【短編】泡沫の友

だむせる

泡沫の友

 僕は木陰にしゃがみ込んで、いつもの如く、少し錆びついた蛇口を強めにひねった。

 じゃぶじゃぶと一見キレイそうな透き通った水が流れ出す。小脇に抱え込んだものが濡れないよう、体を斜めにして庇う。


 実際どれだけ清潔なのかわからないそれに手を通し、いつもの如く、彼の名前を呼べば、それはみるみるうちに僕と同じ姿形を宿した。


 コポコポと小気味よい水音が、彼の喉を模した器官から聞こえてくる。


「また来たの? モノ好きだね」

「おかげさまでね」


 彼はクスクスと笑う。肩を揺らす度に水滴がピチャピチャと跳ねてきた。


 それが収まった頃合いを見計らって、僕は庇っていたものを彼の前に差し出してみせる。


「これ、食べる?」


 作りたてのかき氷だ。家から大急ぎで運んできた。この暑さで少し溶けてしまっているが、なかなかきれいな山型を保っている。


 彼はたいそう不思議そうな様子でかき氷を覗き込んでいる。体から滴る水滴が徐々にかき氷を侵食していっているが、僕が食べるものではないので目をつむることにする。


「どれがいい?」


 僕はトートバックに詰めてきたシロップを地面に並べていく。


 定番のイチゴ、メロン、ブルーハワイから、店頭にひっそりと売れ残っていたザクロ、キンカン味なんかも持ってきてみた。さすがに『ヤキニク』とか書かれたありえない味はスルーさせてもらったが。


「イチゴ! イチゴがイチバン!」


 彼は手を模した器官でイチゴ味のシロップ瓶を包みこんでコポコポと弄んでいる。


「君は味を判別できるの?」

「でっ……きるさ! ……がんばれば」


 自信なさげに目を泳がす彼を横目に、僕はイチゴ味のシロップをかけてやる。


 出来上がったいかにも模範的なかき氷にスプーンを差してみるが、果たして彼にスプーンというものが必要なのかはわからない。なんとなくスプーンは抜いた。


「そういえば、かき氷シロップって色々あるけど、実際はどれも同じ味らしいよ」

「えっ」


 スプーンなしのかき氷を差し出しながら言うと、彼は残ったシロップ瓶をバシャバシャと盛大に水滴を撒き散らしながらかき集め始めた。思い切り濡れたんだが?


「じゃあこれぜ〜んぶミックスしてもおいしいかな?!」

「うん……まあ……やってみたいなら止めないけど……」


 僕は袖で顔を拭う。


「よっしゃあ!」


 彼はかつてないほど器用な手さばき……水さばき? で次々とシロップをかけていく。赤と緑が混ざりだした時点で、かなり食すには向かない色合いになってしまった。更にそこにトドメの黄色。


 この世の終わりのような色合いになったかき氷を、彼は嬉々としてサクサクと混ぜている。


 まて、いつの間にスプーンを手に入れたんだ。


「これってさあ、水を凍らせてんだよねえ」


 ザクロ味のシロップを追加投入しながらふいに彼が呟く。


「そうだね」

「じゃあ君んちの水道水さんってことだよね」


「いや? 君だけど」


 彼の手がピタッと止まる。


「は?」

「ここの水道水だけど」

「はあ?」


 昨晩こっそり水筒に入れて持ち帰ったのだ。彼が知らないのも当然のことだ。名前を呼ばなかったのだから。


 呼ばれなければ来れないだなんて、なんとも不便なものだ。


 僕の答えに、彼は顔を模した器官をギュッと歪めゴポゴポとうめき声を出す。


「君ってやつは、僕を僕に食わせようとしてたってのか? おいしくシロップまでかけて?」

「そう」

「気は確かか?」

「まさか。君みたいなのに会いに来る時点で狂ってるよ」

「ウワー、急に食べる気が失せてきた……」


 それ以前に食欲を失うポイントがあった気がするが、気になるのはそこなのか。


「じゃあ食べないの?」

「イヤ、食べる」


 何なんだこいつは。


 そのビショビショの体でどうやって食べるのだろうと思っていたら、彼は手を模した器官をそのままとんでもない色のかき氷に向けて振り下ろした。


「あ、器は食べないでよ」

「えっ、ハイ」


 その「えっ」はどういう「えっ」なのか。


 気がつくと、とんでもない色のかき氷は手を模した器官の先から水に飲み込まれていて、とんでもない色が彼の体中をぐるぐると駆け回っていた。


「どう? どんな味?」

「……ちょっと待って、いまがんばってるから」


 ああ、頑張らないと味がわからないんだったか。一体どういう原理なのだろう。


 顔をキュッとしてしばらく頑張った後、彼はあまり美味しそうには見えない表情をした。


「……なんかスッパイ」

「ふむ」


 ザクロがいけなかったか。


「あとちょっとシブい」


 それは恐らく錆だな。ここは誰も使っていない、というかあることすら気づかれていない、それはもう古い水道なのだから。


「なら僕は食べないほうがいいか?」


 ポツリと呟いた何気ない僕の言葉に、彼は信じられないと言わんばかりに目をひん剥いた。


「まさか、君まで僕を食べようとしていたのか?! 毎日のように話しているトモダチを?!」

「だって、気になるんだもの」

「ヒトの心はないのか?!」

「君じゃないんだから、あるに決まってるだろ。こればっかりは、君みたいなのが存在しているのが悪い」

「ウルサイなあ。空想だってオトモダチになれる時代なんだ、いいじゃんか。水が体と意思を持ったって」

「別にそこを否定している訳じゃないんだけど……」


 ああ、空想か。なるほど、そういう可能性もあるのか。


 彼が、僕の空想だという可能性も。


 水が体と意思を持つ。そんなこと、とてつもなく非現実的で非科学的で、考えれば考えるほど、なんてありえない話……。



 ポチャンと腕に雫が落ちて、物思いに沈んだ僕の意識は引き上げられた。濡れた肌をそよ風がかすめていき、ひんやりと心地いい。


 彼が僕を見下ろしている。


「ねえ、僕ばっかにかまけていないで、ふつうのトモダチも作りなよ」


「……君に言われたくないな。僕以外に友達がいないくせに」

「僕みたいなのとトモダチになる君が異常なんだよ!」


 まったくこの鈍感アホ生物め……とかなんとか、ブツブツ呟く。何だか微妙に聞き捨てならないことを言われた気がしたような。


 僕は中身の無くなった器を回収し、シロップの瓶をまとめてトートバックに放り込んだ。瓶同士がぶつかり合ってガラガラと悲鳴を上げる。


「明日も来るよ」


 その音を聞きながら言うと、彼は呆れたように肩をすくめた。


「また来るの? 本当にひまなんだねぇ」

「うるさい」


 キュッと蛇口を閉めてしまえば、「あ、ちょ」なんて間抜けな声を残して、ぐにゃりと歪んだ体が排水溝に吸い込まれていった。


 律儀なやつだ。消える直前に、わざわざ手を模した器官を左右に振って「またね」を言いやがった。


 何もいなくなった排水口の暗がりに、僕も「また」と微笑みを落として、背を向けた。


 そして帰宅後、台所で器を洗っているときに、僕はある重要なことに気づく。





 あいつ、スプーン食べやがった。

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