【短編】魔法少女がいる世界で、定時終わりで怪異を狩るおっさん
鳥獣跋扈
魔法少女がいる世界で、定時終わりで怪異を狩るおっさん
午後五時、定時
社内チャイムが鳴るより早く、僕はパソコンの画面を閉じた。
閉じた、というより蓋をそっと落とした、と言ったほうが正しい。
ガタン、と音を立てるのは好きじゃない。変に目立つと上司に目を付けられるからね。
「
斜め向かいの後輩が、マウスを握ったまま言う。ディスプレイの光が頬の片側だけを青白く照らしている。
姿勢が悪いせいか、画面が近い。最近、視力が悪くなったと言っていたっけ。
「はい。定時ですので」
僕はいつもの丁寧口調で返し、椅子を引く。
キャスターの音がフロアに響かないように、そっと。
小さく頭を下げて、聞こえるか聞こえないかくらいの声量で挨拶をする。
「お先に失礼いたします」
返事はまばらだ。
みんな忙しい。忙しいというより、忙しいふりをしている――と言うと角が立つけれど、会社というのはだいたいそういうものだ。
誰だってそうだ。僕だって。
ネクタイを緩め、上着の内ポケットを指で確かめる。
そこにある硬い感触。名刺入れと、細い封筒と、携帯。仕事道具だ。
オフィスを出ると、空気が変わる。
暖房の乾いた匂いから、都会の湿った匂いへ。ビルとビルの間を吹く隙間風、夕方の風はどことなく懐かしい匂いがする。
駅までの道は、いつも通り。
コンビニの光、焼き鳥屋の煙、帰宅を急ぐ靴音。
――そして、街角の大型モニター。
『本日未明、都内で発生した怪異現象は、魔法少女機構の迅速な対応により鎮静化――』
ニュースの画面に、白いワンピースの少女が映る。髪に結んだリボンが、街の灯りを拾ってちらつく。
彼女はカメラに向かって笑っている。汗をかいているのに、作り物みたいに綺麗な笑顔だ。
足を止めるのは信号待ちの少しの間。
他の人達と一緒。携帯の画面を見ているか、モニターを見ているかの違いでしかない。
モニターに映る少女の背後。
瓦礫と水溜まりの中で、誰かが倒れている。顔はぼやけている。
その倒れ方を見れば、わかる。怪異の痕跡だ。
僕のスマホが震えた。
着信音は鳴らない。画面に出るのはいつも通りの短い文面。
【夜間対応】発生:第三区画/強度B+/魔法少女現着済み/補助要員要請
――はいはい。
心の中でだけ返事をして、僕は駅へ降りる階段を下った。
定時で帰るのは、サボりじゃない。
僕には、夜の仕事がある。
* * *
電車に乗って数分、目的地に到着した。
古い商店街と、新しいマンションが継ぎはぎになったような町だ。
駅を出ると、小雨が降り始めていた。アスファルトはすでに黒く濡れていて、街灯の光をぬめっと反射している。
「……あっ!」
細い声。
商店街の外れ、シャッターの降りた店の前で、白い影が跳ねた。
ニュースで見たのと同じ、白い衣装。
モニターで見た少女とは違うが、彼女もまた魔法少女だ。
近づくと、彼女はまだ息を整えられていない様子だった。額の汗が、雨と混じって頬を流れている。
僕は距離を保って、軽く会釈する。
「こんばんは。補助要員の伊達と申します」
「え、あ、はい……っ。夜間補助の……伊達さん?」
少女は、僕の顔を見て、少しだけ目を丸くした。
たぶん、思っていたより普通のおじさんが来た、という顔だ。
いえいえ、いいんですよ。その反応が普通ですから。
「えっと、私、
言いながら、視線が揺れる。
怖いのだ。怖くて当然だ。
少女を安心させるように、努めて柔らかく伝える。
「大丈夫。単独ではありませんよ。僕が参りましたので」
僕がそう言うと、しずくさんは一瞬、口を開けてから閉じた。
“おじさんが来たくらいで何が変わるの”と言いたいのだろう。顔に書いてある。
僕は怒らない。慣れているし。
「さて、では状況を教えていただけますか」
「えっと、はい。……この先のビルです。空きテナントが多い古い雑居ビルで、今日、管理会社の人が見回りに入ったら、四階から“笑い声”が聞こえたらしく……」
涼子さんの顔がこわばる。
「管理の人が中に入ったら、廊下が……不自然に長くなっていて。ドアが全部、会議室みたいなドアに変わってたらしくて、それで通報を。
私、結界を張って封鎖はしたんですけど……中に、まだ、人がいるかもしれないって……」
伸びる廊下。会議室のドア。笑い声。
――典型的だ。
「残業怪異ですね」
「えっと、ざんぎょう……?」
「はい。人の疲れと焦りが、形を持ってしまったものです」
僕は、上着の内ポケットから細い封筒を取り出した。
中身は紙だ。薄い、ただの紙。
封筒の中から、白い札を一枚抜く。
そこには、朱で押された丸い印。
『退勤』とデカデカと判が押されている。
「……それ、何ですか」
「定時で帰るための許可証です」
僕が真顔で言うと、しずくさんは一瞬だけ困った顔をして、でもすぐに引き締めた。
冗談だと思ったのだろう。こっちは大真面目なんですよ、これでも。
「行きましょう。中に人がいる可能性があるなら、優先は救助です」
雑居ビルの入口は、薄暗く、明かりがついているハズなのにおどろおどろしい雰囲気。
涼子さんが張ったという結界が、ドアの縁に淡い光を走らせている。
僕は一礼して、結界に触れた。
「入らせていただきますね」
「……丁寧すぎません?」
「……まま、お気になさらず」
結界の膜をくぐると、空気が一段冷えた。
雨の匂いが消えて、代わりに、古い紙とインクの匂いがする。
会社の匂い、あまり好きではない。
廊下は、聞いていた通り伸びていた。
外から見ただけだと普通の雑居ビルだったのが、この廊下の長さは以上だ。
壁には張り紙。「納期厳守」「品質第一」。
怪異の精神状態が知れる。
どこかで、笑い声がする。
乾いた笑い。
誰かが、無理に笑っているような。
「……聞こえますか」
涼子さんが囁く。
僕は頷いた。
「聞こえます。どうやら間違いないようですね」
階段を上がる。
二階、三階。
廊下の掲示が増えていく。「会議資料」「稟議」「差し戻し」。
ああ、嫌な言葉ばかりだ。
四階に着くと、空気がさらに重くなった。
廊下の突き当たりに、会議室のドア。
ドアの上には札がある。
【定例会議室】
中から、笑い声が聞こえる。
笑い声の合間に、キーボードの音がカタカタと響く。
「……いる」
涼子さんが、唇を噛む。
僕はドアノブに手をかけ、深く息を吐いた。ノックは三回。
「失礼いたします」
ドアを開ける。
会議室の中は、異様に広かった。
テーブルは無限に続いているように見え、椅子がずらりと並ぶ。
天井の照明はぎらぎらと白く、壁の時計だけが、ものすごい速さで回っている。
そして、中央。
――男がいた。
スーツ姿の男が、パソコンに向かって何かを打っている。
肩が上下し、顔は青白い。
声にならない笑いが、口から漏れている。
「はは……っ、ははは……」
笑っているのに、目は泣いている。
その背後に、黒い影が立っていた。
影は、人の形をしていない。
無数の腕。無数の紙。無数の判子。
それらが絡み合って、巨大な“上司”のような塊になっている。
判子が、空中を叩く音がする。
パン、パン、と。
その音が鳴るたびに、男はキーボードを叩く速度を上げる。
「……残業鬼」
僕が呟くと、涼子さんが聞き返す。
「鬼……?」
「ええ。とはいえランクはB+。油断しなければ大丈夫です」
僕は丁寧に言いながら、一歩前に出た。
「お忙しいところ恐れ入ります。退勤のお時間でございます」
残業鬼が、ゆっくりこちらを向く。
顔に当たる部分には、笑顔のマスクが貼られていた。
笑顔なのに、目がない。
そして、声。
『――まだ。まだ。まだ。』
低い声が、部屋の空気を揺らした。
机の上の紙が、バサバサと舞い落ちる。
『終わってない。終わってない。終わってない。』
男が、泣き笑いのまま手を動かす。
後ろに立つ鬼に迫られて恐怖のまま、意識は既に無いだろう。
「涼子さん」
僕は背中越しに声をかける。
涼子さんが、はっとして頷いた。
「はいっ」
「救助の準備を。僕が引き付けますので」
「え、でも――」
「大丈夫です」
僕は少しだけ、笑った。
涼子さんが心配そうな顔をするが、今は説明をしている時間が惜しい。
次の瞬間、紙の束が刃みたいに飛んできた。
僕は反射で身を沈め、半歩だけ前へ滑る。避けるより先に距離を潰す。
紙の刃が頬を掠め、熱い線が走る。
痛みは一旦無視。
「お忙しいところ恐れ入ります。退勤の時間ですよ」
丁寧に言いながら、僕は机を蹴って跳んだ。
残業鬼の腕が上からから振ってくる。鉄の塊みたいな大きい拳が風切り音と共に迫る。
僕は空中で身体を捻り、肘で受け流す――受けた瞬間にバチンと激しい音が鳴るが、音が大きいで衝撃はほぼ無い。
着地と同時に机がきしむ。
すると、それに合わせて横から紙の鞭が飛んでくる。
僕は振り向かない。
肩甲骨を引いて上体を落とし、鞭の下をくぐる。髪の毛が数本切れて落ちた。
そのまま残業鬼の懐へ潜り込む。
近い。
『――働け。』
声が頭蓋の内側を叩く。並みの術者なら気絶するくらいの音声が脳内に直接響く。
けれど僕は、それを務めて無視する。細かく息を吐いて思考をクリアに。
僕は、横薙ぎにされた残業鬼の腕を一つ掴んだ。
掴んだ腕をぐいと引き、迫る体に肩で“当てる”。
体重を預けるのではなく、角度で刺す。
――衝撃が通り、体を構成している中身がばらけた。
ばらけた隙間の奥に、黒い“核”が見えた。
怪異のコア。これを破壊すれば倒れる。
拳をまっすぐ突き刺す。
打ち抜くように鋭く。
腰を回し、踵を返し、拳を短く滑らせる。
ドン。
乾いた破裂音がして黒い核がひしゃげた。
『――まだだ!』
残業鬼が暴れる。
机や椅子がしっちゃかめっちゃかに吹き飛んでいく。
僕は引かず、逆に踏み込む。
暴れているということは、ダメージがそれだけ入っているということだ。
次は肘。肘は拳より鋭い。
肘を核へ落とし、すぐさま返す様にして掌底。
最後に蹴り上がるように膝を一発。
バキン――
何かが折れる音が、騒がしい暴風みたいな空間ではっきりと聞こえた。
核が小さく震え抵抗が弱まる。
残業鬼の体が、紙屑みたいに崩れ始めた。
僕は呼吸を整え、最後にもう一度だけ、拳を置くように当てた。
「お疲れさまでした。……終わりです」
黒い塊が、粒子となって消えていった。
会議室の形が、元に戻っていく。
無限に続くと思われたテーブルが縮み、天井の照明が普通の蛍光灯に戻る。
時計の針も、静かに正しい速度へ落ち着く。
先ほどまで鬼気迫る表情でキーボードを叩いていた男が、ぐったりと椅子にもたれていた。
目だけが動いて、僕を見る。
「……あ、あの……」
声が震えている。
彼は、自分が何をしていたのか理解できていない。
きっと夢を見ている気分だろう。悪夢、という名の方だが。
「大丈夫です。心配ありませんよ」
僕は屈んで、視線の高さを合わせた。
「お名前、伺ってもよろしいですか」
「……さ、佐久間……」
「佐久間さん。お疲れさまでした。今夜は帰りましょう」
涼子さんが駆け寄ってきて、杖――魔法の道具を掲げた。
淡い光が佐久間さんの身体を包み、残っていた黒い靄を剥がしていく。
佐久間の顔が穏やかな表情になり、ゆっくりと呼吸が整っていく。
「……助かりました。伊達さん、すごいんですね……」
涼子さんの声には、驚きと悔しさと、少しの安心が混じっていた。
僕は軽く首を振った。
「いえいえ。あくまで僕は補助ですので」
「補助……? あれで……?」
涼子さんは納得していない。
そりゃそうだ。
僕は、廊下に出て呼吸を整えた。
スマホから連絡を入れる。これで救助班が入ってくるはずだ。
僕たちの役目はここまで、あとは引継ぎの人にお願いしましょう。
階段を下りる途中、涼子さんが小さな声で訪ねてきた。
「伊達さんって……魔法が使えないんですよね」
「ええ。だから補助員をやっています」
「でも、あれだけ戦えるのに、どうして……」
僕は少し考えてから、正直に答えた。
「……規則、だからですかね」
しずくさんは、黙った。
納得がいっていない様子だが、人には人の価値観がある、ということで一つ。
ビルの外へ出ると、雨が少し強くなっていた。
街灯の光が雨粒を白く照らし、アスファルトの匂いが立ち上がる。
「……あの、伊達さん」
涼子さんが傘を差しながら言う。
可愛らしい、ピンクの傘だ。
「私、今日、怖くて。正直、逃げたかったんです。魔法少女なのに」
「ソレが普通です」
僕は丁寧に返した。
「怖くないほうが危ない。……怖いけど、助けたいと思える。それが魔法少女なんでしょう?」
そういうと、涼子さんが一瞬目を丸くした後に薄く笑って頷く。
「でも、伊達さんは怖くないんですか」
僕も傘を差しながら答える。ビニールの安物の傘だ。
「ええ、もちろん怖いですよ。残業手当が出ないんですから」
一瞬、何を言っているのか分からない様子の涼子さんだったが、冗談だと思ったのか、ふふふとお淑やかに笑った。
* * *
解散は駅前だった。
佐久間さんは無事に機構の車で送られたらしい。
涼子さんは報告書だと言って、スマホに何かを書き込んでいる。
僕はその横で、頭を下げた。
「本日はお疲れさまでした。お気をつけて」
「伊達さんも……。あの、また……」
「はい。機会があれば」
しずくさんは何か言いかけて、言葉を飲み込んだ。
魔法少女に比べて、補助員は悪く言えば消耗品。いついなくなってもおかしくない存在。
僕は代わりに、こう言った。
「涼子さん。今夜は、帰ったら温かいものを飲んでください。できれば甘いものも」
「……はい」
涼子さんは小さく笑った。
少しだけ肩の力が抜けた笑いだ。
電車に乗り、いつもの駅で降りる。
帰り道にいつものコンビニでいつもの弁当を買う。レジの店員さんに会釈をし、袋を受け取る。
この“普通”が、僕には大事だ。
マンションの廊下は静かで、どこかの家の夕飯の匂いがする。
鍵を開け、靴を揃え、照明をつける。
部屋は広くも、狭くもない。男一人で生活するには十分な広さだ。
手を洗い、鏡を見ると、頬の傷が赤くなっている。
僕は絆創膏を貼りながら、ため息をついた。
「……今日も、無事に定時で終えられました」
誰に言うでもなく口に出す。
口に出すことで、ようやく終わった感じがする。
台所に立ち、味噌汁を作る。
鍋の中で味噌が溶ける匂いが部屋を満たしていく。
食欲をそそる匂いと共に、弁当をテーブルに乗せたとき、スマホがまた震えた。
【夜間対応】発生:区画未定/強度AAA/魔法少女複数名死亡/限定職員要請
やれやれ、どうやら今日は残業があるらしい。
――明日の昼仕事に間に合うと良いんですが。
湯気を上げる味噌汁に蓋をして、弁当を冷蔵庫に入れて家から出る。
外では、雨が静かに降り続いていた。
街は眠らない。
怪異も眠らない。
さて、もうひと働きしましょうか。
【短編】魔法少女がいる世界で、定時終わりで怪異を狩るおっさん 鳥獣跋扈 @tyoujyuubakko
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます