プロローグ:新しい朝の光

プロローグ:新しい朝の光


朝の光がカーテンの隙間から柔らかく差し込み、文子は布団の中でゆっくりと目を開けた。隣の空き家から小鳥のさえずりが届き、深呼吸すると、庭のハーブと朝露の香りが鼻をくすぐる。


「…今日から、自由ね」

小さくつぶやきながら、文子は布団の端に座った。60歳。25歳の頃から続けてきた毎月五万円の積立投資が、今の生活を支えている。静かに心が満たされる感覚があった。


キッチンに立ち、カップに紅茶を注ぐ。湯気がふわりと顔に当たり、渋みと香りが口の中に広がる。自分の手で淹れた紅茶をゆっくりと味わう瞬間に、文子は生きている幸せを噛みしめた。


「25年も、毎月コツコツ積み立ててきたのね…私、よく頑張ったわ」

自分の声に微笑む。誰かに褒められるわけではない。でも、自分自身で積み上げた実感が、胸の奥からじんわりと湧き上がる。


窓の外を見ると、隣人のリサが花壇の手入れをしていた。

「おはよう、文子さん!」

「おはよう、リサさん。今日はいい天気ね」

柔らかな光に照らされたリサの顔は、元気いっぱいで、年齢を感じさせない。文子も庭に出て、ハーブの鉢をそっと触る。葉のざらりとした感触が、今の生活のリアルさを伝えてくる。


「ねえ、文子さん。これからの時間、どう過ごすの?」

リサの問いに、文子は少し考え、静かに答える。

「毎日を丁寧に生きるのよ。読みたい本を読んで、行きたい場所に行って、やりたいことをやる。25年、未来のために積み立てたお金が、私に時間をくれるんだから」


新聞を開くと、世界の株価の見出しが目に入る。以前なら少し不安になったかもしれない。でも今の文子には、冷静な心がある。長期積立投資の成果と、日々の自分の選択が支えてくれる安心感があるからだ。


「お金の心配をしなくていいって、こんなに自由な気持ちになるのね…」

口に出してつぶやくと、紅茶の香りが鼻をくすぐり、温かさが体を巡る。今日は退職後の初めての朝。まだ少し落ち着かない気持ちもあるけれど、それ以上に、胸の奥で希望が小さく膨らんでいた。


庭仕事をしながら、文子はゆっくりと計画を立てる。ハーブの剪定、鉢植えの整理、読書の時間、散歩。自分のペースで、自分の選択で生きられる幸せ。過去の努力が、今の私に自由をくれたのだ。


「さて、今日から本当に自分の時間ね」

声に出すと、言葉が体に染み渡る。外の風が、頬を軽くなでる。遠くで子どもたちの笑い声が聞こえる。教え子たちかもしれない。思わず微笑む自分がいた。


キッチンに戻り、サラダを作りながら、文子はふと思う。

「これからの人生は、誰かに依存せず、誰にも文句を言われず、私自身で決められる…贅沢な自由だわ」


リサが声をかける。

「文子さん、午後はどこに行く?」

「少し散歩して、帰りに図書館に寄ろうかしら。あとは…気分次第ね」


カーテンの隙間から差し込む光、風の匂い、温かい紅茶の香り、土の感触、鳥の声。五感に届くすべてが、文子の心を穏やかに満たしていく。25年間の積み立て投資と、教師としての積み重ねが、今の生活に静かな幸福をもたらしているのだ。


「ありがとう、私の若い頃の自分。毎月の小さな努力が、こんなに大きな自由をくれるなんて」

窓の外に向かってつぶやく。風が返事をするように頬をなで、庭の花々が揺れる。


今日から始まる新しい生活。悠々自適という言葉が、体全体に染み渡る。静かで、温かく、満ち足りた朝の光に包まれながら、文子は深く息を吸い込む。


「さあ、私の人生、第二の章の始まりね」

小さく笑い、紅茶を一口飲む。これからの毎日が、自由と喜びに満ちたものになると確信しながら。


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