人骨ラーメン
「……神の喉笛」
メイが、ぽつりと呟いた。
見上げた先で、パンドラがわずかに眉を動かす。
「そんなことをしてもさ」
軽い口調だった。
「何も変わらないのかもしれない」
パンドラは、一度だけ視線を逸らした。
「……でも」
「無性に、気に入らないから」
少しだけ間を詰め、
まるで独り言のように続ける。
「――たった今、そう決めた」
そう言って、
メイに向かって、薄く笑った。
その瞬間だった。
パンドラの身体が、横に流れる。
伸びたレオンの手が、空を切った。
「……チッ」
次の瞬間、腕に、軽い感触。
「おいおい。ご挨拶だな」
パンドラは、すでにレオンの腕に触れていた。
――ぞわり。
触れられた瞬間、
嫌な感覚が、皮膚の内側を走る。
反射的に、レオンは身を引いた。
「……?」
意味を掴めず、視線だけが揺れる。
その反応を見て、
パンドラは肩をすくめた。
「お前、魂のコードが見えるんだっけ」
おどけた調子のまま、
どこか探るような視線を向ける。
「俺も研究者だったからさ。
“干渉”くらいは、できる」
一瞬、
その目が細くなる。
「お前に関わるのは、正直リスキーだが……」
「まあ、仕方ない」
軽く息を吐いて、付け足す。
「悪く思うなよ」
レオンが、口を開きかけた。
「おい……いったい, 何を――」
だが、
言葉は最後まで届かなかった。
パンドラは、くるりと背を向ける。
そのまま歩き出しかけて、
ほんの一瞬だけ、振り返った。
メイと、
その後ろに立つレオンへ、
肩越しに視線を投げる。
「今日は、もうおしまいだ」
低く、静かに。
「リカルドが、そう言ってる」
次の瞬間。
その姿は、
まるで闇に落ちるように、
すっと掻き消えた。
そこには、
余韻だけが残っていた。
◆ ◆ ◆
夜の平和公園は、よく整備されていた。
舗装された道。
等間隔に並ぶ街灯が、
ぽつり、ぽつりと足元を照らしている。
だが、視界を埋めるのは、
無数の墓石だった。
整然と並んだそれらは、
きれいに管理されている分だけ、
かえって静かで、
人の気配が遠い。
名古屋支部の面々は、
その墓場の中の道を、
並んで歩いていた。
「じゃあさ」
シノが、歩きながらぽつりと言う。
「リカルドっていう子は……
結局、パンドラに吸収されちゃったの?」
「うん」
メイは、少し考えてから答えた。
「まあ……
そういうことになるね」
「……もう、いろいろ分かんなくなってきたな」
カイが、正直な声で呟く。
その横で、テツが大きく息を吐いた。
「分かってるのはさ」
肩をすくめて、前を向いたまま。
「とにかく、今日もよく働いたってことだよ」
「まちがいない」
レオンが、珍しく軽く笑った。
その笑いに、
張りつめていた空気が、
ほんの少しだけ緩む。
「だからこそ――だ!」
テツが、急に振り返る。
歩きながら、
やけに嬉しそうな顔をしていた。
「伝説のラーメン屋台だよ!
誰にも教えたくないくらいの、
俺のとっておきの店なんだからな!」
「……テツ君」
少し後ろを歩いていたハスが、
苦笑いを浮かべる。
テツの管轄区域にある、
地縛霊の親父が営むラーメン屋台。
その味に心底惚れ込んだテツが、
意図的に送魂していない――
れっきとした職務怠慢だ。
始末書案件である。
だが。
重なった死霊回収で、
皆が疲れ果てているのを、
ハスは分かっていた。
何も言わず、
それ以上、咎めることはしなかった。
やがて。
墓石の並ぶ闇の中に、
ぽつんと、
明かりが見えてきた。
屋台だった。
小さなラーメン屋台が、
墓場の中に、
不自然なほど当たり前に佇んでいる。
寸胴鍋から、
ほかほかと湯気が立ち上り、
醤油の、いい香りが漂っていた。
「おや」
屋台の奥から、
いかにも職人肌といった男が顔を出す。
「テツの旦那。
いらっしゃい」
「親父!」
テツが、胸を張る。
「今日はな、
名古屋支部の連中を連れてきた!」
男は, にっと笑った。
「そりゃあ, 賑やかでいい」
カウンターに並んだ丼。
湯気。
油のきらめき。
刻みネギ。
メイは、
差し出された一杯を受け取り、
一口、すすった。
「……美味しい!!」
思わず声が出る。
「こりゃ、
“人間で出汁とりました”って
噂になるのも、納得だよ」
男は、一瞬だけ笑ってから、
目を細めた。
「ありがとよ、黄泉送りのお嬢ちゃん」
「だがな、
そいつぁ、
俺のセリフだ」
そう言って、
少しだけ胸を張る。
「……うむ」
ぴよ丸が、
丼をじっと覗き込みながら頷いた。
「これは……
成仏しそうな味だな」
「やめて。怖いから」
そのやりとりを聞きながら、
シノは、
屋台の奥に視線を向けていた。
寸胴鍋の中。
ぐつぐつと煮えている、
白い塊。
何本も。
形の揃わないそれらが、
静かに、沈んでは浮かぶ。
「……ねえ」
シノが、青ざめた顔で呟く。
「あれ、なに?」
誰も、答えなかった。
* * *
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