第3話 私の居場所はここにない

水守村みずもりむらの夜は、ケンブリッジとはまるで違っていた。

虫の声も風の音も、すべてが山の奥へ沈んでいくように静かだ。


初登校を終えたロッティは、柴田家のベッドにばふっと倒れ込んだ。

天井の木目をぼんやり眺めながらつぶやく。


「So this is Japan... the land of Dr. Yamamura's project.

《ここが日本……山村博士のプロジェクトの地……》」


机の上には、持参した量子力学の本と、博士とのツーショット写真。

白衣の彼が穏やかに笑い、その横で無邪気にピースをしている自分――

写真を見つめるうちに、あの日の記憶が静かによみがえった。


***


──博士が帰国を告げた日。


M.I.T.の研究室。窓の外は灰色の雲に覆われていた。


「A new gifted education project is starting in Japan.

《日本でギフテッド教育の新しいプロジェクトが始まるんだ》」


いつも通りの優しい声。しかしその目は、どこか遠くを見ている。


「Japan? You mean... you're leaving?

《日本に? 行っちゃうの?》」


「I must. This project is... important.

《行かなくちゃ。このプロジェクトは……大事なんだ》」


その言葉を聞いた瞬間、胸がきゅっと締めつけられた。

それを“感情”だとは、認めたくなかった。


「Take me with you!

《私も連れてって!》」


博士は静かにロッティを見つめた。


「Don't choose your place out of loneliness or pain.

《寂しさや辛さで自分の居場所を選んではいけない》」


「You should find your own way here.

《君は、ここで自分の道を進むべきだ》」


「Here...?

《ここで……?》」


「Yes. Just keep looking. You'll find it.

《そう。探し続ければ、きっと見つかる》」


ロッティは俯き、足元を見つめた。


――My way is not here.

  《私の道は、ここにはない》


その確信だけが、胸の奥に残った。


***


翌日。

ロッティは勢いよく母・エリザベスの書斎へ飛び込んだ。


「What's this? I'm preparing for a lawsuit right now.

《何? 今は裁判の準備で忙しいの》」


エリザベスはパソコンの画面から目を離さず、キーボードを打ち続ける。


「Mom, I want to go to Japan. To Dr. Yamamura's project!

《ママ、日本に行きたい。山村博士のプロジェクトに参加したい!》」


「Absolutely not, Charlotte. You're still a child.

《だめよ、シャーロット。あなたはまだ子ども》」


即答だった。


「But this is my path! He said I should walk my own path!

《でも博士は言ったの! 自分の道を歩けって!》」


ようやくエリザベスは手を止め、娘の方を向く。

その瞳は冷静で、揺るぎない。


「Now, what you need is a normal education, not a gifted project.

《今あなたに必要なのは“普通の教育”。ギフテッド教育じゃないわ》」


“普通”――その一語がロッティの胸を刺した。


「You don't understand... gifted means being alone.

《ママには分かってない……ギフテッドって、孤独なのよ》」


エリザベスの表情がわずかに曇る。


「You're not alone, Lottie. You just think you are.

《あなたは一人じゃない。ただ、そう思い込んでるだけ》」


その瞬間、ロッティの中で冷たい回路が切り替わった。

抑えていた言葉が一気に溢れ出す。


「She said I just think I'm alone? No… that's wrong.

《“思ってるだけ”?……違うわ》」


「This isn't about feelings. It's structure — fact.

《これは感情の話じゃない。構造の話。つまり事実》」


「Ordinary people like you can't perceive this kind of isolation.

《ママみたいな普通の人には、私の孤独は見えない》」


「Because your logic runs on a different axis.

《だってママの論理は、私とは別の軸で動いてる》」


「You don't know me!

《ママに私のことなんて、分からない!》」


叫ぶように言うと、ロッティは書斎を飛び出した。


「Wait! Let's talk properly!

《待ちなさい! ちゃんと話し合いましょう!》」


母の声が追いかけてきたが、もう耳には届かなかった。

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