第9話 二人のディナー

 今日はクラブチームの練習が無い木曜だ。 いつもならチームの練習が無くても、夜七時半くらいまで練習場で自主練をするのだが、姉の美沙から頼まれていた事をやるために、学校でランニング程度だけやって、さっさと帰宅した。

「ただいま」

 玄関の扉を開けて家に入ると、足元に米袋が置いてある。 俺のミッションは、今からこの三十キロの米袋を、彦三町の子ども食堂に届ける事だ

 実は今、ウチの家にはかなりの米が有る。 伯父さん、つまり親父の兄貴は、金沢市の郊外で米農家をやっていて、中元やお歳暮の時期になると、そこからウチに米が届くことになっている。 去年の夏はめちゃくちゃ暑かったので、米粒が割れたりして主食用に販売できない米が例年以上に発生したらしい。 さらに加工用米もだぶついて値崩れしているらしく、そちらに販売しても儲けにならないからと、例年よりかなりたくさんの米がウチに送られてきた。 だから家の納屋には、まだ五袋以上の米が残っている。 さすがにこれだけの量は我が家だけでは食べきれない。 割れが有っても味は良いので、子ども食堂に寄付するという美沙の考えには賛成だ。

 そして最近美沙は、夜出かける事が多い。 今日もそうらしい。 理由は知らないが、お年頃だから聞いてはいけない事だと思っている。 夜、美沙が家に居ない時は、親父と冷凍庫に大量に保存してあるカレーを食っているのだが、実はもうこのカレーに飽き飽きしている。 だが今日の夜は米を運んだついでに、そこで晩飯を食ってもいいらしい。 米袋運搬という労働を、文句も言わず引き受けた本当の理由は、子ども食堂での晩飯だ。 カレー以外の飯が食えるんだったら喜んでやるよ。

 自転車の荷台に米袋をくくり付けて家を出た。 そこは家から自転車でニ十分くらいの所にある協働センターを利用した子ども食堂だ。 俺も昔、二,三回利用したことがある。 だから何となく食堂のシステムは覚えているのだが、しかし高校生になった俺が一人で利用して良いものか?と多少不安を感じながら自転車を漕いだ。

 到着して建物の裏手に回り勝手口から中に入った。 そこは直ぐキッチンになっている。 中では四十から七十才くらいのおばさん達が忙しそうに動き回り、食事の準備をしていた。

「あら! イケメンが来た」

 一人のおばさんが気付いて声を上げた。 名前を告げると後の説明はいらなかった。

「ご苦労様。 お姉さんから電話で聞いてるよ。 子供たちの分が終わったらあなたの分の食事も準備するから待ってて」

 言われた通り、キッチンで突っ立って待っていた。

「立ってないで、そこに椅子が有るから座ってなよ」

「重いのに大変だったね。 ありがとう」

 いきなりここにやって来て所在なさげにしていた俺に対し、おばさん達が次々と声を掛けてくれる。 やっぱり子ども食堂で働いている人は皆優しい人ばかりなんだろうな。 普段来ることの無い場所なのになぜだか心が落ち着いていく。 良い事をした晴れやかな気持ちとそれを感謝される喜びがセットになると、幸せの感じ方が倍増するのかもしれない。 最近、将来のことに迷って少しイラついて濁った俺の心が澄み渡っていく気がする。 でも昔の俺は毎日こんな気持ちだったかもしれない。 キッチンの隅の椅子に座ったまま、食事場兼遊び場になっているホールに目を移した。

 食事をしている親子が十人位。 食事が終わって遊んでいる子どもが五人。 そして配膳や子どもたちの相手をしているスタッフの人が居る。 そのスタッフの中で、飛び切り若い女性が居た。 俺はその女性に目が釘付けになった。

「昔谷さんだ!」

 何で? 何故ここに居るんだ? 驚き過ぎて危うく椅子からコケるところだった。 おばさん達に動揺を知られると恥ずかしい。 無理やり心を鎮めて状況を推測してみた。

 親がこの子ども食堂の運営者だとか? それともここに居るおばさんの誰かの娘だとか? いや、それとも自主的にボランティアか? 確か、学校にもこんなボランティア募集の掲示が有ったような気がする。

 だが……いずれにしても参った。 こんな時間、普通の高校生は家でゴロゴロしていたり、晩飯を食っていたり、勉強していたり……、とにかく自分の事しかしていないんじゃないだろうか? 学校が終わった後に、こんな風に他人の為に働いているなんて……。 昔谷さんは一体何者なんだ?

 正直、俺は他人にあまり興味を持つことが出来ない変人だと思っている。 時々周りの奴らからもそう言われる。 でも、どうやら昔谷さんに対しては無関心でいられないみたいだ。 既に気になってソワソワしている。

 そして先週学校で見た時は、身長が伸びていて驚いたけど、今はそこに居る昔谷さんにはさらに驚かされる。 学校で見た時とは別人のように大人だ。 女性は身に着けるもので印象が変わると聞いたことが有るが、制服じゃないとこんなにも変わるものなのか? 身に着けているのは割烹着なんだけど……。 どうも昔谷さんだけ、可愛いメイド服を着ているように見える。 身長が高くて割烹着の丈が合っていないからかな? それとも俺も目がおかしいのか? 素敵な大人の女性だ。 本当に俺より一つ年下なのか?

 食事を終えた子どもたちが昔谷さんに群がってきた。 慕われているんだ。

 一人の男の子が、甘えて腰のあたりにしがみついている。 くそーあのガキ。 張り倒して俺が代わりにしがみつきたい。 はっ? いや、俺今何考えてたの? やっぱり俺、本当におかしい。 首を振って正気かどうかを確かめてみた。 どうやら頭は狂っていないみたいだ。

「いつまで見つめてんの?」

「んぉ!」

 びっくりした。 調理していたおばさんに気付かれてしまった。

「弥生ちゃんが気になるんでしょ」

「……いや……あの……。 彼女、いつもここに居るんですか?」

 情けない。 俺、めっちゃしどろもどろだ。

「そうだよ。 でもいつもって言っても、ここは月二回しかやって無いけどね」

「そうなんですか……。 あの、昔谷さん昔からずっとここで働いているんですか?」

「違うよ。 あの子小学校の高学年の時にここに来るようになったんだけど、その頃は一人で来て食事だけして帰ってたんだよ」

 なるほど……。 どうやらこのおばさんは話し好きみたいだ。 昔谷さんの事を教えてもらえるかな?

「小学校の時から? 一人でですか?」

「そう。 あの子のお母さんが病気がちだったから、昔から一人で来てたよ。 お父さんは仕事が忙しいとかで、夜遅かったから」

「そうなんですか……」

 母子家庭とかじゃ無いんだ。

「中学になって、お母さんの病気も良くなって、しばらく来てなかったんだけど、高校に入ってから、今度はスタッフとして来てくれるようになったんだよ」

「ボランティアって事ですか?」

「そう」

 ふーん、なるほど。 それにしても、元々ここの子ども食堂を利用していたという取っ掛かりはあったにせよ、ボランティアとして活動するのは正直凄い。 俺なんて一日の内、目を開けている時間は全て自分の事しか考えていない。 昔谷さんみたいに他人の為に行動するなんて全く無い。 そりゃあ昔谷さんは大人に見えるわけだ。 完全に納得した。 彼女は俺なんかより、そして学校の他の奴らより大人だ。

 学校で同じ制服を着ていると、皆同じ境遇で同じ価値観を持って生きていると錯覚してしまうけど、それぞれ違うんだ。 勘違いしてはいけない。 そういう俺だって普通か?と問われれば、普通と言いきる自信はない。 昔谷さんはどういう気持ちでここのボランティアをやっているんだろう? 他人の為に働くってどういう気持ちなんだろう? 彼女の事が知りたい。

「弥生ちゃん、いい子だよー。 はい出来た。 おーい! 弥生ちゃん、もういいよー!」

「はーい」

 昔谷さんが返事をしながら台所の方を振り向いた。 俺と目が合った。

「んわぁ!」

 昔谷さんが驚いて叫んだ。 腰にくっついて、じゃれていた子はびびって倒れた。

「弥生ちゃんと一緒に食べな」

 おばさんが二人分の食事をトレーに乗せ、俺の前に差し出してきた。


 そのディナーは突然やって来た。

 駅の近く、北陸有数の高層ホテルの最上階レストラン。 眼下には市内の灯が広がる。 シュワシュワした甘いのを飲みつつ、憧れの人(イッサさん)と、ゆったりコースの始まりを待つ……なんて訳も無く。

 割烹着を着たまま、子ども食堂の長テーブルにイッサさんと向かい合って座っている。 しかも子どもたちの視線を一身に浴びながら。 せっかくイッサさんと一緒なのに、これじゃあムードも何も無いんですけどぉー。 それでも憧れの人が目の前に居ると思うと、高鳴る私の胸。 しかしそれすら子どもたちが打ち砕く。

「恋人同士?」

 は? 何聞いてくんの! 君は若い男女が一緒に居るのを見ると、所かまわずそれを聞くんだろ。 ちびっ子は遠慮せずに心をえぐってくる。

「どうかなぁ」

ほへ? イッサさん否定しないの? 恋人同士じゃない事は明白な事実ですが・・・・・・。 ちびっ子の質問にリップサービスなんて必要ないんですよ。 それとももしかして脈ありって事? 

「キスした事ある?」 と、別の子。

 あ――――も――――! さっきまで天使の様に可愛いと思っていたこの子たちを、今すぐ張り倒したい。

 その後も、「結婚するの?」とか「子供は何人?」とか質問してきやがって。 イッサさんとのスイートタイムを邪魔するんじゃない。 しょうがない。 ここは一旦子どもたちを無視して、黙々と食事を進めるしかない。 苦行か?これは。

 しばらく耐え忍んでいると、夜の八時半をまわって子どもたちは親の手に引かれ、一人また一人と帰宅していった。

 やがてホールには私とイッサさんが取り残された。 おばさんたちは気を使ってくれているのか、キッチンに居る。

「驚いた。 ここでボランティアやってるんだね」

「私、小学校の時にしばらくここでお世話になって……。 ちょっと色々有ったんですけど、おばさんたちが皆優しく接してくれたし、凄く安心出来たんです。 だから高校生になった時、ここでお手伝いさせてもらえないかなって思って、自分からお願いしたんです。 子どもとして遊んでもらう側から、子どもと遊んであげる側になったって訳で、ははは」

 やっとまともに会話が出来る。 イッサさんと二人だと、やっぱり緊張するけど、先週の体育館裏ほどのドキドキは無いな。 少しリラックスしている自分が居る。 ここは自分が慣れ親しんだ場所だからかな?

「でも、学校で見た時とは別人みたいだね。 この前はここまで大人っぽく見えなかった」

「婆臭いってことですか? 今、割烹着だし」

 がーん! やっぱりそうか。 私、老けて見えるんだ。

「いや、全然。 そうじゃないって。 素敵だなって思う」

「割烹着着てるんですよ。 素敵じゃないでしょ」

「違くて。 割烹着は置いといて、中身が、昔谷さんが素敵だなって……。 あれ? 俺何言ってんの?」

ふふっ。 イッサさんて、いつもすました表情で、もっとクールな感じかと思ったけど、割と親しみやすい感じだし、焦った様子が可愛かった。 そして今、私の事を素敵だって言ったよね。 言葉の流れでそうなったんだろうけど、嬉しいー。 生きてて良かった。

「イッサさんも、今日晩御飯を食べに来たんですか?」

「昔谷さんを見るために来た」

 えっ? ドキッ! とはならず、さっき言っていた言葉を思い出した。 ジト目でイッサさんを見つめる。

「さっき私がここに居る事、驚いてましたよね」

「はははは」「ふふふふ」

 二人で顔を見合わせて笑った。 あぁ楽しい。

「あのー。 そろそろお開きにしてもらってよろしいでしょうか?」

「「あ! ごめんなさい」」

 二人同時に声が出た。

 トレーを持って、慌てて立ち上がる。 んー、これからだったのに残念。 もっと話がしたいよー! チラッとイッサさんを見る。 およ! イッサさんも同時に私に視線を向けてきて、目が合っちゃった。 あれ、イッサさん視線を外さない。 そしていつもの空気を見るような目じゃない。 しっかりと私に焦点を合わせて見ている。 何かを言いたげな視線だ。 胸がドキドキする。 同じ事を考えているんだろうか……?

 食器を洗い場に入れると、勝手口からイッサさんが外に出ていく。 直ぐに私も後を追った。 学校で見かけても、さっきみたいに傍に近づいて、会話するなんて事は出来ない。 今ここで、少しでも長く一緒に居たい。

 勝手口を出ると、直ぐそこにイッサさんは立っていた。

「良かった、出てきてくれて。 おばさんたちが居ると言いづらくって」

 あぁー、私を待ってくれていたの? イッサさんも同じことを考えていたのかな? でも何故だろうか、イッサさんが待っているかもしれないって思っちゃった? さっきかすかにイッサさんの目が、私を呼んでいるんじゃないかと思って……。

 ううん、私、少し意識過剰かな?

 辺りは夜の景色。 暗がりで周囲が見えない分、否が応にもお互いに意識が集中してしまう。 恥ずかしくてイッサさんを見ることが出来ないよ。 勝手に俯いちゃう。 何が起こるんだろう? イッサさんがソワソワしている気がする。 私の心臓はさっきから暴れっぱなしだ。

「あの……嫌じゃなかったら、どこかでまた話の続きが出来ないかな?」

 嘘っ! いきなりそんな嬉しい事を!

「嫌じゃないです。 否や事なんて何一つないです。 私も続きがしたいです」

 早口でまくしたてちゃった。 嬉しさと緊張で頭が働かない。 何でなの? 何で私を誘うの? 見るとイッサさんも落ち着かない様子。

「じゃあ、あの……連絡先交換しない?」

 あぁー! めっちゃ嬉しい。 こんな私にも、男子から連絡先交換のセリフをもらえる日が来るとは。 しかも相手はイッサさんだよ! どうしてなのか分析しようにも頭がマヒしている。 言葉も出てこない。 うんうん頷いた。 焦りながらスマホを出し、慣れない操作で連絡先を交換した。 その後何も出来ず、自転車で去って行くイッサさんをただ見送った。 ふぅー。


 建物に戻り、ホールの掃除してボランティアが終了した。 おばさんたちから、イッサさんはお米の寄付をしに来て、そのついでに食事をしたのだという話を聞いた。 そしてお姉さまの美沙さんから、事前に寄付の連絡が入っていたという事も。

 ありがとうございます、美沙さん。 こういう事だったんですね。

帰宅しようと、駐輪場から自転車を出してサドルに腰を下ろした。 何だか胸の中が温かく感じられる。 ふと辺りを見回した。 今日の夜景はひときわ綺麗に見える。

 古いだけだと思っていた協働センターの建物も、ところどころ劣化している塀も、何だか趣が有るように見えてしまう。 心が潤っていると、世界が輝いて見えるんだ。 世の中全て心の在り様だよ、学んじゃったな。

 家に帰り着いた。 お風呂に入り、明日の準備を終え、布団に入ったところでスマホが鳴った。

≪今日はありがとう。 中間テストの最終日、テストの後は空いていますか?≫

 うひょー! イッサさんから早速のお誘いだよ。 はい空いています。 いや、たとえ何が有っても絶対に空けます。 嬉しー! 私怖いくらいにイッサさんに近づいて行ってるんですけど。 夢? 夢なの? まだ寝て無いよね?

≪空いています≫ と返事をしてスマホを置いた。

 あぁ、明日病院で美沙さんに会うだろうから、御礼を言わなければ。

 イッサさんとの約束はあと一週間ちょっとか。 もう興奮してきたよ。 中間テストの事なんて既に頭から消えた。 赤点取ったらイッサさんの責任という事で。



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