第8話 ケガの功名

「痛っ!」

 部活のバスケの練習中だった。 味方とぶつかりそうになって急に動きを止めた際、自分で左足の足首を捻って倒れこんだ。

 いやー、やってしまった。 ちょっと集中出来ていなかったかもしれない。 でも、強い痛みは感じないし、それほど重症ではなさそうだ。 立ち上がれるかな?

「よいしょっと」

 うん、痛みは有るけど、左足にあまり力をかけなければ歩けそうだ。 良かった。

「昔谷、どうした?」「大丈夫?」

 みんなが声を掛けてくれる。

「いやー、ちょっとひねりました。 今日はもう練習ヤバそうっす」

 キャプテンにそう告げながら、ケンケンでコートの隅に移動した。 床に座り込み、シューズを脱いでいると、顧問の本橋先生が走ってきた。

「ちょっとちょっと、大丈夫? 骨とか異状ない?」

 靴下も脱いで裸足になった。 くるぶしの下が少し腫れてきている。

「あー、腫れてる。 今日はもう上がんなさい。 病院行った方が良いよ。 送ってあげるから、家に連絡取れる?」

 部員のみんな優しいし、加えて本橋先生が優しいから、ここの部活大好き。 先生自身もこの学校の卒業生で、且つこの女バスのOB。 何歳かは知らないけど、若くてテキパキ動くし、いろんなことに気がついてくれる好きな先生だ。

「いえ。 そこまでひどくなさそうなので、自分の自転車で病院に行きます。 大丈夫です」

 私が喋っている間も、先生は私の脛をつついて、骨に異常が無いか確認している。

「んー、まあ確かにそれほどでもない感じだね。 でもちゃんと家に連絡入れなよ」

 先生は少し不安げな表情をしたが、私の足首を簡単なテーピングで固定してくれた。


 学校から自転車で十分くらいの所にある整形外科病院に向かった。 ここは内科やリハビリテーション科もあって、比較的規模の大きい病院だ。 中に入ると、受付時間ギリギリだったせいか院内はさほど混雑していなかった。 受付を済ませ、待合室でしばらく待ち、名前を呼ばれて診察室に入った。 小柄な白髪のおじいちゃん先生が診てくれた。

「骨には異状なさそうだね。 靭帯伸ばしちゃったかな。 少しなら動かしても痛くないみたいだし、軽傷だね」

 あー、やっぱり軽傷だ。 良かった。

「一応レントゲン撮らせてね」

 直ぐに隣のレントゲン室に移動し、撮影してもらった。 その後、再び診察室に戻って、先生の診察結果を聞いた。

「うん、やっぱり骨は大丈夫。 動かさずに安静にしておけば、若いから直ぐに痛みも無くなると思うよ。 でも痛みが無くなっても関節が緩んでいる状態はしばらく続くから、二か月くらいは、部活の時、テーピングで固定した方が良いね」

 ホッとした。 ともかく大事に至らなくて良かった。

「痛みが無くなるまでのしばらくの間は、ギプスで固定してもらうから。 ギプスは直ぐこの場で作れるんでね。 ちょっと待っててね、看護師さんにやってもらうから」

 そう言うと、診察室の奥の部屋に引っ込んでいった。

 しばらくすると、若い看護師さんが代わりに診察室に入ってきた。 看護師さんの手には、超巨大な “冷えぴったり君” と、お湯が入ったバケツ。

「うっわ! でっか! 業務用冷えぴったり君?」

「いや違うし。 これギプスだし。 冷えぴったり君には業務用は無いし」

 ははは、面白いこと言うね、と看護師さんは笑いながら私の足元にしゃがんだ。

 看護師さんは色白で、細身のスラッとした体形をしている。 そしてマスクをしているけど絶対に美人だ。 街を歩いていたら、すれ違う人全員振り返るんじゃないかというくらいの美人さん。 目が素敵で視線を外せなくなる。 憂いを秘め、それでいて優しさに溢れた目。 なんだかどこかで見たような気もするが……。

「ちょっと熱いかもしれないよ」

 バケツのお湯で温めた “業務用冷えぴったり君みたいなギプス” の中央を、私の踵にあてがい、脛に向かって立ち上げて、足首を左右から包み込んだ。

「う熱っちい!」

 うっ! 私の叫び声で、看護師さんが驚いて声を上げた。

「ごめん、大丈夫?」

 本当はさほど熱くなかった。 むしろその温かさは気持ちよく感じられる程度だった。

「い、いえ、すみません! 全然熱くないです。 油断してました。 大丈夫です」

 看護師さんに見とれてしまって、ギプスを作ってもらっている事を忘れてしまった。 叫んじゃってすみません、と何度も頭を下げる。

 ふふふっ。 油断してちゃ駄目じゃん、ホント面白いね、と看護師さん。

「これ、だんだん固まっていくから。 しばらくこのまま押さえているね」

 看護師さんはしゃがんだまま、両手で私の足首を包み込んだギプスを、押さえつけている。

 看護師さんが話しかけてきた。

「昔谷さんて、桜高校なんだ。 何年生?」

「あ、一年生です」

「え……。 そうなんだ」

 ん? 何? その 『え……』 は? やっぱり老けて見えるから一年生に見えないって事? 絶対にそうだ。 ああ嫌だ。 私こんなんじゃなくて、小柄で丸顔でお目目パッチリの童顔が良かった。 あれ? それって恵?

「私の弟も桜高校なんだよね。 でも二年生だから分からないよね」

 確かに。 同じ学校でも、学年が違うと全然分からない。 よっぽど目立つ人じゃ無ければ。

「名前、勝又って言うんだけど……」

 えーと。 あれ? 何か聞いたことが有るな。 ……ん! んんん‼

「ほえっ‼ イッサさん⁉」

 私の叫び声に、再び看護師さんは、うっ! と声を上げ、身体がビクついた。 私は目を見開き、看護師さんをガン見。 そうだ間違いないよ。 この人の目、なぜか見たことが有ると思ったら、イッサさんと同じ目じゃん。

「え? イッサの事知ってるの?」

 やっぱりだ。 お姉さまがいらっしゃると言ってたけど、この人だ。 姉弟だから同じ目してるし、細身でスラッとした体形もおんなじ。 美形姉弟だよ。 でもお姉さまの方が少しきりっとした目で、意志が強そうな印象。

 あぁ、それでも、お姉さまがこんな所にいらっしゃったとは。 そしてギプスを作っていただくなんて、私は何て無礼者、でもこの上ない幸せ、幸運、ラッキーガール。 うー、嬉し過ぎてお姉さまに抱きつきたい。 急に興奮してきた。

「あ、はい。 良く知っています。 つい先日もイッサさんと学校で話をしたりして、あっ、いや。 ……何でも……」

 駄目だ、いかん。 聞かれてもいないのに、口から余計な事までツルツル出てくる。 同性のお姉さまには何でも話してしまいたくなる。 どうしたんだろ、おかしいな?

「え? 何て? 昔谷さんってイッサと友達なの?」

 ぶんぶん首を振る。

「そんなそんな、イッサさんと友達だなんて、恐れ多いです」

「何? その『恐れ多い』って喋り口。 まさかと思うけどイッサって女子に人気が有るの?」

「大人気です」

 は――――――あいつが?と言いながら、お姉さまは目をぱちくりして驚きの表情。 お姉さまは毎日家で顔を合わせているから、あのかっこよさが分からないんだよ。 免疫のない普通の女子高生が、突然イッサさんを目の前で見たら、かっこよさで呼吸を忘れ、酸欠で倒れる危険があるはずなんだよ。

「まさか昔谷さんも?」

 え? そんなド直球で聞かれると思わなかった。 どうしよう? 何故だかお姉さまには言いたくなっちゃってる。 どうしようもなく自分の事をアピールしたくなっちゃってる。 もう止まんない。 俯いて身体が縮こまり、丸くなっていく。 ささやくような声で……。

「あ、あこがれて……ます」

 うわー! 言っちゃった! 心臓が再び暴れて、頭がくらくらする。 どうなっちゃうんだ私の身体、そしてこんな事お姉さまに言っちゃってどうするんだ私。

 チラとお姉さまを見た。 目を大きく開いて、私の全身を舐めまわすように見て、うんうん頷いている。 イッサさんの前に、まさかお姉さまの審判を受ける事になるとは……。

 しかし、この人と知り合いになれば、イッサさんと繋がるのは間違いない。 学校の女子たちより二歩も三歩も四歩もイッサさんに近づける。 初対面なのに、こんな事話しちゃ駄目かな? 弟に付きまとうストーカーだと思われたらどうしよう。 でもこのチャンスを逃したら、次にいつチャンスが巡って来るんだ! イッサさんと同じ目をして、同じ血が流れるこの人を逃しちゃ駄目だ! 行こう!

「あのっ! お、お近づきのついでに、今度お茶でもどうですか?」

「え?」

 ギプスより早く、一瞬でお姉さまが固まった。

「いや、……あの。 ごめん、私そんな気は無いんだけど」

 怯えた目を見せている。 しまった! 変な方向に誤解されちゃった。

「ご、ごめんなさい。 違います。 私もそんな気は無いです。 そうじゃなくて……」

「ふっ、はははは」

 いたずらっぽく笑い始めた。

「ごめんごめん。 分かってるって。 イッサの事が知りたいんでしょ。 違う?」

 フェイントだ。 騙された。

「本人と直接話をしちゃえばいいじゃない?」

 ひょえー、軽く言っちゃう。 この前は偶然鉢合わせして喋っちゃったけど、きっかけが無いと無理だよー。 急に突き放された気がする。 泣きそう。

「良いよ、任せて」

 へ? 何ですかそのお言葉。 そのまま素直に受け止めて、喜んでもいいんですか? まさかイッサさんの彼女候補として、お姉さまが公認してくれるの? 今度は私が目を開いて、お姉さまを見つめた。

 “ピピピピ” タイマーが鳴った。 ギプスが固まった様だ。

「ちょうどいい時間。 先生呼んでくるから待ってて」

 お姉さまが診察室を出て行った。

 暫くすると、お姉さまとおじいちゃん先生が戻って来た。 足首に湿布を貼られ、作ったギプスで足首を固定され、包帯でぐるぐる巻きにされた。

「多分三日もすれば痛みは無くなると思うから。 そうしたらギプスはしなくても良いんでね。 お風呂は普通に入っていいよ。 湿布は一週間分にしておくんで、直ぐ隣の薬局で買ってちょうだい。 それで一週間後にまた来て。 そこで問題ないようだったら終わりだから」

「来週の木曜だね」

 お姉さまが付け加えた。 あ、まずいな。 来週の木曜か……。

「あのー。 私、来週の木曜は都合が悪いんで、金曜でもいいですか?」

「あーそぉー。 いいよ。 でも部活の関係? 無理しちゃ駄目だよ」 と先生。

「いえ、違うんです。 私、その日は子ども食堂でボランティアやる日なので……」

 そうなのだ。 私は定期的に、子ども食堂でボランティアをやっている。

 お母さんが、まだ検査や治療を頻繁に行っていた小学生の頃、私は何度か子ども食堂にお世話になった。 治療が上手くいって、お母さんの状態も良くなり、足を運ぶことはなくなったのだが、ぜひいつか恩返ししたいと考えていた。 高校に入ってから、そこの子ども食堂でボランティアを募集している事を知ったので、やらせてもらう事にしたのだ。 配膳や片付けや、子どもたちの相手などをしている。

「もしかして彦三辺りでやってるやつ?」

 おお、お姉さまもご存じでしたか。 そうですと答えた。

「偉いね。 イッサに見習わせたいよ」

 いえいえ、とんでも有りません。 顔の前で素早く手を振って否定した。 私が思うに、イッサさんが私について見習う事なんて何一つないです。 私は大した人間じゃない。 ボランティアをやっているとは言っても、スタッフのおばさん達が凄く優しくしてくれるし、来てくれる子どもたちも可愛い子ばかりで楽しいし、大変な事など何も無い。

 良く分かっていないけど。日々サッカーの競争にさらされているイッサさんの方が、はるかに大変なのだと思う。 私の方こそイッサさんに見習う事が有るはずなのだ。

「ちょうどいいな。 それにするか」

「え? 何か言いましたか」

 お姉さまが言った事の意味が分からなかった。 訊ねたが、ニコニコするだけで、答えてくれない。

「じゃあまた今度の金曜日に」

 先生の診察が終わった後、お姉さまとお別れの言葉を交わして、私は病院を出た。

 ケガはしちゃったけど、思いもよらず素晴らしい一日になった。 まさかイッサさんのお姉さまに出会えるなんて。 ケガをしても良い事もあるもんだな。


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