第6話 古巣

「それで、間嶋と一緒にビリヤードやってるの? 練習がない時?」

 土曜日の午後、久しぶりにアイスリンクで会った無田は驚いたように言った。休みの杷と違って、学校から直行している無田は更衣室を借りて着替えた後だった。

「ああ。ようやく4回に1回くらいは勝てるようになってきた。あいつ、ほとんどミスショットしないんだよな」

「そりゃそうだよ。間嶋の特徴は精密にストーンを運べる技術と動じないメンタル。どれだけプレッシャーのかかったショットでも、あいつは涼しい顔して決めるんだ」

 無田は神妙な顔つきで言った。

「カーリングはね、厳密にポジションごとの役割が決まってるんだ。ハウスで投げる場所を指示するのはスキップと呼ばれる司令塔で、普通はこのスキップが最後に投げる。リード、セカンド、サード、スキップの順だね。ただ、これは原則だから他のポジションの人間がスキップをやってもいいんだ。スキップが最後に投げない場合の4人目をフォースっていうんだけど、うちはずっと間嶋がやってる」

「無田は?」

「スキップの俺はリードに入る。サードは今のところ忍部(おしべ)」

 名前を呼ばれ、隣のベンチでシューズを履き替えていた青年がぺこりと頭を下げた。ひとつ年上で、一関の高専に通っている。冬休み中は研究発表の準備で練習時間が取れなかったらしく、顔を合わせるのは今日が初めてだった。

「じゃあ、俺がセカンドをやるのか」

「確かに空いてるのはセカンドなんだけど……久世くんってショットは上手いのにスイーピングが下手なんだよね。セカンドはスイーピングの回数が1番多いんだよ」

 普段は気遣いに余念がない無田が、ことカーリングに関する話になるとはっきり物を言う。面と向かって下手と言われた杷は気恥ずかしさに頬を染めたが、無田は気付かずに続けた。

「まあ、それは後で考えよう。それにしても、間嶋が男友達と遊ぶなんて初めて聞いたよ。あいつ、学校でもずっと1人だしさ」

「無田とも話さないのか?」

 だが、返ってきたのは盛大なため息だ。

「そうなら今日だって一緒にここまで来てるって。間嶋とうまくやるコツ、わかったの?」

「んー……」

 杷は少しの間考え込んでから、ぽつりと言った。

「俺さ、いま五本指のソックス履いてるんだけど」

「え? うん?」

 無田が変な顔になった。

 杷は構わずに話を続ける。

「動きやすいからってスピードスケートやってる同級生に勧められたんだけど、最初はなんか慣れなくてさ。窮屈だし暑苦しいしで、家に帰ったらすぐに脱いじゃってたんだよな」

 それでも我慢して履き続けていたある日、慣れは前触れなくやってきた。足先に感じていた違和感が唐突に消え去っていたのだ。

「間嶋はそんな感じ。最初はきついけど、慣れると分かりづらいなりに付き合いやすいよ、あいつ。無田も今度一緒にビリヤードやる?」

「……遠慮しとく。俺は久世くんほど悟れる気がしないよ」

 噂をすれば、と他の三人に遅れて間嶋がやってきた。

「遅かったね。何かあった?」

「電車が事故で遅延」

 簡潔な口ぶりで無田に答え、更衣室へ着替えに向かう。

 杷は立てかけていたブラシを手にとって、先にリンクへ出ていた忍部の元へ挨拶をしにいった。隣に並ぶと、彼の背が随分と高いことが分かる。

 それに、と腕まくりをした二の腕から肩にかけて見事に隆起した筋肉に目を奪われた。無田から「忍部はいいスイーパーだよ」と事前に説明されていたが、これなら確かに目を見張るようなスイーピング力を持つ選手に違いない。

「何か他に運動してるんですか?」

「ああ、部活でハンドボールを」

「なるほど。でも、3年生って受験勉強とか大変なんじゃ……」

「高専は5年生まであるんだよ」

 忍部は爽やかに洗いざらした短髪の頭をかき、なぜか声をひそめた。

「ところで、その……君、フィギュアで有名な久世杷だろう? 怪我で引退したって聞いたけど、こんなところでカーリングなんかやってていいのか」

 きょとんとして、杷は彼に合わせて小声になる。

「よく知ってますね。有名っていってもジュニア時代の話ですよ。シニアの大会では一度も入賞すらしていない」

「母親が昔スケートをやってた関係で、よく大会を観に行ったりしてたんだよ。公私混同で申し訳ないんだが、あとでサインくれないか?」

「いいですよ。その代わり、スイーピングのコツを教えてください」

「お安い御用だ」

 既に引退している身でサインというのもおこがましいが、嬉しそうな忍部を見ていると悪い気はしない。

 今日の練習は2組に分かれてミックスダブルスのルールでの紅白戦となった。杷は忍部と組み、無田と間嶋が組む。

「試合形式ではあるけど、重要なのは勝ち負けじゃなくて練習の意味合いの方が強いから。チームにとらわれず、お互いに気になったところはどんどん声に出して検討していこう。久世くんは特にスイーピングね」

「わかった」

「第1エンドの先攻はこっちがもらってやるよ」

 そう言って黒い手袋に指を通した間嶋は、無田へ先に投げるように言った。ハウスの最も中心に近い場所へストーンを運んだチームが得点するカーリングでは、後攻の方が圧倒的に有利となる。経験の浅い杷がいるチームへのハンデというわけだ。

「この辺でいいかな」

 無田はハウスよりやや前のセンターライン沿いに自分たちのストーンをひとつ置いた。これをガードストーンといい、この後ろにストーンを隠すことで弾き出しにくくする役割がある。

「なんか変なの。ゲーム始める前に置いておくのってさ」

 杷のつぶやきに無田が言った。

「ダブルスは投げる回数が少ないからね。先にストーンがひとつ置いてあるだけで、展開がスピーディーになるんだよ」

 そして、無田の1投目。

 堅実にガードストーンの後ろに回り込むカム・アラウンドからゲームが始まった。杷は忍部とささやき合うように戦術を相談する。

「ダブルスは交互に投げるんじゃないんですよね?」

「そうだ。4人制の場合、1チームで使うストーンは8個。つまりひとり2投、リードから1投ずつ順番に投げるんだけど、ダブルスで使うストーンは5個だ。1投目と5投目、2・3・4投目で分ける」

 なら、と杷は忍部に先を譲った。

「お先にどうぞ」

「なるほど、間嶋と投げ合う方を取るか」

 忍部は面白げに呟き、反対側のハウスまで左足で氷を蹴るように滑って戻った。杷は、さきほど無田がハウスの中へ投げ込んだばかりのストーンをブラシで示した。こちらのストーンはその場に残せれば上々だ。

 忍部のデリバリーは軸が安定していて力強い。彼は投げるなりすぐさま立ち上がって、スイーピングするためにストーンの脇へぴたりと張り付いた。

 こちらが「掃け(ヤップ)!」と指示を出した途端、忍部のブラシが高速でストーンの前を擦り始めた。

(早い――!)

 裕に杷の倍は擦っているのではないかという早さで、なおかつ非常に丁寧なスイーピングだ。ほとんど上体が乱れず、擦る幅も一定をキープしている。

「よし」

 コン、と相手のストーンを僅かに弾いたのを確認して、忍部が頷いた。

「見てたろ? 掃くのはストーンの幅じゃなくて、氷に接するエッジを含む真ん中の部分だけでいいんだ。必要な幅だけをコンパクトにスイーピングできれば効率がよくなる」

 ストーンの幅が約30センチ、エッジの幅が15cmということを考えると、掃く長さを随分と節約できる計算になる。

 杷は理解した、と頷き、こちらのストーンにつける形でドローショットを決めた間嶋と入れ替わりでハックについた。

(ええと、4人制と違ってダブルスだと投げてすぐにストーンへ追いついてスイーピングを始めなくちゃならない……)

 忙しいな、と頭の中でこれからやるべきことをイメージする。4人制の場合は最初から左右に待機していてくれるスイーパーが、いまはいない。

 顔を上げると、忍部が「ここ」とブラシの先でさっき間嶋が投げたばかりのストーンを叩き、それから曲がり幅を計算に入れて右へ1メートルほど距離をとった場所にブラシを置いた。

 あのストーンの前につけろ、という意味だ。

 杷は深呼吸して指先の神経まで集中を高めると、そっと押し出すようにハックを蹴った。氷上を滑る心地よい感覚は、杷にとって歩くことよりも体に馴染んでいるような気さえする。ホッグラインと呼ばれるハックから10メートルほど離れた線の手前で、杷は優しく手を離した。

 そして、ゆっくりと回りながら進んでいくストーンにすぐさま追いつき、ブラシを構える。

「――ヤップ!」

 忍部の合図と共に、両手で掴んだブラシを氷に擦り付ける。ぐっ、と体が前のめりになって踵が浮いた。その状態で、ストーンの動きに合わせて横歩きに移動しなければならない。

(ストーンのエッジの前だけ掃く……!)

 だが、歩きながら手元を動かすのは思っているよりも難しく、杷のブラシは足を進める度にストーンの前からずれていってしまう。

「こうするんだよ」

 いつの間にかすぐ近くに来ていた間嶋が、向かいからブラシを当てて無駄なく前後に動かした。

「敵チームなのに手を出すなよ」

 杷は思わず非難したが、間嶋はどこ吹く風で更にスイーピングを早める。

「腕に力が入り過ぎなんだよ。もっとブラシに体重を乗せて――馬鹿、それじゃ前かがみ過ぎる」

 スイーピングする間、散々こちらに文句をつけた間嶋はなんとかストーンを目的の場所へ運んだ後で、ハウスの中にしゃがんで到着を待っていた忍部の意見を求めた。

「どうだ?」

「うーん、もうちょっと腕の筋力が欲しいな。練習を続けていればそのうちついてくるとは思うけど」

 杷は息を切らせながら、インナーの上に着ていたスウェットに手をかけた。

「くっそ暑い」

 室温は5度と低く保たれているが、本気で動くとすぐに汗ばんでくる。脱いだ上着をベンチへ放り投げるのを見ていた無田がふと声をかけた。

「久世くん、それフィギュアやってた時のウェア?」

「え? ああ」

 無田の質問に頷きながら、何気なく着ているインナーを見た。真っ黒な長袖のハイネックで防寒性がよく、体にフィットするので動きやすい。フィギュアでは体の動きや形がわかりやすいように、こういう体のラインが分かる服装が練習着として好まれる。

「あったかいし、動きやすいからそのまま使ってるんだけど。なにかまずい?」

「いや、全然問題はないよ。ないんだけど、そういう格好してると人目を引くというか既に引いているというか……」

 遠まわしな無田の言い方が何を指しているのか、杷は承知していた。盛岡駅からバスで5分という交通の便がよい場所にあるこのアイスリンクは、同じホールにスケート用のリンクとカーリング用のシートが併設されている。これらを隔てるのは利用客なら誰でも行き来できる通路のみだ。

 杷が振り返ると、通路の隅からこちらを覗いている女性たちと目が合った。小さく手を振られて、ぺこりとお辞儀する。

「きゃあっ」と小さな歓声が聞こえた。

(地元だからなぁ……)

 なにしろ、つい先月までは目の前にあるスケートリンクが杷の本拠地だったのだ。

「久世くんだって分かってるよね、あれ」

 無田は人の視線に慣れていないのか、明らかに居心地が悪そうだ。

「見覚えあるから、多分そう。大丈夫だよ、見てるだけで何もしてこないから」

「な、なにもしてこないって……すごい表現だね」

 感心と呆れが混ざり合った表情で、無田が言った。

「おい、次だぞ」

「悪い」

 立ち話をしていた2人を間嶋が呼び、杷はハックへ急いだ。

 散々、ビリヤードで練習したおかげで当てる角度の割り出しは慣れてきた。あとは、きちんとそこへ運べるかどうかだ。忍部の指すブラシの先だけを見据え、深呼吸してからゆっくりとハックを蹴り出す。手首をひねり、回転を加えたストーンが手を離れた。

 杷は膝に手をついて立ち上がり、滑るストーンとハウスで待つ忍部を交互に見やる。

掃くなウォー掃くなウォー

 忍部が大丈夫だと合図した。

 ほとんどブラシを使わないまま、杷の投げたストーンは黄色いストーンに張り付いていた赤いストーンをハウスの外へ弾き出す。

 ストーンが押し出される時のコンッ、という小気味よい音を杷は全身で味わった。

「やっぱりショットはいいね」

 続けて投げる間嶋のためにハウスから指示を出しながら、無田が褒めた。ちら、とその目が観客の方を気にしたが、彼女たちは楽しそうにスマートフォンをかざしてこちらの写真を撮るばかりだ。無田は咳払いして、何事もなかったかのように視線を戻した。

 前半の第4エンドを終えた時点で、スチールに2度成功した先攻の無田・間嶋チームが3点、第2エンドにダブルテイクを決めてファーストストーンとセカンドストーンを取った忍部・久世チームが2点。 

「トイレ」

 休憩時間に入ってすぐに、間嶋がそう言ってリンクから上がった。無田と忍部はハウスの後方に立って相談している。

「久世くんのポジションだけどさ、サードだとどうだろう?」

「いいね」

 あっさりと忍部が同意した。

「俺はもともとセカンドだったし、久世くんが構わないならそれでいいんじゃないか」

「だってさ、久世くんどう?」

 ポケットに入れてあったペットボトルの水を飲んでいた杷は、首を傾げてみせた。

「俺はどこでもいいけど、セカンドとサードで何が違うんだ?」

「サードはね、バイススキップって言ってスキップが投げる時、代わりにハウスに入って指示するんだよ。だからスイーピングする回数が忍部や間嶋よりも少なくなるんだ。スキップの次に重要なポジションだけど、うちの場合は俺がリードに入ってるでしょ? そんなに難しい指示を出すことにはならないから大丈夫。対してセカンドはパワータイプがやることが多いんだ。相手のストーンを外に出すテイクショットが多くなるし、スイーピングも多く回ってくるから。久世くんならサードの方が合ってると思うよ」

「わかった。サードってことは、間嶋の前か」

「そう。失敗してもフォースの間嶋がどうにかしてくれるから、気楽に――」

 冗談めかして笑った無田の気を引いたのは、ホールに入って来る青紫色のユニフォームを着た一団だった。

「やば……花巻CCだ」

「確かそれ、前に間嶋がいたっていうカーリングクラブ?」

「うん。隣のシートで練習するみたいだ。間嶋に報せに行った方がいいかな」

 無田は厄介ごとは勘弁だとでも言いたげに、忍部の意見を求めた。

「気にしすぎじゃないか? 昔の話だろうし、練習中に揉めごとを起こすようなことはしないと思うが……」

 この時点では、杷はどちらかというと忍部の方に同感だった。バス停で平然と女子にサービスを出来る間嶋の厚顔さを考えれば、内心がどうあれ、あからさまな態度に出すようなことはしないだろうと思われたのだ。

「大丈夫かなあ」

 無田はそれでも心配そうな顔をしていたが、別の意味で彼が不安になるまでそれほど時間はかからなかった。

 いつまで経っても、トイレに行ったはずの間嶋が帰ってこないのだ。

 3人の間に微妙な空気が流れる。

 まさか、という予感と胸騒ぎがして、杷は自分から名乗り出た。

「無田、俺ちょっと見てくる。この建物なら慣れてるから」

「ああ、うん。頼んだよ」

 杷は靴を履き替え、脱いだスウェットを腕に抱えてホールの外に出る。一番近くにあるトイレを覗いてみたが、間嶋の姿は見つからなかった。

 念のため、他のトイレも確認したがやはり見つからない。

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ヤップ! ツヅキ @6pm_tsu

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