み出すことになる」

 ともいえるであろう。

 しかし、実際には、確かに、

「凶悪犯や、極悪人」

 というのがたくさんいるといってもいいが、それでも、実際には、

「氷山の一角」

 ということで、

「予備軍が多い」

 ということであろう。

 それが、

「表に出てこないで事なきを得ている」

 ということであるが、それは、

「どこかで、うまく辻褄を合わせている」

 ということからではないだろうか。

「それが、躾」

 というもので、そのタイミングを間違えると、その先に待っているものは、

「地獄でしかない」

 ということになるだろう。

 それが、まるで、SF小説などでよくある、

「ワープ」

 であったり、

「タイムパラドックス」

 などにおける、タイミングというものではないだろうか?

 特に、

「時間を飛び越える」

 という、

「ワープ」

 というものの考え方として、

「時間というものが、心電図のようなカーブを描いた波長である」

 とよく言われるが、ワープというのは、

「その、描いたカーブの頂点を、最短距離で結ぶ」

 というものだという。

 しかも、それが、ある一点との重なった時に、うまく接触することで、

「そのカーブを最短距離に飛び越えることができる」

 といえるのだ。

 そんな

「微妙なタイミング」

 というのが、

「人間の成長にもある」

 ということで、

「それが、親子関係の三すくみ」

 というものを、

「うまく操ることができるものだ」

 といえるであろう。

 親の中には、

「そういうタイミングを掴まないといけない」

 と感じている人はいるようだが、そのタイミングがどこにあるのか、分かっているわけではないのだ。

 だから、どうしても、

「親と子」

 さらには、

「夫婦間」

 において、まずは、

「距離感がつかめない」

 ということから、お互いに同じものが見えなければいけないのに、同じものが見えたとしても、その形を別のものとして把握してしまっているといってもいいのではないだろうか?

 そんな三すくみというものを考えた時、

「必ず、どちらかに対して強く、どちらかに弱い」

 ということから、

「それぞれの抑止が働いている」

 ということから、距離感を掴む時に感じないといけないのは、

「メビウスの輪」

 というものにおける距離感だということであろう。

 三すくみの関係」

 というものによって、距離が違っても、その理屈がうまく機能することから、

「矛盾している絵であるが、その理屈が通ることで、タイムトラベルができる」

 という発想から、

「三すくみも、本来であれば、それぞれの遠近感が、抑止欲によって、すべてを同じ距離にすることで、正三角形を描く」

 といわれるが、

「実際にそこに、れっきとしたタイミングというものがかみ合わなければ、永遠に、三すくみは完成しない」

 ということになるだろう。

 しかし、実際に、抑止力は働いているということで、

「世の中はうまくいっている」

 と思われる。

 実際に狂ってしまうと、今の世の中であれば、

「地球を木っ端みじんにできるだけの破壊力を簡単に発揮できる」

 ということになるだろう。

 それがうまくいくのは、

「ワープを逆に繰り返す」

 ということで、

「世の中が、もう一度原点に返るようにできている」

 という考えから、

「時間は、ある一定のところで、繰り返すことになる」

 といえるのだ。

 そのタイミングが、

「三すくみによる抑止力を保つことができるタイミング」

 ということで、これは、

「人間の本能」

 というものが、そのタイミングを逃さずに、

「時代を延命させている」

 といってもいいだろう。

 それが、

「世界全体」

 というものにも言えるし、個人個人における親子関係であったり、血縁関係においても、いえることだということであろう。

 父親の問題で、

「母親憎し」

 と感じたこともあった。


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