闇に見られている

冥府省・名古屋支部。


境界のBAR鬼灯を出た、その夜。


同じ方向を歩いていたはずの足取りが、

気づかぬうちに――

静かに、ずれていった。


▼ △ ▼


駅へ向かう近道として、

三人は大須観音の境内を抜けることにした。


昼間なら、観光客や参拝客で賑わう場所だ。

だが夜は、

地元の人間がときどき通るだけの、

静かな抜け道になる。


大須観音の境内は、

夜にしては――

静かすぎた。


石畳に落ちる足音だけが、

やけに大きく響いている。


「あれ?」


テツが、立ち止まって振り返る。


「……メイとレオンは?」


カイも足を止め、

つられて後ろを見た。


「さっきまで、いたよな?」


シノは少し考えるように首を傾げる。


「……はぐれちゃったのかな」


ほんの一瞬、

間が空く。


テツが肩をすくめた。


「まあ、でもさ。

 帰る部屋、隣同士だし」


「だね。地下鉄乗ったら

 メッセージ送っとこ」


カイが、あっさり言う。


シノもそれに頷いた。


「うん。

 駅で合流するかもしれないしね」


そのまま、

誰も足を止めなかった。


――けれど。


シノは、なぜか足の裏に

薄い冷えを感じていた。


境内の奥。

本殿の屋根へと、視線が向く。


背中を、

ひやりと撫でるような感覚。


見られている。


そう、はっきり分かるのに、

どこからかは分からない。


「……ねえ」


シノは、少し困ったように眉を寄せた。


「いや、その……」


言いにくそうに視線を逸らし、

小さく呟く。


「ここ、男の人と来ると

 観音さまが嫉妬するって都市伝説、

 聞いたことがあって……」


一瞬の沈黙。


次の瞬間、

テツが吹き出した。


「なんだそれ。

 今どき、観音さまもそんなに暇じゃないだろ」


カイも肩をすくめる。


「俺ら三人だし。

 ……ノーカウントじゃない?」


シノは二人を見比べ、

ほんの一瞬だけ考えてから――


「……だよね。テツさんとカイだし。

 心配せずに、堂々と通っちゃおう」


「推しメンじゃなくて悪うございました」


テツが軽く返し、

三人は小さく笑い合った。


――その時。


屋根の上の黒い塊が、

ほんのわずかに――

揺れた。

誰が言い出すでもなく、

三人の足が、同時に止まる。


見られている。


そう、はっきりと感じた。


だが、

視線の“向き”は分からない。


鳴き声もない。

羽ばたく音もない。


ただ、


黒い塊そのものが――

三人の存在を、捉えている。

そんな感覚だけがあった。


「……おい」


テツの声は、

さっきまでの軽さを失っていた。


それに引きずられるように、

カイとシノも周囲を見渡す。


――そこで、気づく。


手水舎の屋根。

参道の石灯籠。

朱塗りの仁王門の屋根、

そして――本殿の屋根の上にも。


そこかしこに。


無数の、黒い塊。


「……ちょっと、多くない?」


カイが、喉を鳴らす。


シノは言葉を失ったまま、

視線だけを彷徨わせる。


黒い。

多すぎる。

そして――静かすぎる。


「あれ……」


かろうじて、シノが声を絞り出した。


「……鳩、だよね?

 でも……」


言い切れなかった。


その瞬間。


無数の黒い塊が、

一斉に、こちらを向いた。


目。


目、目、目。


闇の中で、

数え切れない“視線”が揃う。


「……監視、されてる?」

カイが小さく呟いた。


答える者はいなかった。


夜の大須観音は、

沈黙したまま、

三人を包み込んでいた。


無数の黒い塊が襲ってくる気配は、ない。


ただ、そこにある。

見ている。


それだけだ。


「……急いで、ここ抜けるぞ」


テツが低く言った。

冗談めかした声は、もう作らない。


カイとシノが、無言で頷く。


三人は一気に駆け出した。

参道を抜け、商店街へ続くはずの道を――

考える余裕もなく、ただ前へ。


砂利を蹴る音。

荒くなる呼吸。


背後から、

何も追ってこない。


「……やった、抜けた!」


カイが、思わず声を上げる。


だが――


「……いや、待って」


シノが、立ち止まった。

その声が、妙に震えている。


「これ……」


三人の視線の先。


そこにあったのは――

大須観音。


さっきまで見ていた本殿。

夜の闇に沈む、境内。


慌てて、振り返る。


仁王門が、

先ほどと同じ位置に、

静かに、建っていた。


風もない。

音もない。


ただ、

“元の場所”が、そこにある。


「……嘘だろ」


テツの喉が、鳴る。


「俺たち……

 確かに、境内から出たよな?」


誰も、答えられなかった。


出たはずなのに。

それでも、

景色は、何一つ変わっていない。


「……とじこめ、られた……?」


さっきまで

観音様が嫉妬する、なんて都市伝説だと笑っていたのに――

今はもう、笑えない。


――でも今、

シノははっきりと理解していた。


「私たち……

 境界を踏み越えちゃった、のかも」


その声は、

夜の境内に、吸い込まれた。





* * *

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