魔獣な俺とエサな君〜魔法学園に潜む魔獣と呪われた少女の物語〜
Hazai
魔獣な俺とエサな君
腹が減って、死にそうだった。
俺は魔法学園の城壁の小さな穴から飛び出して、闇の森へと向かった。
月が綺麗だとか、夜風が涼しいとか、そういった感情は一つもない。ただ、空腹であることだけを考えていた。
夜の森は静かだった。ほとんどの生物は息を潜め、かろうじて起きている梟が小さく鳴いているのが遠くで聞こえるだけだ。こんな夜にこそ、狩りが捗るというものだ。
月明かりが落とす影は、俺が既に〝人間の形をしていない〟ことを表していた。俺は魔法学園の生徒のフリをしているが、その正体は凶暴な魔獣なのだ。
目を凝らし、深い森をかき分け、ひたすら獲物を探した。さぁ俺の晩御飯になるのはどいつだ?
すると、奥の茂みでガサガサと音がした。俺は勢いよく手を伸ばし、その音の正体を確かめる。それは俺の背丈の半分ほどの狐のような魔獣で、俺に足を掴まれてジタバタと暴れていた。丁度よく腹いっぱいになれそうな獲物が捕れたな。
鼻を抜ける美味そうな匂いに心が躍った。空腹な時ほど、鼻が利くようになる。よだれがたれそうになり、全身がそれを求め始めた。
俺は我慢できず、その魔獣の喉元に噛みつく────。
すると、背後で物音がした。もう一匹獲物が来たのかと慌てて振り返る。しかしそこにいたのは、魔獣ではなかった。
同じ魔法学園の制服を着た少女が、そこにはいた。金色の髪が夜風になびき、驚いたように俺を見つめる。その姿は確かに可憐で美しかったが、俺には美味そうな獲物にしか見えなかった。
彼女が「あっ」と声を漏らすと同時に、俺は勢いよく飛びかかった。地面に倒れこんだ少女に馬乗りになって、口から流れた血を拭う。
「同級生に補食しているところを見られるとはな……まぁいい、すまんがお前を食わせてもらうぞ」
しかし、少女は泣き叫んだり、抵抗したりしなかった。ただ、俺の目をじっと見つめていた。その瞳は潤んですらいない、純粋な瞳である。
満月の下、月明かりが少女を照らす。どこから食いちぎってやろうかという考えはとうに薄れ、何故少女が平然としていられるのかを不思議に思っていた。
「何故抵抗しないんだ? 今から食われるんだぞ」
「……食べるのは良いけど、綺麗に食べてね」
「は?」
少女は上着のボタンに手をかけ、一つ、また一つと外していった。隙間から覗く白く綺麗な肌は、普段なら食欲をそそるはずなのに目を逸らしたくなった。そして、思わずその手を掴む。
「待て、何をするんだ」
「何って、食べるんでしょ?」
「……それはそうだが。いやその、食べないからやめろ」
彼女は少し残念そうに眉をひそめ、「食べないの?」と小さく言った。
この時既に、俺の頭の中は混乱していた。この少女は、自分が食べられることを恐れないどころか、綺麗に食べてほしいと言った。本当なら、激しく抵抗されてもおかしくないのに。
俺は、空腹であることを忘れ、必死に考えた。この少女をどうするべきか。このまま見逃せば、きっと俺が魔獣であることが魔法学園の皆にバラされる。
そうなれば、すぐさま処刑されるだろう。せっかく人間のフリをして平和に生活していたのに……。
けど、彼女を殺したくない。食べたくない。何故だろう、そう思ってしまった。
「お前食われたいのか?」
「まぁ、うん」
「何故?」
「さぁ」
「はぁ……?」
ますます意味がわからなくなった。彼女の考えていることが、何一つ理解できない。むしろ好都合なはずなのに……。
「じゃあ、こうしよう……卒業の日にお前を食ってやる。だから、それまで俺の正体を秘密にしておいてくれ」
「いいの?」
「逆に、いいのか?」
「うん」
彼女は微笑んだ。
「これで、約束を破って正体をバラしたら食いちぎってやるからな」
「それだと私にとって好都合じゃない?」
「あ、そうか……」
少女は可笑しそうにし、俺の目を見た。
「大丈夫、言わないから。その代わり、君もちゃんと約束を守るんだよ?」
「あぁ……」
月に雲がかかり、周囲が暗くなった。夜の静かな森で、彼女の吐息と自分の心臓の音だけが鮮明に聞こえていた。俺は人生で初めて、目の前の獲物を見逃したのだ。そして、いつもの人間の姿に身体を戻す。
立ち上がった少女は、少し嬉しそうだった。さっきまで食べられそうになっていたとは思えない表情である。
「君、名前は?」
「俺か? 俺は……クロード。じゃあその、お前は」
「私はね、ネルだよ。卒業までの間よろしくね!」
「え? まぁ」
不思議な感覚がする。目の前の獲物に、美味そうという感情が芽生えないなんて。ずっと何も食べてなかったのに、何故だろう……そしてふと、先程の獲物の存在と空腹感を思い出した。
「そうだ。続き、食べてきていいか?」
「あ、食事中だったんだよね。ごめんごめん」
「お前も帰り道気をつけろよ」
「こんな夜中だから襲われないか心配だなぁ……そうだ、君が一緒にいればいいんじゃない? 食事の間待っててあげるしさ」
「……まぁ、別にいいが」
その返事にネルはニコッと笑った。意味不明な提案ではあった(実際俺は襲った側である)が、断る理由もない。それに、どうやら俺は彼女のことが気になっているみたいだ。どんな人物なのか、少しでも多く知りたいという気持ちが芽生えている。
「じゃあその、あっち向いててくれ」
「うん。そうするよ」
そして、俺は先程仕留めた獲物の方まで行き、食事の続きを済ませた。腹が減っていたはずなのに、少しも味がしない。俺の頭の中は、ネルのことでいっぱいだった。
血をハンカチで拭い、彼女の方を見るが、やはりその後姿は美味そうではなかった。
◇
帰り道、俺達は魔法学園の寮に向かってゆっくりと歩いていた。彼女とは、今まで少しも接点がなく、すれ違いざまに顔を見たことがある程度だ。まさかこんなことになるとは思いもしなかった。
「なぁ、ネル」
「どうしたの?」
「何故こんな時間に森の中にいたんだ? 魔獣もいるし危ないだろ」
「それはまぁ、秘密かな」
「なんだよそれ……」
「それに、そのセリフさ。魔獣の君が言うものじゃないよ」
「それもそうか」
ここまで心が読めない人間とは会ったことがない。確かに人間というのは、魔獣に比べて本能を抑えて生活しているが……彼女の場合はそれが非常に強い気がする。いわば、魔獣の真逆のような存在である。
「ネルは怖くないのか、俺のことが」
「お、質問攻めだぁ。私のことがそんなに気になる?」
「は? 気になるに決まってるだろ」
「なっ……」
彼女は突然目を逸らして、ピタリと立ち止まった。なんだか顔が赤くなっているような気がする。
「言っておくが他意はないぞ」
「な、なーんだ。そうだよね!」
「……?」
ますます彼女のことがわからなくなった。こんなに簡単なことで動揺するような一面もあったのか。感情が無いというわけではなさそうだな。
「ネル、最後の質問だ」
「うん?」
「何故今になって泣いているんだ?」
「えっ? 私……嘘」
ネルは自分が泣いていることに気が付かなかったようだ。彼女は目をこすり「なんでだろ」と一言。本当に、本当に不思議なヤツだ。
「やっぱり怖いのか?」
「これは違くて、その……なんでかな」
「変なヤツだな」
「魔獣には言われたくないよ!」
「それは、そうか」
俺達は、魔法学園の寮へと戻るまでの少しの間、そんな話をしながらダラダラと歩いた。結局彼女の目的も考えも分からないまま、寮についてしまった。
「じゃあ、クロード。ここでお別れだね」
「あぁ」
「また明日ね」
「え?」
また明日だと? ただでさえ彼女のことを探るのに疲れてしまったのに、また会えと? 卒業の日に会えればそれでいいんじゃないのか。
「また明日ね! いいでしょ?」
「……嫌だ」
「ううん、また明日だから! じゃあね! クロード!」
そう言って彼女は、女子寮の方へと行ってしまった。
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