クズ公爵様、私だけで良いと言って下さい!

ラッキー

私だけで良いじゃない!


「クズ公爵。最低男。脳みそちんこ野郎」


夜の十時を過ぎると、公爵邸の裏庭はひっそりと静まり返る。

私はその静寂の中で、床に這いつくばって、今朝公爵様が豪快にぶちまけた紅茶のシミを、ひたすら力任せに磨いていた。


「はぁ……また、別の女か」


心の中で悪態をつく。

二階の、公爵家当主オスワルド様の寝室。

その部屋で数時間前から途切れることなく、高揚した女の嬌声が響いてくる。

声の主は今週で2回目の女で、四日前にも同じ喘ぎ声を聞いた。

彼女は確か、公爵家に組みする伯爵家の若き未亡人。

媚びた笑い声の合間に、豪奢なベッドが軋む音が、嫌でもこの階下の書斎部屋まで届く。


「どこまで腐ってるのよ……」


腹いせに雑巾をギチギチに絞ってやりながら、一人愚痴る。

下働きとしてこの屋敷に雇われて二年、公爵様の傍若無人ぶりは一向に治まらない。

女は毎日取っ替え引っ替え。

気に入らないことがあると、全部私に八つ当たりしてくる。

そして、私の初体験も、二年前にこのクズ公爵に奪われた。

初めて体を交わした夜、私は恐怖で震えるばかりだったのに、彼はただ強引に、自分が満足するまで私を抱いた。

あの時の屈辱は、今でも鮮明に胸に残っている。


ーーー下働きの身だから仕方がない。拒否権なんて、最初からなかった。


そう自分に言い聞かせて、この二年、私は彼の夜の相手もこなす「特別な下働き」という、曖昧で都合のいい地位にいる。


「なによ……。毎日女女女……。少しは仕事もしなさいよ」


仕事は部下たちに任せっきり。

だというのに部下は皆あの男に逆らわず、従順に命令をまっとうしている。

以前オスワルドに「こんな人任せにしてたら、いつか裏切られますよ!」と言ってやったら、クスクス笑いながら一言「絶対にないな」と答えていた。


「私だったらあんな仕事量、二日でやめるわ」


ああ、イライラする。

何でただ働いているだけなのにこんなイライラしないといけないの?

全ては上階で行われている運動会の騒音のせいだ。


「だいたい、私だけでいいじゃない……」


磨き上げた床に映る自分の顔が、ひどく歪んでいるのが見えた。

他の女を抱いている間、私を近くに置いておきたがる彼の独占欲も、その行為がもたらす激しい嫉妬も、もう限界だ。

その時、二階の扉が乱暴に開き、公爵様の声が響いた。


「おい、ユーナ! 掃除は終わったな? すぐに俺の部屋へ来い!」


「なっ!? まだ夫人がいらっしゃるではないですか!」


「飽きた!」


乱暴で、有無を言わせない、いつもの傲慢な命令。

先程まで抱いていた女に対して、なんて酷い言い草だろう。

やるだけやって、飽きたらもう用済みって。


「最低です」


「ああ、知ってるとも」


「一回八つ裂きにされた方がいいですよ」


「一日に八回刺されたことはあったが、八つ裂きはまだ無いな」


クハハハと呑気に笑う公爵様。

私は立ち上がり、腰の汚れを払いながら、めいいっぱい目に力を込めて睨みつける。


「昨日もお相手致しました」


「やっぱりお前じゃ無いと満足できないんだ」


「……いやです」


「その嫌を却下する」


「私……、一応単なるメイドなんですけど」


「なんだ? 妾契約でも交わせば文句は無くなるのか?」


「交わしませんよ。そんな馬鹿みたいな契約」


「じゃあただのメイドを襲うしかないな」


公爵は、下卑た笑みを浮かべた。

その表情は、今しがたベッドで散々遊んだ後の満足感と、これから私を弄ぶことへの期待に満ちている。

彼はすでに私を襲う気満々な様で、此方に近づく歩調に躊躇はない。


「ちょっ!? だから夫人! 彼女がまだいるじゃないですか!?」


指差した天井ーーー二階の寝室には、当たり前に伯爵家の未亡人がいるはずだ。


「ああ? ああ、アイツか。金目の物でもくれて、護衛をつけて帰らせておけ。もう顔も見たくない」


「そ、そんなに……あ、相性が悪かったんですか?」


うわぁ……。

何を聞いているんだろう。

こんな下品な事を聞いてしまったという事実に自己嫌悪。

一方でオスワルドは何食わぬ顔でサラッと答えた。


「悪くわない。だが、そそらない」


「は?」


吐き捨てるようにそう言い放つと、彼は私の手首をパシッと掴む。

その一連の動作は一瞬で、私に逃げる隙など与えない。


「待ってください!私はまだ紅茶のシミを落とし終わってないんです!」


「そんなものは明日でいい。それより、俺のシミの相手をしろ、ユーナ」


「汚い言い方!」


私が顔を背けた瞬間、オスワルドの手が私の手首を掴んだ。

乱暴で、骨が砕けそうなほど強い力だ。


「ユーナ」


彼の声が、急に低く、私がよく知る独占的なトーンに変わる。


「お前は知っているだろう。結局、あんな生温い女たちと寝ても、俺は満たされない」


彼の顔が間近に迫る。整った顔立ちは、夜の闇の中でかえって妖しく、美しい。

しかし、その瞳の奥には、いつも冷たい虚無が潜んでいる。


「……私の、せいですか」


「当たり前だ。お前が俺に『初めて』をくれたんだからな」


その言葉は、まるで私が彼をこの泥沼に引きずり込んだかのような言い草だ。

私はあの夜のことを、一生の屈辱だと思っているのに。


「冗談は止めてください。私はあなたを軽蔑しています」


私は強い言葉を選んだ。

そうでもしなければ、彼の熱と力に飲み込まれてしまう気がしたからだ。

オスワルドは一瞬、目を見開いくと、クツクツと喉の奥で笑い出す。


「ハハハハ! 軽蔑か。いいな、その目。いいぞ、ユーナ。その方が燃える」


彼は私の手首を離し、代わりに私の頬に指先を這わせた。

ゾクッと悪寒に似た疼きが背筋に走る。


「だが、軽蔑しているくせに、俺が他の女を抱くと、お前はいつもイライラしている」


「っ……それは、騒音がうるさいからです!」


苦し紛れの言い訳に、オスワルド様はさらに意地の悪い笑みを深めた。


「騒音?違うだろう。それは“嫉妬”だ、ユーナ」


彼は私の顎を無理やり持ち上げ、私を真っ直ぐに見据える。

その視線に、私の心臓は警鐘を鳴らし始めた。


「他の女は、俺に優しく愛を囁き、媚びを売る事に必死だ。……だが、お前は違う。お前は俺をゴミを見るような目で見ながら、そのくせ俺を欲しがっている」


「ち、違います! 私は、あなたなんか……」


「欲しがっているから、俺の部屋に呼ばれる度に、下を濡らしているんだろう?」


「それは!? あ、あんな音、仕事中聞かされ続けたら!」


「聞き耳を立てて?」


オスワルドは私の言葉を遮り、鋭く言い放つ。

彼は私の心の奥底の、最も醜い部分を正確に見抜いていた。


「なにより……俺が飽きもせず、毎日違う女を連れてくるのに、お前は二年間もこの屋敷を辞めない。なぜだ? 貧しいから? 違うな」


オスワルドはさらに顔を近づけ、甘い毒を囁いた。


「お前が俺を愛しているからだろう。俺の、このクズな部分まで愛しているから、離れたくないんだろう?」


「ふざけないでっ!」


私は反射的に彼の胸を押す。

だが、男の体は揺るぎもしない。


「愛なんて……そんなものありません! ただ、不公平だと思っているだけです。どうして、私を抱いておきながら、他の女も抱くんですか!? 私は……」


涙が滲んできた。私は、誰にも見せてはいけない醜い本音を、激情のままに口走った。


「……私は、あなたに」


ーーー私だけで良いと、言われたい。


ただの平民風情が、この国で最も高い地位にいる相手に抱いた気持ち。

分不相応な欲求。

分かってる。

私にこんな事を言う資格がないことくらい。


「……ユーナ」


涙はとめどなく溢れてくる。

ポロポロと落ちてしまう水滴に、余計自分が惨めに感じられた。

苦しい。

この気持ちを抑えておくことが。

そんな筈ないと、ありえないと、自分に言い聞かせ続けることが。


「ユーナ。お前は俺に、望んでいる筈だ」


さっきまでの理不尽な口調から打って変わり、彼の囁きはとても優しいものだった。


(どうして、ずっとクズで、居てくれないのよ)


この男に初めてを奪われた日、痛くて怖くて仕方がなかった。

心底自分の弱さを呪った事を覚えている。

でも、その後の彼は、私をギュッと抱きしめて、子供をあやすみたいに頭を撫でてくれて。


(何で、優しくするの? 私は、あなたなんか好きになりたくないのに……!)


理不尽ばかりのクズ公爵。

女遊びばっかりの最低男。

なのに。

なのになのになのになのになのになのに……。


ーーー最後はいつも、優しい。


プレゼントを贈られすぎて、箪笥に仕舞っている装飾品箱はぱんぱんだ。

お金だって必要以上に貰いすぎて、平民の私には使い所がない。

毎晩毎晩体を重ねすぎて、この時間になると勝手に体が疼く。


(好きで好きで……仕方がないよ)


嫌いになりたかった。

でも……なれるわけがない。

乱暴なくせに、誰よりも大切にしてくれるこの人を。

自分勝手なくせに、優しいところがあるこの男を。


「……じゃない」


言っちゃいけない。

ダメだって分かっているのに。

私の気持ちを堰き止めるダムは、


「私だけで……良い、じゃない」


ーーー決壊した。


公爵領の民は全員公爵の所有物。

ただの所有物が、公爵様を独占したいなんて、絶対に思っちゃいけない。

最初から叶わないのだから、恋してはいけない。

愛することなんて、許されるはずがない。


ーーーなのに。


「私だけで良いって……言って……ください」


もう嫉妬で、好きだと言う気持ちで、狂ってしまいそうだ。

涙に濡れた言葉を言った瞬間、オスワルドの瞳の色が変わる。

からかいや冗談の色はなく、それは深い、獣のような執着の色だった。


「やっと……言ったな」


彼は満足そうに笑った。

それは勝利者の笑み。


「今夜は、お前が他の女に抱く嫉妬の分、俺が抱いてやる」


「ふぇ?」


オスワルドは私を抱き上げ、乱暴に二階の寝室へと向かい始めた。


「ま!? 今からするんですか!?」


こんなグズグズに泣いてるのに、気分が乗らないにも程がある。

彼の腕の中、無理だと分かりつつもジタバタして虚しい抵抗を繰り返した。


「わ、私! いやです! 今日は放っておいてください!」


「ユーナ」


「変態! 脳みそエッチ! クソ公s」


あの瞬間、私の唇は公爵によって塞がれた。

涙と鼻水でデロデロの私に構わず、無遠慮に口内へと舌を滑り込ませる。


「あむっ」


否応なく頭に快感が襲い、ビクリと体が震えてしまう。

もう私の体が彼に逆らえない事を、見せつけられた気分だ。

しばらくの間、艶かしくも熱烈なキスをした後、不意にオスワルドが唇を離す。


「ユーナ」


「オスワルド、様……」


チュッと私の目尻にキスを落とす。

泣いている子供をあやす様に、まるで此方を慈しんでくれるかの様に。


「俺は、お前がいれば、良い」


「っ……!?」


また涙が溢れ出してくる。

さっきあんなに泣いたのに、まだ水滴が落とせる事に驚きだ。


「ほんと……ですか?」


「本当だ」


「私だけで、良いんですか?」


「お前が良いんだ」


ずっと貯めていたモヤモヤが、この人の言葉で晴れていく。

雨上がりの晴れ空の様に、心の中が澄み渡っていく。


「私は……、あなたを愛しても、許されますか?」


「ユーナ。愛している」


公爵の口から紡がれた、あまりに重く、甘い言葉。

その瞬間、抱き上げられていた私の体から、すべての力が抜けた。

書斎の床に転がった雑巾も、二階の寝室で置き去りにされた伯爵夫人も、全てが遠い世界の出来事になった。

ただ、目の前の男の深く底知れない瞳だけが、私を映している。

互いに見つめ合い、愛を確認し、笑い合う。

照れ隠しの様に、顔を近づける。

そして私は、初めて自分から公爵にキスをした。


「愛しています。オスワルド様」


「俺もだ」


オスワルドはその端正な顔立ちで、ニッと微笑むと、


「だから……女遊びは減らさなとな」


…… …… …… ……。


「……は?」


聞き間違いか?


「週3くらいに減らすよ」


残念ながら聞き間違いでなかったらしい。


「…… …… ……は?」


何を言っているんだ、コイツは?

今し方、私だけで良いと言った言葉は何だったんだ?


「オスワルド様……。なぜ、私以外の女と遊ぼうとしているのですか?」


「それは当然、ユーナの嫉妬顔がみたいからだ」


いたずらっ子の様に微笑む。

そして私は改めて理解した。

どんなに好きになっても、どれだけ愛されても、この男がクソ野郎である事に変わりはないのだと。

こんなどうしようもない人に恋した私は叫ばずにはいられない。


「この! クズ公爵ーーーーー!」








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