堕ちた先は聖なる糞
大吟ジョー
第一話 失恋はテキーラの味
この世で世界一可哀想で見苦しい女は私だ。異論は認めない。
スマホのホーム画面を見る。よかった、ちょうど明日ごみの日じゃん。
「…よし、決意した」
呟いたというよりは言い聞かせたという方が正しいかもしれない。
部屋の片隅に置いている小さな本棚から手に取ったのは、6年間愛読していた単行本。
題名【Holy
週間少年誌で連載されている超人気作品だ。
服は脱ぎっぱなし、化粧品はテーブルの下まで散乱させているガサツな私が、唯一今日まで大切に保管していた宝物だった。
そんな命より大切な物を私は捨てる。
別に飽きたわけじゃない。寧ろまだ大好きだ。
できることなら捨てたくない。
けどもう自分のメンタルが限界なんだ。だから手放すという選択肢しかもう残っていない。
6年間で地道に集めたグッズ達を見渡し、その中からキャラぬいを一つ両手で持ち上げ額に当てる。
「バイバイ、今までありがとう、幸せにね“りっぴー”」
全体的に真っ白なキャラクターなのに、私が散々愛でまくったおかげでぬいぐるみは少しくすんでいる。
作中最強のキャラをここまでくたびれさせてしまうなんて、私の愛どんだけ重いんだよっていう。
はは…それくらい大好きだったのに……。
ゴミ箱にはガムテープでぐるぐる巻きにした今日買ったばかりの今週号。
余っていたテープを全部使って絶対に視界に入らないよう封印したはずなのに、“あの”ページが脳裏に焼き付いて離れない。
辛い、辛い、つらい。
まさかさ、6年の連載期間で一ミリも女の影が無かった推しがだよ?
擦り寄ってくる女なんて興味も無く一蹴してそうな推しがだよ??
そんな女気が一ミリもない推しの公式カップリングが6年越しに公開されるなんて。
何が孤高の最強が唯一愛した女だよ。こんちくしょう。
おかげで私はとんでもない大失恋だよバッキャロー。
「…もしもし、今日開いてる?…うん、そうそう朝まで飲みたくて。…おっけー、30分後に行く」
端的に通話を終わらせて、すっぴんで髪もとかさずに、スエットのまま健康サンダルに足を突っ込んだ。
右手にゴミ袋、左手にビニール紐で縛った本を持ちながらエレベーターに乗り込む。
いや分かってる。二次元のキャラにガチ恋して、公式カップリングに発狂するなんて、典型的なキモオタクだ。
SNSの相互さん達は私とは真逆でみんな祝福してた。お祝いイラストを投稿してる人もたくさんいた。
けどそういうのって、私から見れば「いい女ぶってるけど、絶対あんたらも心から祝福なんかしてないでしょ?」としか思えない。
なんで?なんでみんなそんな素直に推しの女を受け入れられるの?
私がおかしいだけ?私が痛いだけ?
嫉妬と未練でパンパンになった狭い箱の中。
電気代をケチってるのか、そこはいつも薄暗くて気味が悪い。
エレベーターの扉のガラスに映し出されるのは、不気味に翳る私の顔。
まさに嫉妬に狂った女の生き霊みたいだ。
私が進んだ道には、きっと憎悪の残穢が取り残されるだろう。
そんな厨二臭い事を思いながら、ゴミ置き場の蓋を閉めた。
さあ、今日はしこたま飲もう。
人生で唯一好きになった男を忘れてしまえるくらいに。
____________________
「ちょっと〜アンタ飲み過ぎよ。うちはゲロ吐き道場じゃないんだからね」
安っぽいネオンが輝く繁華街のとあるゲイバー。
10席ばかりの狭いカウンターにてお構いなしにど真ん中を陣取る。
カウンターを挟み、向かいに立つのはここのママさんだ。
この人間まみれの都会で数少ない私の話し相手になってくれる人。
一応私の母親の古い知り合いらしい。
まああんなクズ女なんて顔も覚えてないけど。
「だぁ〜いじょーぶ、まだぁよってな〜い」
「酔っ払いの言う酔ってないは100パー嘘。ほら、水飲みなさい、水!」
カウンターに水の入ったグラスを差し出される。
製氷機から出したばかりの氷が、グラスの中でカランと鳴いた。
「いらなぁ〜い、水は出禁で〜すぅ」
「あーもう、とりあえずここ置いとくから!」
本当にいらないのに、ママは私に水を押し付ける。
だって私はここに水を飲みに来てるわけじゃないし。徹底的にベロベロになりたいから来てるんだし。
酒でバカになって、なんも考えられなくなって、過去の男なんて思い出す余裕すらなくなるくらい酒に溺れたいんだよ。
「ママぁ〜、私失恋しちゃったぁ〜、辛すぎるから慰めてぇ」
「はいはい、アンタそれ言うの5回目だから。漫画だかアニメだか知らないけど、二次元のキャラクターでそうなるとか相当末期よ?」
「うっさいなぁ、平面だって男は男だも〜ん。
それに二次元も縦に引き伸ばせば、私らの次元に追いつくしぃ。ほぼリアルと言っても過言ではないも〜ん」
「またそんな屁理屈を…」
はあ、とため息を吐くママ。ため息が出そうなのはこっちなのに。
「…私、もう一生男を好きになれないかも〜」
酒の入ったグラスを回しながらそう言う。中の氷はほぼ溶け切って、チャポチャポと水が跳ねる音だけが聞こえる。
「大丈夫、失恋した時は決まってみんな同じ事をぼやくもんよ。どうせまたキラキラの王子様が現れるから安心なさい」
「えー本当ぉに〜?」
「こちとら両手じゃ収まらないほどの男を追って来たわけだもの。たかが1人の男を失ったくらいじゃ女は廃れないわよ」
誇らしげに胸に手を添えるママ。
「…ママは、心が強いんだね」
「まあね、伊達にこんな汚ったない街で長いこと店やってないわよ。ほら、もう満足した?そろそろ店閉めるから出てってちょうだい」
「ママぁ、最後にテキーラ二杯ちょうだぁ〜い。一杯はママの分ね〜」
「アンタまだ飲む気?」
「いらないの〜?」
「飲むに決まってるでしょ」
「さっすが〜」
並々に注がれたショットグラスを受け取り、勢いに任せて流し込んだ。
冷たいはずのテキーラは、マグマのように私の喉を焼く。
明日はきっとママみたいな酒焼け声だろうな。
「ごちそうさまぁ、ありがとうママ〜、お会計ちょおだ〜い!」
財布を取り出し、伝票を受け取り金額を確認する。
うわ、結構いっちゃったよ。急に酔いが冷めそうだ。しばらく貧乏生活確定だな。
あーどうやって推し活の資金を…。
ああ、けどそうだった。もう推しに貢ぐことも大好きな漫画を追う事もないんだった。
なら少しは余裕がある。
ラッキーだと思いたいのに、心に空いた穴がそれを否定する。
推しの色とは真逆のどす黒いものが、私の胸に渦を巻く感覚。
まるで私の醜さを象徴しているように。
自分の本質を知覚した途端、私の中の何かが爆ぜた。
頬を温かいものがつたい、滴り落ちた雫で万札に斑点が浮き出た。
大好きな推し、大好きだった推し。見てるだけで胸が苦しくて温かくなる人。
この世で一番あなたのことを愛していました。
あなたがあの女を愛するように。
「……いっそ…死んじゃいたい」
無意識にそう声に出てしまった。
「バカ言ってんじゃないわよ!!男如きに賭けれる程アンタの命は軽くなんてないでしょ!!」
感情的になったせいで一気に酔いが回り出し、
ママの言ってる事は聞こえるのに聞き取れない。
怒ってるのはわかるけど、脳が情報を処理しきれてないのかも。
頭がぼやぼやする。
あーうー、なんかもう、よくわかんない。
「いい?アンタは絶対、自分の母親の二の舞なんて踏んじゃだめだからね!!」
ママ、なんて言ってるんだろうなあ。
まあいいや、全部どうでもいい。
私ごときが死んだところで、りっぴーは泣いちゃくれないんだから。
時刻は3時、だいぶ飲み過ぎてしまった。 おかげで視界がぐちゃぐちゃだ。
グルグルと回転するように辺りが歪んでいる。
それでも節約のためタクシーも呼ばずに、ガードレールや電柱に体をぶつけながら、マンションまでの長い道のりを歩いていた。
ああ、やばいめっちゃ眠い。 こんなに酒に飲まれたのなんていつぶりだろう。
んーと、やっぱ頭回らないや。
「もうどーでもいいやー」
フラフラと千鳥足で、横断歩道もない幹線道路の柵を越えて渡ろうとした。
その矢先、自分の足に引っ掛けてしまい、アスファルトに顔を思い切り打ちつけた。
履いていた健康サンダル宙を舞い、地面に落ちた弾みで転がる。
鼻から滴る鉄臭いものが血溜まりを作り、私の顔を汚く染めた。
それでも全然痛くない。
だいぶ強く打ちつけたはずなのに、余程アルコールが回っているんだろうな。
早く起き上がらないといけないのは分かってる。
けど、アスファルトが冷たくて気持ち良すぎて離れられない。
キンキンに冷えてる地面の心地よさで、途端に猛烈な眠気が襲ってくる。
ああ、早く起きなきゃ、でももうちょっとだけこの感覚を味わいたい。
なんかもう帰るのもだるくなってきた。
もういいんじゃない?今だけここが私の家ってことで。
うん、それがいい。そうしよう…。
「あははグッバイ世界〜あはは〜……」
薄れゆく意識の中、だんだんと近づいてくる大きなトラック。
街灯も心許ない道路に横たわる私に気づくこともなく、猛スピードで突っ込んでくる。
そんな状況にも気づかず、呑気にうとうとと舟を漕ぐ。
そしてタイヤに乗っかられた瞬間、ゴリゴリと潰されていく自分の体。
痛いとか怖いとか思う前に、目の前が急に暗転していったのは、神様からのせめてもの慈悲だったのだろうか。
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