先生と少女

ベアりんぐ

先生と少女


 先生と少女は郊外にある家に住んでいます。学校はありませんが、食事や睡眠にはなんら支障ありません。ただ、世界はすでに廃れてしまっています。


「せんせ、ご飯まだ?」


「もうじきできる……ほら、今日は食パンにジャムを塗ってみたよ」


「ジャムってあまい?」


「たぶんね」


 二人は平たい食パンにジャムを塗り、お辞儀をしてから食べ始めました。しばらくすると、少女が口を開けて待っています。先生は軽く笑いながら、食べかけのパンを少女の口へ運んで食べさせます。この微笑ましい朝が、二人を象徴するものの一つでしょう。

 

 二人は慎ましやかに、しかし毎日を大切に過ごしています。ただ、先生には一つだけ困っていることがありました。それは、少女に先生がいないことです。なので先生は先生となって、時折少女に世界についてのことを教えています。


 しかし先生が本当に困っていることは、少女が予期せぬタイミングで質問をしてくることでした。先生は本当の先生ではありませんから、そうした疑問にうまく答えること自体、難しいのです。


「ねぇせんせ、前にこの世界はダメになったって話をしてたよね?」


 口端にジャムをつけた少女が首を傾げています。さて、先生は内心、いったいどんなことを訊いてくるのか、とヒヤヒヤしていたわけですが、その焦りが足りなかったと知るのに数秒もかかりませんでした。


「どうして戦争なんかしたの?」


「う、う〜ん……」


 子供の好奇心とは、良くも悪くも大人の予想を外してきます。先生の眉は八の字です。少女の目はすこしらんらんとしていて、先生の回答を待っています。


「えっとね、じゃあ先生がのご飯とか大切なものを取っちゃうよって言ったら、どう思う?」


「いやだ」


 ネモ、と呼ばれた少女は、きっぱりと答えます。


「だね。でも先生がどうしても欲しいって言ったら?」


「……あげちゃう」


 これには先生もにっこり、しかし、多少の苦味もあるようです。


「それはありがとう。きっとネモは優しいんだね」


「えへへ、先生じゃなかったらぶん殴る」


「物騒だね……でも、そういうことだ。なにか自分の大切なものだったり失いたくないものだったりを取ろうとする人には、なにかしら抗おうとするのが本質だ」


「うん」


「もちろん話し合いで解決すればいいんだけど、それが実現できないならどうする?」


「やっぱりぶん殴る」


「ま、まあそうだね。……争うからには勝たなきゃならない。これが国単位となればもっと複雑で大事なことだ、それこそたくさんの人を巻き込むような、ね」


「なるへそなるへそ」


 ネモは腕を組みながら頷きました。


「どこでそんな言葉を?」


「せんせが寝言で」


「……気をつけよう」


 ネモはお辞儀をして、空になったお皿を持って台所へ行きました。それに続いて先生も台所へ行き、二人分のお皿を洗っています。水はちょろちょろとたるから出ています。


「戦争っていうのはそうして起こる。いろんな人、いろんな考え、いろんな要素をまぜまぜしてね」


「それでほとんど人間がいなくなっちゃったんだ」


「そう。でも戦争は、ほんとは世界を巻き込むほどじゃなかったんだ。百と数十年前にその考えは新しくなっちゃったけど」


 先生は洗い終えたお皿を拭きつつ、どこかで見た歴史書の断片を想像しているようです。


「でも変わっちゃったんだ」


「うん。さっきも言ったけど、争うからには勝たなくちゃならない。勝つためにはどうすれば良いと思う?」


 ネモはお皿を置き、自身の握り拳を見つめながらきっぱりと答えました。


「強くなる?」


「でも、人間一人ができることは限られてる」


「うーん」


「……前に近場の森で、なにか風船みたいなものがあっただろう?」


「あの……錆びてて変な文字が書かれてたやつ?」


「そう、あれが強さの正体。人はいろんな武器を作って、さまざまな用途で使い分けたんだ。それを兵器って言う」


「ほうほう」


「兵器は、人なんか簡単に殺せちゃう。建物だって壊せるものもある。そして、地形や環境を変えてしまうものもある」


「パンチ何発分?」


「それはちょっとわからないなぁ。でも、もしもネモのパンチが、南に見える廃墟群より大きかったら……どう?」


「隕石」


「隕石が落ちたぐらい? まあ合ってるかな。とにかく強いわけだ」


「隕石パンチ、いつか実現させる」


「ネモはまだ小さいままでいてね。でも兵器は、さっき言ったとおり危ないものだ。どう扱うか、いつ扱うかを間違えれば……こんな世界になる」


「せんせは嫌なんだ。ネモはね、せんせと一緒に居られればそれでいいな」


「たぶん、たいていの人はそうだったよ。でも戦争は、そうしたものまで奪ってしまう。土地や貴重なものが手に入れば良いだけなんて、きっと嘘だよ」


「……一緒に居られれば、いい」

 

「私もそう願っているよ。それにいくら嘆こうが、前世界は取り戻せるわけじゃない。大事なのは、それを未来へ……先の世代に受け継がせることなんだ」


「じゃあこれも、そうなんだ」


「うん。ネモはこの先、生き残った人々とともにこの歴史を継いでいく、きっとね」


「じゃあ約束。せんせもいて。ネモがきちんと連れてくから、そばに居てね」


「もちろんだとも。私はとっくに、私の人生をネモに捧げてしまったからね」


「捧げちゃだめ、一緒にいくんだよ」


「ははっ……そうだね、一緒に行こうか。じゃあ今日はまず、一緒に木を拾いに行こうか」


「うん」


 先生の滑らかな右手が、ネモのな左手を結び、二人はそれぞれ違う足音を立てながら、家を出ていきました。


 去り際、ネモの全身は、朽ち果てた兵器のあるべき姿と同じように、光を浴びてキラキラと輝いていました。それはこの先もきっと、輝き続けています。

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