12月12日 熊蟄穴

12月12日、熊蟄穴


「寒っ……!」

私は玄関の扉を開けた瞬間、冷たい空気に顔を刺され、思わず肩をすくめた。北風が軒先の枯葉を巻き上げて、ガサガサと乾いた音を立てる。冬の匂いだ。霜のにおいと、焚き火の煙の混ざった匂いが鼻をくすぐる。


「ねえ、もう穴にこもりたくなるね。」

後ろから声がして、弟の亮が私の手袋をいじりながら笑った。

「穴に……?」

「ほら、七十二侯の熊蟄穴ってやつ。熊が冬を越すために穴にこもる頃だって。今日かららしいよ。」

私は小さく笑った。亮はこういう暦の話を突然持ち出すけれど、意外と詳しい。


「ふーん、じゃあ私も冬眠する?」

「そしたら、ご飯作らなくていいね!」

亮がはしゃぐ声に、つい笑ってしまった。けれど、胸の奥には、どこか冷たい風と同じくらいの空虚感があった。冬の寒さが、外だけじゃなく心の中にも染み込むように感じられるのだ。


学校へ向かう途中、枯れ草が霜で白く光り、足元でシャリッと音を立てる。水たまりも凍り、冬の水の匂いが立ち込めていた。通学路の川には水鳥がぽつぽつと浮かび、冬空を映す水面が静かに揺れる。浮寝鳥のように、なんとなく眠たげに見えた。


「ねえ、有沙、見てあの水鳥。寒そうにしてる。」

亮が指差す先に、一羽のカモが小さく身を縮めていた。

「うん……でも、案外、羽の下は暖かいのかもね。」

私がつぶやくと、亮は鼻を鳴らして笑った。

「さすが、知ったかぶり姉さん。」


学校に着くと、教室はストーブの熱でほんのり暖かい。けれど窓際の席は冷気が入り込み、指先がかじかむ。黒板の前で先生が話す声と、クラスメイトのざわめきが混ざり、なんだか遠くの世界みたいに感じられた。


授業が終わると、亮と一緒に近くの公園へ向かった。枯野には雪がまだ残っていて、冬ざれの風景が広がる。二人で手袋越しに手をこすり合わせ、ベンチに座った。


「やっぱり寒いね。」

「でも、外の空気って、なんか落ち着く。」

私は吐息を白くしながら答えた。亮も同じように深く息を吐き、白い煙を風に流す。


「ねえ、有沙、冬眠ってさ……ずっと寝てれば嫌なことも忘れられるのかな。」

亮の声は少しだけ震えていた。私は一瞬、言葉に詰まる。冬の寒さだけじゃなく、心の奥まで冷え込むような問いかけだったからだ。


「……忘れられるかもしれないけど、起きたときにまた戻ってくると思う。」

私がそっと答えると、亮は黙って頷いた。二人で沈黙の中、冬の枯野を眺めた。冬鴎が遠くで鳴き、水面に反射する光がチカチカと瞬く。


帰り道、雑炊の匂いが風に乗って漂ってきた。近所のおばあさんが薪をくべ、鍋をかき混ぜているのだろう。温かい匂いに誘われて、思わず立ち止まる。手袋越しに顔を覆い、香りを吸い込むと、心までじんわり温かくなる。


「亮、帰ったら雑炊食べよ?」

「うん! 熱々のやつ!」

二人で笑いながら、家の玄関をくぐる。冬帽子を脱ぐと、暖かい室内の空気が髪の毛にまとわりついた。小さな灯りの下で、弟の笑顔と湯気の立つ鍋が、冷えた体と心を包んでくれる。


夜、寝る前に窓の外を眺めると、北風に揺れる木の枝と、遠くに見える街灯の光が、冬の静けさを映していた。

「私も、ちょっと穴にこもりたいな……」

小さく呟くと、布団の中で暖かさと安心が広がる。冬の寒さの中でも、心の奥にはほんのり温もりが残る。それは、熊が穴にこもるように、外の寒さをしのぎながらも、静かに生きていく知恵のように感じられた。


十七歳の冬、私はまだ知らないことばかりだけど、今日という日、冷たい風と温かい匂い、そして人の声に触れて、少しだけ大人に近づいた気がした。熊のように穴にこもる日があっても、心の中には小さな光が消えずに残っているのだ、と。


熊蟄穴 穴にこもれば 忘れるか

問いを押し込む 雑炊の匂い


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