4. 空洞
高校進学が決まったとき、僕は少しだけ安堵していた。
新しい環境、新しい人間関係。中学校での不登校も、卑屈になっていった過程も、ここでは誰も知らない。そう思っていた。
だが、現実は少し違っていた。
姉は、本来ならもっと上のレベルの高校を目指せたはずだった。
成績も、内申も、十分すぎるほど足りていた。それでも姉は、僕と同じ高校を志望した。理由を直接聞いたことはない。ただ、家の空気や、親の反応から察するに、それは「弟のため」だったのだと思う。
その事実は、僕を救うと同時に、強く縛った。
同じ高校に通っていても、僕たちは明確に分けられていた。
姉は特進クラス。僕は、いわゆる落ちこぼれのクラス。
カリキュラムも、周囲の期待も、教師の接し方も違う。校舎は同じでも、属している世界は別だった。
廊下ですれ違うことはあっても、交わることはほとんどない。
制服を着て並んで立っても、以前のように「双子だね」と言われることはなかった。顔立ちも、雰囲気も、立ち振る舞いも違う。姉弟だと知らずに三年間を過ごす人も、少なくなかった。
それでも、比べられることはなくならなかった。
「全然似てないね」
その言葉は、区別のようでいて、どこか評価を含んでいた。
同じ高校、同じ学年、同じ家庭。
その条件が揃っている限り、違いはより鮮明になる。
僕は、高校に入って初めて、
「同じ場所にいること」と「同じレベルにいること」は、まったく別の意味を持つのだと知った。
高校生活が始まってしばらくすると、僕の周りには自然と人が集まった。
中学校の頃ほど身構えることもなく、会話も途切れず、昼休みや放課後を一緒に過ごす相手ができた。傍から見れば、ごく普通の高校生だったと思う。
だが、その関係はどこか表層的だった。
深い話を避け、過去に触れられる前に話題を変える。中学で身につけた演技は、ここでも役に立った。明るく、無難で、空気を読める存在。それは高校では「感じのいい人」として受け取られた。
姉の存在は、常に視界の端にあった。
特進クラスの話題が出るたびに、名前は出なくても比較は行われていた。成績、進路、将来。話題が上に行くほど、僕は笑って聞き役に回った。
友達は増えたが、距離は縮まらなかった。
踏み込めば、また比べられるかもしれない。そう思うと、自分から境界線を引いてしまう。関係は更新され続けるが、核心には触れない。
高校は賑やかだった。
それでも僕の内側には、静かな空洞が残り続けていた。
高校生活が進むにつれて、姉との「差」は、ますます言葉にしづらい形で存在感を増していった。
特進クラスの姉は、模試や進路の話題に囲まれ、教師からも自然と期待を向けられていた。一方で僕のクラスは、どこか管理される対象のようで、将来の話も現実的というより、消極的な選択肢として提示されることが多かった。
同じ学校に通っているのに、進む方向は最初から分けられている。
その事実を、僕は静かに受け入れるふりをしていた。悔しさや羨望を表に出すことはなかったし、出す資格もないと思っていた。
「全然似てないよね」
そう言われるたびに、僕は曖昧に笑った。その言葉が、外見の話なのか、能力の話なのか、あえて考えないようにしていた。考えた瞬間、自分が壊れる気がしたからだ。
姉は何も言わなかった。
それが優しさなのか、距離なのか、僕には分からなかった。ただ、同じ校舎にいながら、僕たちはもう別々の世界に属している。その感覚だけが、日に日に確かなものになっていった。
学校行事のたびに、僕は奇妙な感覚を覚えた。
体育祭や文化祭では、特進クラスとそれ以外のクラスが同じ空間に集まる。姉は中心に近い場所にいて、指示を出し、まとめ役として動いていた。周囲は自然と彼女の声に従い、その存在を前提として動いていた。
僕は少し離れた位置から、その光景を眺めていた。
同じ制服を着て、同じ時間を過ごしているのに、役割は最初から違っていた。誰もそれを不思議に思わない。その自然さが、何よりも残酷だった。
友達と一緒にいても、ふと姉の姿が視界に入ると、自分の立ち位置を再確認させられる。
今の自分は、どのくらいの価値を持っているのか。
その問いが、行事の高揚感を静かに削いでいった。
終わったあとに残るのは、達成感ではなく、疲労だった。
楽しんでいたはずなのに、心のどこかで、ずっと演じ続けていたことに気づく。高校生活は充実しているはずなのに、僕の中の空洞は、むしろ形をはっきりさせていった。
高校二年生になる頃には、僕は「うまくやれている側」だと思われていた。
友達は多く、輪の中に自然に溶け込み、トラブルも起こさない。教師から見ても、特別問題のない生徒だったはずだ。少なくとも、表面上は。
けれど、その評価は僕自身の実感とは噛み合っていなかった。
うまくやれているというより、摩擦を起こさない形に自分を削ってきただけだった。意見を強く主張せず、衝突を避け、場の空気に合わせる。その積み重ねが、「扱いやすい人間」という像を作っていた。
姉は、相変わらず別の世界にいた。
模試の結果、進路指導、大学の話題。家でも学校でも、話の重心は自然と姉の方に傾いた。誰かが意図しているわけではない。ただ、話題が集まりやすい方向に集まっているだけだった。
そのたびに、僕は少しずつ自分を引っ込めた。
期待されない場所に立つことは、傷つかないための最適解だった。何も求められなければ、失望もない。そうやって、僕は自分の存在感を自分で薄めていった。
高校生活は続いている。
けれど、内側では、確実に何かが空洞化していくのを感じていた。
高校生活の後半に入ると、時間の進み方が妙に早く感じられるようになった。
行事は淡々と消化され、授業は単位として処理され、日常は予定表の中で圧縮されていく。僕はその流れに逆らうことなく、むしろ流されることを選んでいた。自分から何かを選び取るより、与えられた役割を無難にこなす方が、ずっと楽だったからだ。
友達との関係も安定していた。
毎日同じ顔ぶれで集まり、同じような会話を繰り返す。笑いどころも決まっていて、沈黙が訪れても不安はなかった。だが、その安定は、深さを伴っていなかった。誰かの弱さに踏み込むこともなければ、自分の弱さを晒すこともない。関係は壊れない代わりに、更新もされなかった。
姉との距離は、物理的には近いままだった。
同じ家に帰り、同じ食卓を囲む。それでも、話す内容は次第にすれ違っていった。姉の話は未来に向かって伸びていくのに対し、僕の話は現在で止まっていた。進路の話になると、自然と聞き役に回り、相槌を打つだけになる。その役割が定着していくことに、違和感を覚えなくなっていた。
この頃の僕は、「何者かになろう」と考えることを避けていた。
目標を持てば、達成できなかったときに傷つく。比較される。評価される。そうした一連の過程を、もう一度引き受ける気力はなかった。だから僕は、はっきりした輪郭を持たないままでいることを選んだ。
だが、輪郭を持たないという選択は、同時に、自分を肯定する根拠を失うことでもあった。
何ができるのか、何を望んでいるのか。その問いに答えないまま時間が過ぎていくことに、薄い不安が常に付きまとっていた。
高校生活は、穏やかだった。
けれどその穏やかさは、満たされているからではなく、何も起こさないように注意深く生きていた結果だった。
高校三年生が近づくにつれて、周囲の空気は目に見えて変わっていった。
進路、受験、将来。言葉としては以前から存在していたそれらが、急に現実味を帯びて語られるようになった。教室の会話は具体的になり、模試の結果が価値の指標として扱われ始める。
姉の世界は、ますます前方へ伸びていった。
志望校、判定、合格可能性。彼女の話題には方向性があり、時間軸がはっきりしていた。一方で僕は、どこへ向かっているのかを語れなかった。語らないのではなく、語れるものを持っていなかった。
友達の前でも、同じだった。
進路の話になると、冗談めかして話題を逸らすか、曖昧な返事でやり過ごした。深く聞かれないように、軽い態度を保つ。それはもはや無意識の反応だった。
この頃、僕は自分が「その場にいる役」を演じているだけだと、はっきり自覚していた。
求められる表情を浮かべ、必要な相槌を打ち、場を乱さない存在であり続ける。そこに本音が入り込む余地はなかった。
高校生活は終わりに近づいていた。
だが僕の内側には、何かをやり遂げたという実感も、次へ進む準備が整った感覚もなかった。ただ、空洞だけが、静かに拡張していった。
卒業が近づくにつれて、高校生活は急速に「過去」になり始めた。
教室の掲示物が剥がされ、時間割が意味を失い、登校日数は指折り数えられるようになる。周囲は別れを惜しみ、思い出話を語り合っていたが、僕はその輪の中で、どこか現実感を欠いていた。
楽しかったはずだ。
友達もいたし、大きなトラブルもなかった。笑った記憶も、行事の写真も、確かに残っている。それなのに、それらが自分のものだという実感が薄かった。まるで、他人の人生を横から眺めていたかのようだった。
姉は、最後まで姉だった。
特進クラスでの話題、進学先、教師からの期待。卒業後の道筋は、すでに見えていた。家でも学校でも、姉の未来は自然に語られ、共有されていた。誰も悪気はなかった。ただ、語りやすい話題が、そこにあっただけだ。
僕の未来は、語られなかった。
それは否定ではなく、未定義だった。
未定義であるということは、評価の対象にもならないということだ。期待もされない代わりに、可能性としても扱われない。
卒業式の日、姉と並んで写真を撮った。
同じ制服を着ているのに、並んでいる二人は、まるで別の時間を生きているように見えた。双子だと気づかない人がいるのも、無理はなかった。似ていないのではない。積み重ねてきた役割が、あまりにも違っていた。
式が終わり、人が散っていく中で、僕は不思議と強い感情を抱かなかった。
達成感も、喪失感もない。ただ、高校生活という期間が、静かに閉じただけだった。
そのとき、はっきりと分かったことがある。
高校で僕が得たものは、人間関係でも、思い出でもない。「空洞」と呼ぶしかない感覚だった。
関係は更新され続けたが、蓄積されなかった。
演技は磨かれたが、自分は増えなかった。
誰かと一緒にいても、どこか一人だった。
そしてその空洞を抱えたまま、僕は次の場所へ進むことになる。
何かになれた実感もないまま、何かを終えたという事実だけを携えて。
高校生活は終わった。
だが、「何にもなれない自分」という感覚は、この先も続いていくことを、僕はすでに予感していた。
次の更新予定
何にもなれない自分 だれなんだろう @darenandarou
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