ちいかわと文学の話
あまね
第1話 春と修羅
今日も私はひとりごつ
初めまして、私あまねと言います。最近ちいかわにハマった者です。
いまのいままでちいかわという名前は知ってたけど、それがどういうものかは全く知らなかった…
めざましテレビで時々やってるな~ってくらいの知識しかなかったよ。
でもいまは、超ハマった!
正直、ただ可愛いだけの生き物が仲良く暮らしてるだけだったらこんなに感情揺さぶられることはなかったと思う
揺さぶられるどころか、超高速のジェットコースターでブッ飛ばされた気分だ
ちいかわの世界は、想像していたより遥かに残酷でシビアだったから!
あの可愛いちいかわたちの背後に、不穏な闇が……
まぁそれはそうとこの記事では、ちいかわと文学について語りたい。
何でかっていうと、文学が好きだから……
思いつきで行動して後のことは考えない、それが私!
まずは書くしかないぃ!!
早速ですが、いま映画化が決定してメチャメチャ話題になってますね…
ちいかわ『セイレーン編』!
私も読んだけど、この物語は、作者のナガノ先生がもともと映画のために描いたお話になるとか。人気が出たから映画化しよう ってことじゃなくて、元から映画にする前提で描いたんですね。
すごいな! ちなみに私ちいかわで最推しなのが、このセイレーン編に出てきた葉っぱちゃんたちです。
葉っぱちゃんまたは、一葉、双葉と呼ばれているけど、それは正式な名前じゃなくて読者の間で呼ばれるようになった。
頭に一枚葉が付いてるのが一葉、二枚が双葉ね。なのでここではそう呼ぶことにします。
このふたりを見ていると、宮沢賢治の『春と修羅』を思い出しました。
春と修羅は、宮沢賢治が生前唯一出版した詩集になります。
まことのことばはうしなはれ、
雲はちぎれてそらをとぶ
ああかがやきの四月の底を
はぎしり燃えてゆききする
おれはひとりの修羅なのだ
──春と修羅から一部抜粋
「修羅」というのは仏教の世界観で、六道の一つ。激情や怒り、争いなどの感情のこと。阿修羅の持つ激しさと怒りと、それらの煩悩を抑えることのできない悲しみも含まれるかもしれない。
元はといえば、セイレーンが島民を襲う原因を作ったのはセイレーン自身だ。
ある日、葉っぱちゃんたちはいつものようにふたり仲良く海で船釣りをしていた。そこにセイレーンが現れ、ふたりの乗っていた船を破壊してしまう。
命からがら海岸にたどり着くけど、双葉のほうはセイレーンの尾びれの下敷きになり、瀕死の重傷を負ってしまった。それで慌てて看病するも、双葉はもう助からない…そんなとき一葉は人魚のことを思い出す。人魚の肉を食べた者は不老不死になるという、都市伝説みたいな話だけど、そのときの一葉にとっては大切な友達を救いたい一心だけだった。
そしてセイレーンに対する怒りと復讐心
それなら、セイレーンと一緒に居た人魚の肉があれば……
そうして一葉はこっそりセイレーンのすみかに忍び込み、人魚の一匹を上手く誘導してセイレーンと離れた場所で撲殺する。
その瞬間、一葉は修羅になる。
事情を知らず人魚の肉を食べ不老不死になった双葉も同罪で、ふたりは永遠にその罪を隠しながら、暗い修羅の道を歩いていくことを決断する。
セイレーンもその後復讐のため島を襲うようになる。
きっと勇敢な島民はみんなセイレーンに立ち向かって殺されたんだと思う。
もう島には臆病な島民しか残っていなかったのはそのせいかも…それで彼らは、自分たちの代わりにセイレーンを討伐してくれる者をチラシで募った。報酬はいつもの100倍!ごちそうも実質無料!という名目に釣られ意気揚々と島にやってきたちいかわ、ハチワレ、うさぎたち。他のちいかわ族も大勢来てみんな島で飲み食いして大はしゃぎだったけど、次の日、衝撃の事実が告げられる。報酬100倍は嘘で、みんなにはセイレーンという怪異と戦ってもらいます。報酬は昨日食べたごちそうと、特産品の詰め合わせのみと聞かされ、ほとんどのちいかわ族は悲鳴を上げて逃げていく。
残ったのはちいかわ、ハチワレ、うさぎ、ラッコと、あとからやってきたモモンガとカニちゃんだけ。
このときまでは、ちいかわたちもセイレーンを討伐する理由がなかったから帰ろうとした。けどそのとき大きな悲鳴が聞こえ、ちいかわたちも驚いてそっちへ行くと、セイレーンが島にきて島民を襲っていた!
島民のひとりが捕まり、いまにも殺されそうだったのでそれを助けようとラッコが戦うが、モモンガの投げたビンヨヨがラッコの足に絡まり、動けなくなったところをセイレーンに連れ去られてしまう。
それを知ったちいかわたちは急いでラッコを救出しにいくことになり、戦いに巻き込まれていく。
島民ばかりか部外者のちいかわたちが危険な目に遭っても、葉っぱちゃんたちは自分が犯人だとは名乗り出ない。そんなことしたらセイレーンに差し出されるから!
誰が犠牲になろうと、葉っぱちゃんたちはお互いさえ無事ならそれでいいと言わんばかりだ。
それがちいかわたちと違う点だね。
ちいかわたちは問題が起きたらまず自分で解決しようとする。それでも無理だったら仲間の力を借りるけど、葉っぱちゃんたちは最初から問題を解決する気はなく、誰とも相談せずに自己完結した。
島民にとっては、それまでセイレーンと上手く共存できていたのに、何故突然変わってしまったのか?セイレーンに襲われる理由が分からないまま犠牲になった島民も多く居ると思われる。そういう理不尽が起きるのがちいかわの世界…
思っていたよりもダークな世界観だ。
余談ですが、どうしてこのセイレーン編を映画用のストーリーにしたのかっていうと、めざましテレビで朝から放送できないくらいの話だったから?
でも「拾魔編」もけっこうヤバかったよ…
まぁ、何やかやでちいかわたちはセイレーンに激辛カレーを食べさせることに成功し、もう島を襲わないと約束させ、いちおうの解決を果たす。
その夜、セイレーンを撃退し歓喜した島民は宴を開き、ちいかわたちも参加し、飲んで食べて盛り上がるなか、葉っぱちゃんたちは誰にも気付かれることなく夜の闇へと消えていく。
ちいかわたちが帰るときにも、見送りのなかに葉っぱちゃんの姿はなく、ハチワレはさよならを言えなくて残念がっていた。
その頃もう既に葉っぱちゃんたちは島を抜け出し、別の場所へと向かっていた。
そして小さな無人島にたどり着く。ここは誰も居ないようだ、僕たちはもう誰とも関わることなく、ふたりだけで永遠に暮らそう
ふたりはそこを安住の地とするが、その考えは砂糖菓子のように甘かった。
一度修羅に堕ちた者には、安住などない!
この物語の最後は、葉っぱちゃんたちの居る島にセイレーンと人魚が泳いで向かっているような姿が描かれている。
……(精神に52万ダメージ!)
お、おぉ……私含め多くの読者が瀕死の重傷を負うラストだった。
葉っぱちゃん、残念だけど理由がどうあれ人魚を殺した罪は消せないんだよ。
「春と修羅」は、対極の関係だと思います。
春は明るくて楽しげで、愉快なものだけど、修羅に堕ちた葉っぱちゃんたちが春の季節を楽しむことは、もうありません。
『カラダピッタリのオリに入れて深くてくらーいとこで「永遠のいのち」を味わってもらうの』というセイレーンの言葉のように、葉っぱちゃんたちは永遠に暗い場所へと沈んでいくから……
ハッピーエンドでは絶対に終わらせないというナガノ先生の執念が感じられます。
ちいかわ最高ーー!!!
今記事では、ちいかわと文学について書いていきたいと思います。では、また!
ちいかわと文学の話 あまね @amanemycra
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