クジラの棲む星
みりん
第1話
「何?今の音」
「爆発??」
簡素な平家が立ち並ぶ住宅街から2本ほど外れた一直線の道。そこは所謂"平和の根っこ"とも言えるだろうか。
戦時中に使われた"兵器"を持つ事が自衛であると考える者達はそこに住み着く。
しかし今日また、"兵器"—拳銃が人の命を奪ったらしい。
フィクションでもノンフィクションでもその音を聞いたことの無い世代は、初めての音に興味深々だ。
「安心しろ!犯人はもう拘束された!」
安堵する者、よくわからないという顔をする者、大きく言えばこの2つに分けられる。
「ミオ!」
ミオと呼ばれた少女は、葉書の住所を追っていた目を声の方に向ける。
「...リシア」
リシアは手を振りながら小走りでミオの元へ駆け寄る。
「おはよ!ミオ」
「おはよう、リシア」
「おはようミオ。仕事か?」
リシアの後ろから現れたのは、5つ年上のリシアの兄、リオル。
「うん。」
「ご苦労さん。」
ミオは軽く会釈をする。
「お二人は?」
「これから、叔父さんの家に行ってお手伝い!」
リシアとリオルの叔父さんは、足が悪く歩けない。
この地を開拓した、開拓世代の人達は短命だ。若い頃の無理が祟り、リシアとリオルの両親のように持病を患い早死にしてしまう。
「ねえねえ、郵便配達は何時まで?」
「一応15時目処かな。今日はあんまり多く無いから。」
「本当!?じゃあ終わったら一緒にサキハルさんのとこでお魚見ようよ!」
サキハル。このノヴァ島に研究所を構える海洋学者だ。
彼の研究所にはたくさんの魚がおり、2人はよくそこで暇を潰している。
「うん。いいよ」
「やった!じゃあ終わったらサキハルさんの家に集合ね!」
「わかった」
くしゃっと笑うリシアにつられ、ミオの口角も自然と上がる。
その後ろで、リオルも穏やかな顔をしている。
ミオは配達を再開しようと一歩踏み出すと、空気を震わせたのは口笛よりももっと高く、劈くような音。
「何の音?」
リシアは音の方向をきょろきょろと探る。
ミオは目の前の景色に目を奪われた。
「なんだ、あれ」
リオルはミオの視線に引き寄せられ、海面よりも少し上を見開いた目で捉える。
遠くの方で様々な人の様々な言葉、叫び声が聞こえる。
阿鼻叫喚。
人々は一生懸命に、ミオたちの見つめる方と反対方向に走っていく。
「おい!俺たちもいくぞ!」
リオルの声で走り出そうとするミオは、動こうとしないリシアに気づく。
「リシア!?」
1秒も惜しい。ミオはすぐにもう一度叫ぶように名前を呼ぶ。
「リシアってば!」
ミオはリシアの腕を掴み、走り出す。
しかし、リシアの腕は重いままだ。
「....もう、無理でしょ。」
「え?」
ミオはまた振り返った。
迫り来る波。その上に迫り来る..."影"を。
リシアは引っ張り続けるミオと、痺れを切らしたリオルに引きずられるように、腕を掴まれ走り出す。
太陽の光を遮ったのは、鳥でも雲でもなかった。
———小さな埋め立て地。
かつて人間の平均寿命は80を超えていたらしいが、今は50年生きれば大往生いったところだろうか。
かといって今まで培われた風習や人生設計の感覚は戻らず、少子化により人類は絶滅の危機にあった。
祖父母の時代にあったと言われている戦争の話は、あまり語り継がれなかった。
誰もが口を紡ぐ事を選んだ。それほど恐ろしく、何もかもを失った戦いだったらしい。
戦争で全てを失った先人達は、小さな島を基盤に土地をつくり、そこで生きることを選んだ。
そんな埋め立て島。ノヴァ島は、一匹の海洋生物により、壊滅的な被害を得た。
「...オ...ミオ!?」
ミオはリオルの声で目を覚ます。
起き上がると、温かい汗のようなものがこめかみを伝っていく。
ミオは手で拭ってその色を確かめる。
(...血だ。)
「ミオ!」
リオルはミオが目を覚ましたことに安堵した。
「お前っ、大丈夫か?俺がわかるか?」
リオルはミオの肩を掴む。
「うん。わかるよ、リオル。」
リオルは一息つく間も無く、すぐに思い詰めた表情に切り替わる。
「なあ、リシア見なかったか?」
「えっ」
ミオは辺りを見回す。
波に飲まれた直後、恐らくミオとリオルは蒸気機関車用の線路に貼られている柵に助けられたらしい。
柵は大きく曲がっており、所々地面から杭が抜けているが、ギリギリ役目を果たしてくれたようだ。
「...見てない。」
ミオは波に飲まれる瞬間まで、リシアを掴んでいた左手を見つめる。
「...そうか。」
リオルは立ち上がると、迷いなく歩いていく。
「リオル?どこにいくの?」
「...リシアを探す。」
かつて、先人達がやっとの思いで開拓した土地は、海水に流され殆ど原型を留めていない。
逃げ遅れた形になったミオ達の周りには、人の痕跡がなかった。
「.....私もいく。」
「ありがとう。」
ミオは立ち上がると、リオルの隣に並び歩き始めた。
少し歩くと、そこはさらに地獄絵図だった。
この島に、逃げ場は無かったらしい。
「....酷えな。」
ミオはその言葉に応えられなかった。
言葉を失うとはまさにこういうことだと身をもって知った。
「半分以上はやられてそうだ。俺たちが生きてるのも奇跡だぞ。」
そう言うリオルも、足を引きずっていた。
「足、痛むの?」
「ああ少し。でも骨まではやられてない。軽い捻挫だろう。」
少し向こうのほうに、怪我を負いつつも地面に崩れ落ちながら一点を見つめる人が数名いた。
リオルとミオは自然と、彼らが見つめるその方向に目をやった。
「...何か、いる?」
ミオはそう呟く。
冷え込んでいた空気のせいで、島を襲った海水は霧になり、視界があまり良く無かった。
「...とりあえず、サキハルさんのところへ行こうか」
そうリオルが口に出すと、遠くの方から声が聞こえた。
「.......すごい...すごいぞ!!!」
その人の口角はかなり上がっていて、手を広げてこの島で唯一の笑を浮かべている。
「あれって....」
「サキハルさんじゃねえか」
2人は少し駆け足でサキハルの元へ向かう。
「サキハルさん」
サキハルはミオの声が届き、2人のいる方を見る。
「君達...無事だったんだね!」
学者っぽいからという理由で丸いメガネをかけた彼は、寝癖をふわふわさせながら2人に駆け寄る。
すると頭に怪我を負ったミオに気づく。
「ミオちゃん!その血.....」
「ああ、軽く切っちゃっただけです。もう血も止まってます。」
「でも、バイ菌が入るといけないから...研究所で手当をするよ。」
優しく微笑むサキハル。
「ありがとう。リオルも、足を挫いてるみたいで....」
「俺は大丈夫だ。それより、リシアを探しにいかなきゃいけねえ。」
「え、リシアちゃん。行方不明なの?」
リオルは暗い顔で「ああ」とだけ答える。
あの勢いで波に飲まれて行方不明ということは、結果はほぼわかりきっている。
だが誰もそんなことを口には出せなかった。
「...探すにしても、そんな足じゃ効率が悪い。先に手当だ。」
サキハルに正論を言われたリオルは、悔しそうな顔で頷いた。
サキハルの研究所は、海を見渡せる高台に建ち、更に3階建てになっている。
様々な海洋生物を飼っていた1階や2階はもう使い物にならないが、寝室や研究室がある3階は波を免れていた。
2人はサキハルから着替えを借り、椅子に座らされていた。
サキハルはミオの怪我を真水で洗うと絆創膏を貼る。
「ありがとう。」
「どういたしまして。さて、次は君だ。」
同じく椅子に座らされていたリオルの右足を取り、患部を確認する。
「あれは、一体何なんだ」
リオルは、手当をするサキハルを見つめながら尋ねる。
「そろそろ霧が晴れて見えるんじゃないか?あの巨大生物が。」
ミオは立ち上がり、窓から外を眺める。
「"クジラ"だ。」
「クジラ....」
ミオは名前を呟くと目を凝らした。
そのクジラは砂浜だけでなく、居住区にまで乗り上げている。
あそこの下敷きになっている人がいれば、間違いなく助からない。
「あんなに、大きいのね。」
「ああ。多分あれは深海生物だからね。」
「深海生物?」
サキハルは水に濡らしたタオルでサキハルの足首を冷やす。
「ああ。生物ってのは深海に行けば行くほどデカくなり、色も失う。彼もほぼ真っ白だろう。」
「.....ほんとだ。」
「何で、こんなところに?」
リオルはテーピングを巻かれ、痛みに時々顔を顰めながらサキハルに尋ねる。
「それはまだわからない。そもそも深海にいる生物がこんな浅瀬に.....地上に現れるなんて考えられない。」
サキハルは巻き終わったテープの余りを切る。
「よし。あんまり負荷かけないこと。」
「ありがとう。」
リオルはすぐに立ち上がり、足を引き摺りながら窓へ。
サキハルは呆れた顔でその後ろ姿を見つめる。
「...あれが...生き物なのか?」
「ああそうさ。100mを優に超えているがな。」
「...彼は生きてるの?」
「うん。さっき軽く見てみたけど、しっかり眼球が動いてたよ。おそらく、地上は光が強すぎて何も見えてないだろうけどね。」
リオルは階段を降り始める。
「色々ありがとな、サキハルさん。」
「...探しに行くの?」
「ああ。当たり前だ。」
「そっか」
サキハルは苦しそうな顔をするが、リオルの方がもっと苦しそうな顔をしていた。
「ミオちゃん。手伝ってあげて。」
「もちろん」
ミオはリオルの元へ駆け寄り、肩を貸す。
「ありがとう。」
「サキハルさんは、これからどうするの?」
「そうだね。僕はクジラをもっと調べるよ。復興のためにも、まずは混乱を治めないと。」
サキハルは少し嬉しそうに、メガネを直しながら答える。
「わかった。よろしくお願いします。」
「君たちも、リシアちゃんの事よろしくね。」
2人は頷くと、ゆっくり階段を降りていった。
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