届かない祈りと、神鶏

名古屋では、死の気配は音もなく始まる。

冥府省・名古屋支部の黄泉送り、メイ。


昨日、火災マンションで“止まった時間”に取り残された少女を送った。

胸の奥に、まだ灰の温度が残っている。


――だが、朝は普通に来る。



▼△▼



マンションの窓から射し込む朝の光の中で、メイはそっと寝返りをうった。


「……おい、つぶれる……メイよ、重い……」


かすれた声に目を開けると、

腕の下敷きになってぺちゃんこになったぴよ丸がいた。


「えっ……! あ、ごめん泰朝! つぶしちゃった!」

慌てて身体を起こし、ふわふわのボディを両手で丸く整え直す。


「……よい。それより――昨日はよく眠れたか?」


「え?」


きょとんとするメイに、ぴよ丸(泰朝)は小さく首を傾げた。


「昨日は……“かすたまー”とやらが大変だったのであろう」


「ああ……うん。そうだったね」

メイは少し照れたように笑う。


「でもさ、泰朝が色々話聞いてくれたから。……ありがとう」


静かに礼を言うと、泰朝はふん、と鼻を鳴らした。


「気にするな。ではまた今度――“土手味噌田楽”でも一串買ってきてくれたら、それでよい」


「ダメよ。あんた土手味噌の食べ方、壊滅的に下手なんだから。

 毎回丸洗いする羽目になるでしょう」


「む……好物なのだ。仕方あるまい」


その言いぐさに、メイは思わず吹き出した。



◆ ◆ ◆



生府省・熱田神宮支庁。

そこは、生きている人間の願いを扱う、冥府省とは別の官庁だ。


都会に残された森――通称“あつたの森”。

大鳥居をくぐれば、そこには熱田神宮の結界セキュリティ内。


その静謐な緑の奥に、和風の外観と最新機器を併せ持つ建物がそびえている。


高い天井に壁一面の最新式の巨大モニターが設置されている。


そのモニターを半円で取り囲むように祈願審査部のメンバーのデスクが並ぶ。

モニターにはひっきりなしに人々からの願いが審査待ち案件データとして更新されていた。


榊(さかき)はその光景に慣れた様子で頬杖をついていた。


「今日は……俗世にまみれたお願いばっかりね」


「でも、たまには“本気の祈願”もありますよ?」


隣のデスクで神楽(かぐら)がキーボードを叩きながら微笑む。


「ほら……“意識不明の夫が、どうか元気になりますように”。これは重いけど、真面目ですよ?」


「それ、もう冥府省案件の匂いしかしないんだけど」


ふと、榊が目を止める。

「どうか、かわいい赤ちゃんを授かれますように」


榊はその願いをクリックし、"祈願指数"の詳細を確認する。


「これ、優先度、A案件に分類しておくわ」


「でも、今月の祈願の締切は明後日ですよ?

 命運帳簿の許容量、もう限界では?」


「だったら、どこかで誰かの運を削るしかないわね……」


しかし次の瞬間。


画面上の祈願文の一部がじり、と黒くにじんだ。


「……あら?」


榊はモニターを拡大した。

生命反応のラインが、突然ぷつりと途切れている。


【祈願ステータス:途絶】

【生命反応:断線】


神楽が眉をひそめる。


「……急死、ですか?」


榊は別の画面で基本データを開く。


「……おかしいわね。

 この人、寿命の残数はまだかなりあったはずなんだけど」


「何かの手違いでしょうか?」


「さぁ……よくある“突発的な死”のひとつかも。

 人間なんて、いつ倒れるかわからないしね」


榊は軽く肩をすくめる。

だが、その表情にわずかな影が走った。


「……まあいいわ。生府省の管轄外になった以上、冥府省へ送るしかないもの」


榊は端末に指を滑らせる。


【転送先:選択中】


一覧を開こうとした その瞬間――


【冥府省・名古屋支部】 の受信ウィンドウが、

ひとりでにぽん、と開いた。


まるで、

こちらが押すのを 待っていたかのように。


「……あれ? 今、触ってないのに」


神楽が椅子をきしませて振り返る。


「自動……ですか?」


榊は小さく首を振る。


「そんな機能、ないはずよ」


次の瞬間、送信処理が勝手に走る。


【案件送信中 → 送信完了】


榊は眉を寄せた。


「……妙ね。突然の途絶といい、挙動といい」


祈願文は黒い滲みを残したまま揺らめいている。


「……偶然……かしら?」


榊は椅子を立つ。


その背後で、

モニターの焦げ跡だけが、

彼女の言葉を否定するようにかすかに脈打った。



◆ ◆ ◆



午後五時四十二分。

光と闇の境目――逢魔が時。


それはただの夕暮れではない。

生者と死者が混じり合う――そんな特別の時間。


大鳥居をくぐると、森の空気が一段冷たくなった。


「この時間だけは入れるのよね。ここ、結界厳しすぎる」

ぼやきながら、メイは玉砂利を踏みしめて森を進む。


カサリ。

背後で、何かが落ち葉を踏み締めた。


メイが振り返ると、木立の間に立派なトサカの影。

夕暮れの光を受け、金の羽が淡く光る。


「あら、神鶏様。ラッキー。今日はいいことあるかも。シノに自慢しちゃお」

そう言いながら歩み寄った瞬間、

鶏の足元が視界に入る。


「……え?」

白いモコモコの羽毛――それは烏骨鶏の脚だった。

「何よ、あんた脚だけ烏骨鶏じゃん。まあ、これはこれで可愛いけど」


スマホを取り出し、送魂アプリを起動。


【対象:神鶏】

【死因:野良猫による襲撃】


シャッター音が鳴った。

神鶏は光の粒となって、森に溶けていく。


「そっか。大変だったわね……生府省のお膝元でも、死は平等なのね」


メイは肩をすくめ、薄暗い森の奥へと歩き出した。


その時。

スマホが震える。


メイは息をのみ、

画面の文字をゆっくり見つめた。


【生府省 → 冥府省:祈願破綻案件 1件】


「……嫌な予感しかしない」


夕暮れの風が、森の奥でざわりと揺れた。





* * *


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