昭和のあの日はセピア色
この美のこ
1 我が家にテレビがやって来た
テレビ放送がスタートされたのは1939(昭和14)年5月。
NHKが日本初のテレビ公開実験を実施しました。
戦争による中断を経て1948(昭和23)年に戦後初の公開実験を行い1953年2月1日、いよいよ本放送を開始しました。
同年、8月には民放の日本テレビ放送網も本放送を開始しました。
恐らく今、このエッセイをご覧の皆様のお家にはきっと生まれた時からテレビは当たり前のようにあったのではないでしょうか?
ところが私が生まれた時には、テレビは我が家に存在していなかったのです(笑)
そして恐らく1964年に行われた東京オリンピックもリアルタイムで知ってる人は、ほぼいらっしゃらないのではと思います。
私は2021年開催と2度、リアルタイムで知っています。
東京オリンピックの話が出たついでにお話ししますが、1964年当時私は小学1年生でした。
とても可愛い女の子でした(自分で言う?)
自分で言わずして一体誰が言ってくれますか?(確かに!)
オリンピック開催に先駆けて全国を聖火ランナーがリレーで縦断していきました。
我が地区も聖火ランナーが走るタイミングで全校生徒は国道の沿道に並び全員で日本国旗の手旗を持って走るランナーに向かって旗を振って一生懸命に応援しました。
私はこの時の事を鮮明に覚えています。
学校挙げての大イベントで大盛り上がりだったからです。
勿論、学校だけでなく日本全国挙げての大イベントでした。
話しは本題に戻りますが、テレビが日本のお茶の間(今はこんな言い方しませんね)に急速に普及したきっかけは何といってもこの1964年に開催された東京オリンピックの影響が大きかったと私は思っています。
何故なら東京オリンピックをテレビで見ようとこの年に我が家にもテレビがついにやってきたからです。
デジタル化された今のような超薄型ではなくブラウン管テレビで縦横分厚い箱のようで周りは木で出来ていて足がついていました。
チャンネルはつまみが付いているのを回して変えていました。
完全デジタル化されたのは2011年なのでアナログテレビは皆様も知っていると思いますがつまみを回してチャンネルを変えるのはご存じない方も多いかもしれません。
テレビが我が家に来るまでは隣のお家のテレビを時々見せてもらっていました。
1962年には「ポパイ」のアニメが放送されていて、それを見せてもらっていたのです。
さて、テレビが我が家に来た日はもうテンションマックスです。
あの頃、私は画面に映像が現れることが不思議で不思議でたまりませんでした。
この得体のしれない箱の中に人が入ってるかもって本気で思ったりもしてました。
6歳になったばかりの私はテレビの裏側を何度も何度も覗いてみたりしてました。
テレビが我が家に来てからは、学校からも真っすぐに家に帰るようになりました。
早く家に帰ってテレビが見たかったからです。
あの頃、夕方「少年ジェット」という少年探偵ジェットが敵と戦うヒーローものが放送されていました。
マフラーをなびかせスクーターに乗り、愛犬シェーン(シェパード犬)を連れているのがジェットのトレードマークでした。
悪者を倒すのがカッコよくて夢中で見たものです。
この番組が終了すると、今度は「月光仮面」が放送されました。
昭和32(1957)年には、国内初のカラーテレビが発売されました。
本格的に普及が始まったのは1968年頃からだそうです。
この頃はカラーと白黒の番組が混ざって放送されていたので、カラーの放送には画面の右下あたりに【カラー】というマークが表示されていました。
日本で、再放送を除いて完全にカラー放送になったのは1977年10月1日です。
そんな訳で、我が家のテレビは当然、白黒テレビでした。
いつカラーテレビに買い替えたのかは残念ながら覚えていないのです。
電気に関する生活を大きく変える存在となった3種類の電化製品の事を、「三種の神器」と呼んでいました。
今回はこの三種の神器の一つ、白黒テレビが我が家にやってきた時のお話でした。
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