第1章 氷の公爵と契約結婚 ~ただし、心の声は限界オタクです~

お姫様抱っこは「重さ」の概念がない

「……捕まっていろ」


私の返事を待つこともなくジークフリート公爵の右腕が私の膝裏に差し込まれた。

次の瞬間、世界がふわりと浮き上がる。


「きゃっ……!?」

「静かに」


いわゆる「お姫様抱っこ」だ。

広間中の令嬢たちが「きゃああっ!」と悲鳴を上げ、殿下が「な、何を勝手な!」と喚くのが遠くに見える。


公爵は私を軽々と抱え上げると、邪魔な羽虫でも払うかのように鋭い一瞥(いちべつ)を周囲にくれた。

その視線だけで誰もが道を開ける。

さすがは国の暗部。

圧倒的なカリスマ性。

……と言いたいところだけれど。


『かるっっっ!!軽すぎる!綿菓子か!?ちゃんとご飯食べてるのか!?あのバカ王子、リリアナ様に食事制限とかさせてたんじゃないだろうな、万死に値する!でもおかげでこうして抱き上げることができた、ありがとう神様!いや、やっぱり軽いのが心配だ、屋敷に帰ったら専属シェフに最高カロリーで最高に美味いコースを作らせよう。太らせないと!』


(……思考の切り替えが早すぎるのよ)


彼の胸板に押し付けられた耳と、背中や膝に触れる腕から、凄まじい情報量が流れ込んでくる。

外見は涼しい顔で大股に廊下を歩く公爵。

でも心の中は、おばあちゃんのような過保護さで埋め尽くされていた。


『ああ、それにしても近い。リリアナ様の香りがする。柑橘系?それともお花の香り?緊張で鼻がおかしくなりそうだ。心臓の音、聞こえてないかな?うるさいって嫌がられてないかな?大丈夫だ、俺は鉄仮面。表情筋は死んでいる。バレてない、絶対にバレてない』


(全部聞こえてます。心臓の音より心の声のほうがうるさいです)


私は公爵の首に腕を回すこともできず(触れる面積が増えると声が大きくなりそうだから)小さく身を縮めていた。



王城の車寄せには漆黒の馬車が待機していた。

公爵家の紋章が入った要塞のように立派な馬車だ。

御者が震え上がりながら扉を開ける。


「……乗れ」


公爵は私を丁寧に、まるで壊れ物を扱うようにシートへ下ろしてくれた。

その瞬間、身体的な接触が途切れる。


(……ふぅ)


脳内の騒音が消え、静寂が訪れる。

公爵も向かいの席に乗り込み、重厚な扉が閉められた。

馬車が動き出す。


薄暗い車内。

目の前には、腕を組み、不機嫌そうに目を閉じる「氷の公爵」。

沈黙が痛い。

普通なら、ここで「どこへ連れて行く気ですか」とか「私をどうするつもりですか」と聞くべき場面だ。


でも、私は知ってしまっている。

彼が今、腕を組んでいるのが「威圧」のためではなく**「手汗を拭いたいけど拭えない葛藤」**によるものだと。


「……あの、公爵様」


私が恐る恐る声をかけると彼はビクリと肩を震わせ、ゆっくりと瞼を開けた。

氷のような青い瞳が私を射抜く。


「……なんだ。言っておくが逃げようなどとは考えるな」


低く、ドスの利いた声。


「逆らえば斬る」と言わんばかりの圧力。


私はそっと手を伸ばし、彼の組んでいる腕――その手首あたりにちょこんと指先を乗せた。


「っ!?」


公爵が息を呑む。


と同時にスイッチが入る。


『うひゃあああああああっ!!触れっ、触れてくれたぁぁぁ!!向こうから!リリアナ様から!これは夢か?走馬灯か!?もしかして僕、「逃げるな」とか偉そうな口きいて嫌われたかと思ったけど、許されてる!?あの震える指先が愛しい!今すぐその指に口づけをして忠誠を誓いたいけど、そんなことしたら変態だと思われるから我慢だジークフリート、耐えろ、耐えるんだ!!』


私は指を離した。


「……いえ、なんでもありません。助けていただきありがとうございます」


にっこりと微笑むと、公爵は口元を手で覆い窓の外へ顔を背けてしまった。

耳が真っ赤だった。


(……これ、もしかしてすごくチョロいのでは?)


絶望の淵から一転。

私の新生活は、どうやら「静寂」とは無縁だが、「冷遇」とも無縁なものになりそうだ。

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