変異体令嬢の青春謳歌

詠人不知

第1話 レイ・ノワールテイル

 冷たい風が吹く冬の終わり。雪も解けだして土が露出し始めていた。人々は春の気配に心を躍らせていた。


 しかしそんな春の訪れを窓越しに眺める少女の目には、希望はなかった。


「ごほっ、ごほっ」


 少女は重い咳をして苦しんでいた。広い部屋には少女の小さな体には大きすぎるベッドがあり、少女はそこに寝ていた。


 少女の名前はレイ・ノワールテイル、子爵令嬢だ。レイの長く伸びた黒髪は艶がなく、肌も白すぎて血の気が感じられなかった。


 レイは生まれつき体が弱く、これまで様々な病気に罹ってきた。健康なときの方が少ないくらいだった。


「お嬢様、水をどうぞ」


「ありがとう、モミジ」


 専属メイドのモミジが苦しそうに咳をするレイに水を差し出した。コップの水を一口飲んだレイは、窓の外を見つめた。


(今年も春は迎えられそうね。でも、そのあとは? 夏まで生きられるの?)


 レイは自分のこれからのことを想像した。常に病に苦しめられるレイに、将来のことを不安に思うなと言う方が無理があるだろう。


(ダメよ、弱気になっては! きっと良くなるわ! お父様が手紙で、高名な薬師を見つけたと知らせてくれたわ。きっとその人の力があれば病気も良くなるわ!)


 レイは現在、子爵家の屋敷とは別のところで療養していた。森の近くで空気の澄んだ領地の僻地に構えた屋敷にいるのだ。


 そこで数人のメイドと共に過ごしていた。


 天気が良く、体調もいい日は散歩に出かけたりもしていた。しかし冬になり、悪質なはやり病が蔓延すると、部屋に閉じ籠り切りになってしまった。


 レイの楽しみと言えば、季節の移ろいを窓から眺めることか、都で流行りの小説を読むことくらいだった。


 レイのお気に入りは学園を舞台にした恋愛小説だった。レイと同じ年頃の登場人物が、困難を乗り越えて恋を成就させる話だった。


 レイはそんな登場人物に自分を重ねて楽しんでいた。


 自分だったらどんな相手を好きになるか、どんな恋愛をするかを想像しては笑顔を浮かべていた。


 レイはその小説を何周も読んでおり、暗唱出来るのではというほどだった。病に臥せっているレイにはそれぐらいしか楽しみがなかったからだ。


「ねぇモミジ、実際の学園ってどんなところなのかしら?」


「そうですね、私は噂でしか聞いたことがないですが、港街にあって人の往来が盛んで、とても賑わっているらしいです。そこでは魔法や霊薬、文化のことを学べて、一生活かせる知識が得られるらしいです」


「なんて素敵なところなのかしら。きっとたくさんの人がいて、話題に事欠かないのでしょうね!」


 レイは夢見る学園のことを話して、気持ちが高ぶっていた。


「ごほっ」


 喋りすぎたレイは大きく咳をした。


「お嬢様、大丈夫ですか?」


「えぇ、大丈夫よ。ちょっと話し過ぎたみたいね」


「安静にしてください。最近ははやり病が恐ろしいですから」


「そうね」


 レイは話をして少し疲れたので、ベッドに横になり目を閉じた。


「少し眠るわ。モミジも休んでちょうだい」


「承知しました。何かあればベルを鳴らしてください。すぐに駆け付けます」


「ありがとう」


 そしてモミジはレイの部屋を出て行った。一人になったレイは途端に寂しさに襲われた。自分に死が近づいてきている気がしたのだ。


(私、死んじゃうのかしら?)


 レイはいつも死の淵に立っていた。いつ滑り落ちてもおかしくなかった。


(元気になったらお茶会に行ってお友達を作って、そして外をたくさん散歩して、それからそれから……)


 レイは明るい話題考えて死の気配をかき消そうとした。


 そんなことを考えているうちに睡魔が襲ってきて、レイは眠りについた。


 しかし死はすぐそこまで近づいていた。



          ※



 モミジは夕食の時間が近くなったためレイを起こしに部屋へやって来た。


「お嬢様、失礼します」


 ノックをして扉を静かに開けた。レイはまだベッドに横になっていた。モミジはベッドに近づいてレイを起こそうとした。


 しかしモミジは異変に気付いた。レイの呼吸が荒いのだ。まるで全力疾走でもした後のように呼吸が乱れていた。


「お嬢様、大丈夫ですか!?」


 モミジはすぐにレイの容体を確かめた。


 レイは滝のように汗をかいており、顔は真っ赤になっていた。ひどく発熱しているのがわかった。


 モミジは部屋を飛び出すとほかのメイドにレイの事態を知らせた。メイドたちは急いで集まった。


 桶に水を汲んでタオルを持ってきて、レイの汗を拭いた。またレイを起こして解熱作用のある薬を飲ませた。


 しかし薬を飲ませても発熱は収まらなかった。むしろひどくなる一方だった。


「あの、もしかしてこれって、はやり病じゃ……」


 メイドの一人が可能性を口にした。


 この冬のはやり病は薬が効かずに、罹った多くの人が亡くなる危険な病だった。


 メイドたちは手詰まりだった。


「このままお嬢様が死ぬのを待っていろと言うの!?」


 モミジは声を上げて怒った。


「いますぐ街へ馬を走らせなさい! 薬をとにかく集めるんです!」


 僻地にあるこの屋敷から町までは半日は馬を走らせないといけない。モミジは行動を急がせた。


 そんなとき屋敷に人が訪れた。


「誰なの!? こんなときに! 追い返しなさい!」


 しかし訪問者はこの状況を打破できるかもしれない人物だった。


 訪問者は小太りの男で、自分を薬師だと言った。


「ノワールテイル子爵様の命を受けた、薬師のハールと申します」

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