不可思議蕎麦屋、藤庵

SB亭moya

第1話 お祓い蕎麦

 都心の喧騒から離れ、人通りが少なく、シンと静かな裏通りを進む。

 やがて食欲をくすぐるような匂いが漂ってくるとそこは、なぜか年末にしか営業をしない不思議な蕎麦屋、「藤庵」の入り口である。


 駅からはやや遠く、大きな店看板を構えているわけでもない。

 正直、わかりづらくて辺鄙な場所に「藤庵」はある。


 木の扉を開けると、出汁のいい香りが漂ってくる。


「へい! らっしゃい!」


 客を出迎えるのは、若い店員秀吉だ。

 

 入店した客は、店に入るなり食券も買わず、店のテーブルに座って震え出した。


「お……お客さん? まずは食券を買って頂かねえと……」


 秀吉が水を差し出すと、客は秀吉を見上げてこんなことを言い出した。


「助けてくれ」


 状況がわからず、困惑する秀吉。


「な、なんですかい? とりあえず注文をお聞きしてえんですが……」


 すると客は、ボソボソと小さい声で注文をした。


「……この店の、一番うまい蕎麦を頼む……

 こ、これが俺の最後の晩餐だからうううう」


 全く話の要領を得ない。

 これは流石に、秀吉も聞かないわけにはいかなかった。


「……何があったんですかい?」


 すると男は、すがるような、命を乞うような目で秀吉を見た。


「……壊しちまったんだ……」


「へえ。壊した。何を?」


「祠」


 ……


「あちゃあ……なんだってそんなことを?……」


「しかもただの祠じゃねえ。あの祠のあった場所は、かつて屠殺場があり、その後は疫病で数人が亡くなった病院が建って、

 病院が取り壊されたあとは数人が亡くなった刑務所が建った場所だ。そこの霊たちを慰める祠だったんだ。その祠を壊してしまった俺には、もう天文学的数の悪霊が取り憑いている……もうおしまいだ……」


「……ちなみにですがどうして……祠なんか壊してしまったんで?」


「私はしがないホラー作家でね……ホラー作家たるもの、祠の一つでも壊して、自ら呪われるようなことでもしないと、良作が生み出せないと思ったのだよ……」


「そんなもんですかねえ……」


 すると、カウンターの奥から男が出てきた。『藤庵』の店主、藤吉である。


「話は全て聞かせてもらったぜ」


「親方」


「おめえのために蕎麦を打ってやる。おめえさんに取り憑いている悪霊ごと、『藤庵』の蕎麦を食わせて、それが美味かったら……成仏してくれるかも知れねえぜ……」


「打ってくれるのですか……! 祠を壊した私に……!」


 そうして店主、藤吉は男のための蕎麦を打った。


 男のためだけではない。男の勝手な都合で祠を壊された、幾百、幾千の哀しい魂に向けて蕎麦を打った……。

 

「ほれ、お待ち」


 油揚げが二枚添えられただけの、シンプルなお蕎麦。

 それを男はがっついた。


「うめえ……うめえし……なんだか体が軽くなった気がします」


「そうかいそうかい。きっと、あんたに取り憑いた悪霊も年越しに蕎麦が食えて、嬉しかったのかもな」


「ありがとう店主さん。こちらお代です。あなたは命の恩人だ」


「なんの……また、祠壊したらいつでも来いよ」


 男は、何度もお辞儀をして、店を出ていく。


 ……その姿を、悪ーい顔でニヤニヤして見ているのが店主の藤吉である。


「親方」


 その姿を呆れ顔で見ている秀吉。


「心が痛まねえんですかい」


「いやあ、我ながら天才的な蕎麦だぜ。『食うたびに自分が祠を壊したと思わせる催眠蕎麦』すっかり奴さん怯えきっていたじゃねえか。そして食えば食うほど、奴さんは新しい祠を壊したと『思いこむ』んでい……

 救いようがないねえホラー作家ってのは」


「彼がホラー作家とは限らねえでしょうに……おっかねえ親方だよ」


「さ、無駄口叩いてねえで、さっさと次の催眠そばを茹でときな! 奴さんそろそろ、妄想の中で新しい祠を壊す頃だぜ。

名付けて『解呪蕎麦』大晦日の年越し商戦、この戦法でジャンジャン稼ぐぜ! 秀よい!!」


「普通の蕎麦で……真面目に一年間営業するって気はねえんですかい? 親方は」


「ねえよ!! 働きたくねえもん!!」


 すると、ガラガラガラ……と木の扉が開く。先ほどの男が、青い顔をして店の入り口に立っていた。

 

「へい、いらっしゃい!」


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