第1話

 朝、けたたましい目覚ましの音で目を覚ました。


 洗面所へ向かい、鏡を覗き込む。

 そこに映っていたのは、死ぬ前と何ひとつ変わらない、どこにでもいる平凡な顔だった。


 顔を洗い終え、タオルで水気を拭き取りながら、僕は一度、深呼吸をする。


 ――まずは、情報の整理をしよう。


 この世界は、間違いなく『学園ラブコレクション』、通称“ラブコレ”の世界。

 そのはずだ。


 正直に言ってしまえば、ヒロインたちが実在していること以外、前世と大きな違いはない。

 街並みも、学校も、日常の空気も、あまりにも現実的すぎる。


 そのせいで時々――

 ここがゲームの世界であることを、忘れてしまいそうになる。


 だが、間違いない。

 ここは確かに、ラブコレの世界だ。


 季節は一学期が終わり、二学期が始まったばかり。

 夏の名残が薄れ、もうすぐ肌寒い季節へと移り変わろうとしている。


 ゲーム本編が始まってから、すでに二週間ほどが経過している。


 そして、これから起こる出来事も――

 僕は知っている。


 ヒロインの一人、

 神楽坂茜かぐらざか あかね


 温厚で優しく、誰に対しても丁寧な態度を崩さない。

 だがその一方で、礼儀を欠いた相手や距離感を誤った相手には、

 はっきりと冷たい態度を取る――そんな、クールな一面も持っている。


 腰まで届く黒髪のロングヘア。

 整った顔立ちは学年でも有名で、

 彼女に告白する人が跡を絶えないという。


 夏休みの終わり頃。

 ものを落として困っていた神楽坂を、ゲーム本編の主人公が手伝ったことをきっかけに、

 二人は急速に距離を縮めていく。


 そして――

 彼女は、ある「相談」を持ちかけ始める。


 その相談こそが、

 彼女の運命が狂い始める事件。

 すべての引き金となるものだった。


 ならば、

 主人公に相談させないようにすればいい。

 そう考える人もいるかもしれない。


 だが、それでは意味がない。


 なぜなら、

 神楽坂茜が主人公に持ちかける相談内容は――

 ストーカー被害について、だからだ。


 ゲーム本編では、相談を受けた主人公がこう言う。


 「じゃあ、なるべく一緒にいた方がいいよな?」


 その言葉をきっかけに、二人は行動を共にするようになる。

 そして、それを見たストーカーは嫉妬し、逆上する。


 結果――

 ナイフを手にしたストーカーが二人を襲い、

 神楽坂茜は殺される。


 主人公だけが、生き残って。


 なぜ、主人公は生きていて、

 神楽坂茜だけが死んだのか。


 理由は、あまりにも単純だ。


 考えてみてほしい。

 ごく普通の高校生が、

 ナイフを持って逆上した相手を目の前にしたら――どうする?


 答えは、ひとつしかない。


 逃げたのだ。


 神楽坂茜を一人残してでも、

 主人公はその場から逃げ出した。


 ――それが、このゲームの現実だった。


 「これはゲームなんだから、分岐ルートがあるんじゃないか」

 そう思うかもしれない。


 確かに、選択肢は存在する。

 だが――結末は、ほとんど変わらない。


 なぜなら、このゲームには

 主人公補正が存在しないからだ。


 誰も守られない。

 誰も救われない。


 それが、『学園ラブコレクション』という物語だった。


 *


 しばらくして、休み時間になる。


 僕は神楽坂がいる隣の教室の前まで行き、

 一度、深呼吸をしてから声をかけた。


「よお、神楽坂」


「……誰ですか?」


 振り返った彼女の顔には、

 はっきりとした困惑の色が浮かんでいた。


 それも当然だ。

 クラスも違う、名前も知らない相手に、

 いきなり馴れ馴れしく話しかけられたのだから。


「隣のクラスの、西村颯太だ。

 見たことないか? 一応、何回か廊下ですれ違ってると思うんだけど」


「知りませんね」


 きっぱりと言い切られる。


「で、私に何か用でもあるんですか?」


 その声音には、わずかだが苛立ちが混じっていた。


 内心、少しだけ傷つく。

 だが、初対面でこんな距離の詰め方をすれば、

 こうなるのは当たり前だ。


 自分の中でそう結論づけ、

 僕は言葉を続けた。

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推しヒロインの死亡ルートを回避するため、悪役キャラに徹します みつば @mitsuba0916

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