第1章 氷の公爵と契約結婚 ~ただし、心の声は限界オタクです~
お姫様抱っこは「重さ」の概念がない
「……捕まっていろ」
私の返事を待つこともなくジークフリート公爵の右腕が私の膝裏に差し込まれた。
次の瞬間、世界がふわりと浮き上がる。
「きゃっ……!?」
「静かに」
いわゆる「お姫様抱っこ」だ。
広間中の令嬢たちが「きゃああっ!」と悲鳴を上げ、殿下が「な、何を勝手な!」と喚くのが遠くに見える。
公爵は私を軽々と抱え上げると、邪魔な羽虫でも払うかのように鋭い一瞥(いちべつ)を周囲にくれた。
その視線だけで誰もが道を開ける。
さすがは国の暗部。
圧倒的なカリスマ性。
……と言いたいところだけれど。
『かるっっっ!!軽すぎる!綿菓子か!?ちゃんとご飯食べてるのか!?あのバカ王子、リリアナ様に食事制限とかさせてたんじゃないだろうな、万死に値する!でもおかげでこうして抱き上げることができた、ありがとう神様!いや、やっぱり軽いのが心配だ、屋敷に帰ったら専属シェフに最高カロリーで最高に美味いコースを作らせよう。太らせないと!』
(……思考の切り替えが早すぎるのよ)
彼の胸板に押し付けられた耳と、背中や膝に触れる腕から、凄まじい情報量が流れ込んでくる。
外見は涼しい顔で大股に廊下を歩く公爵。
でも心の中は、おばあちゃんのような過保護さで埋め尽くされていた。
『ああ、それにしても近い。リリアナ様の香りがする。柑橘系?それともお花の香り?緊張で鼻がおかしくなりそうだ。心臓の音、聞こえてないかな?うるさいって嫌がられてないかな?大丈夫だ、俺は鉄仮面。表情筋は死んでいる。バレてない、絶対にバレてない』
(全部聞こえてます。心臓の音より心の声のほうがうるさいです)
私は公爵の首に腕を回すこともできず(触れる面積が増えると声が大きくなりそうだから)小さく身を縮めていた。
◇
王城の車寄せには漆黒の馬車が待機していた。
公爵家の紋章が入った要塞のように立派な馬車だ。
御者が震え上がりながら扉を開ける。
「……乗れ」
公爵は私を丁寧に、まるで壊れ物を扱うようにシートへ下ろしてくれた。
その瞬間、身体的な接触が途切れる。
(……ふぅ)
脳内の騒音が消え、静寂が訪れる。
公爵も向かいの席に乗り込み、重厚な扉が閉められた。
馬車が動き出す。
薄暗い車内。
目の前には、腕を組み、不機嫌そうに目を閉じる「氷の公爵」。
沈黙が痛い。
普通なら、ここで「どこへ連れて行く気ですか」とか「私をどうするつもりですか」と聞くべき場面だ。
でも、私は知ってしまっている。
彼が今、腕を組んでいるのが「威圧」のためではなく**「手汗を拭いたいけど拭えない葛藤」**によるものだと。
「……あの、公爵様」
私が恐る恐る声をかけると彼はビクリと肩を震わせ、ゆっくりと瞼を開けた。
氷のような青い瞳が私を射抜く。
「……なんだ。言っておくが逃げようなどとは考えるな」
低く、ドスの利いた声。
「逆らえば斬る」と言わんばかりの圧力。
私はそっと手を伸ばし、彼の組んでいる腕――その手首あたりにちょこんと指先を乗せた。
「っ!?」
公爵が息を呑む。
と同時にスイッチが入る。
『うひゃあああああああっ!!触れっ、触れてくれたぁぁぁ!!向こうから!リリアナ様から!これは夢か?走馬灯か!?もしかして僕、「逃げるな」とか偉そうな口きいて嫌われたかと思ったけど、許されてる!?あの震える指先が愛しい!今すぐその指に口づけをして忠誠を誓いたいけど、そんなことしたら変態だと思われるから我慢だジークフリート、耐えろ、耐えるんだ!!』
私は指を離した。
「……いえ、なんでもありません。助けていただきありがとうございます」
にっこりと微笑むと、公爵は口元を手で覆い窓の外へ顔を背けてしまった。
耳が真っ赤だった。
(……これ、もしかしてすごくチョロいのでは?)
絶望の淵から一転。
私の新生活は、どうやら「静寂」とは無縁だが、「冷遇」とも無縁なものになりそうだ。
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