護衛屋は、名を聞かない

冬蜂(FuyuBachi)

第1話:契約条件

 ボディガード会社、ΩRMオルム内の空気は重かった。


 細かい文字で書かれた契約書。

 重く、冷たい活字が無感情に並んでいる。


 ジョージ・ウガジン宇賀神丈二は太字で書かれた条項に指を這わせた。


 ①護衛対象の身元・目的について、質問してはならない。

 ②護衛対象の真名・所属に関する情報の収集を禁ずる。

 ③第三者への情報共有を禁ずる。


 よくある“秘密保持”ではない。

 これは、口と目を縛る類の契約だ。


 ジョージはページをめくり、要所要所にざっと目を通した。


 その横で副社長:チャットこと、チャールズ・フィンリーが、椅子に逆向きで座り、紙束を覗き込んでいる。


「質問するな、調べるな、ただ運べ……

 で、困ったら自己責任。

 う〜ん……詐欺師時代の俺でももう少し愛想よく書く」


 さらに一文を見つけて指をさした。


「ちょちょ、ここ!

 “走行中および停車時を問わず、被護衛者による自発的な降車を防止する措置を講じること。”


 ……つまり、内側からは開けられないように、セーフティチャイルドロックを掛けとけって話だろ?

 ずいぶん丁寧に、って言わない努力してるじゃん」


 口元だけ笑っているが、目は冗談の形をしていない。


「……嫌な匂いしかしねぇ。

 しかも、わざわざジョージ指定だ。」


 社長:ヴィンセント・モローが低い声で切った。

 腕を組んだまま、ジョージを見ていた。


 小柄で、肩幅も控えめ。

 削ぎ落とされた筋肉は衣服の下に沈み、輪郭だけを残している。

 見た目だけなら護衛向きとは言い難い。


 目は古井戸の底のように黒く、静かだった。

 隠しているのではく、壊れ、最初から表に出す気がない目だ。


 それを「黙って従う」と見る者がいる。

 その発想そのものを、ヴィンセントは嫌悪していた。


 だが彼は、常に結果を持ち帰ってきた、ΩRMのエース。


「そうか」


 ジョージは、最後のページに目を落としたまま、興味がなさそうに言った。


「リピーターって線でもなさそうだ」


 ヴィンセントが、息を一つだけ吐く。


「依頼の経由は?」


 ジョージが問う。


「弁護士経由だ。

 依頼主は表に出ない。

 対象は女が一人。

 車一台で動いて、指定地点に放り込む。

 以上」


「情報元は調べたか?」


「ああ。

 名前も資格も実在だ。

 州弁護士会の登録も、生きてる」


「指定地点は?」


「後で送られる。

 今は“出発地点”だけ指定されてる」


「……嫌なやり方だな」


 ジョージの眉がわずかに寄る。

 チャットが肩をすくめた。


「こういう契約ってさ、守る側が何も知らない方が安全なんだよ。

 余計なこと考えなくて済むし、万が一でも口が滑らねぇ」


 提示されている金額は、相場より3割ほど高い設定だった。

 距離とリスク、説明がない分の保険も含まれているのだろう。

 ヴィンセントは一拍置いて言った。


「白じゃねぇ。

 でも、今のところ黒とも言い切れねぇ。

 ……だからだ。

 今回は、お前の判断に任せる。

 社長としてじゃない。

 相棒としてだ。

 お前が『降りる』って言うなら、

 俺も、この件は会社として受けねぇ。」


 ジョージは左手でペンを取った。

 サイン欄の前で、ほんの一拍だけ止まったが、彼はサインをした。


 その瞬間、遠くで低い轟音がした。

 元倉庫だった赤レンガの無骨なオフィスの窓ガラスが、わずかに震えた。


 1.5キロ南にアメリカ東海岸の玄関口、ニューアーク・リバティ―国際空港がある。

 旅客機が着陸したのだ。


「おいおい、即決かよ。

 なんかやばい依頼だったらどうすんのよ?」


「その時は切る。

 を越えたら、契約はただの紙だ」


「それだけ?」


「それだけだ」

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