キャットフルーツ

@ramia294

 若くなりたくないかい?

 その僻地の村の噂は、長く続かない。


 それは、甘い果実の噂だった。

 それは、少数の富裕層の間で少しの間だけ流れ、いつの間にか消えて行く噂だった。


 キャットフルーツと名付けられたその果実は、外皮がアボカドの様な果実で、内部は無花果の様だった。

 ふたつに割るとぎっしりと詰まった甘い粒状の果実が、溢れ出す。

 ひと粒、ひと粒がよく見ると猫の形に見えなくもないという理由で、キャットフルーツと名付けられた。


 甘い果実の部分は、色が白と血の様な赤が混じり、美味しそうとは見えない。

 しかし、ひと口食べればとても甘く、しかも翌日には、食べた者の肌に艶と張りが出て、若返ったと噂される果実であった。


 若返りの果実という事で、時折、噂になる。


 その村特産というより、その村のたった一本の樹が付ける実なので、誰もが手に入れる事が出来るわけでは無い。


 高価な果実だった。

 


 藤原カオリが、その果実の味を知ったのは、偶然だった。

 若くして、夜の世界へ飛び込み、日常に疲れた男たちの心を、鷲掴みにする術だけに長けてしまったさみしい女。

 そんなカオリもそろそろ、三十路のドアを叩く時が迫っていた。


 ネオンの神さまは、お店のナンバーワンになりたいとの願いは、叶えてくれたが、若いままでいたいという願いは、叶えてくれない。


 事実、最近入店した新人のナオミに、流れていく彼女の客を止められなかった。

 ヘルプにまわる夜も増え始めた。


 女としての焦りを感じ始めたそんな時、フラリとたったひとりでお店に入って来た風変わりな客がいた。


 その風屋かざやみのるには、特に派手なところも異常なところも感じなかった。

 椅子に座り、お店のシステムを聞かされると、いきなりカオリを指名してくれた。


 風屋は、特に変わった話をするわけではなかった。


 田舎の村で暮らしているので、気晴らしに街に来ているとか、今年の暑さで、野菜を育てる事が難しいとか、当たり障りのない話題だ。


 株がどうだとか、世界経済がどうだとか、普段夜の女たちが、必死になって勉強しているそんな話題は、ひと言だって出さない。


 しかし、どんなに高価な酒もカオリが望めば、迷い無く入れてくれた。

 もちろん、田舎の人間らしく、現金で払う。

 彼には、遊ぶ金に困っている様子は無かった。


 しかし、最後に不思議な事を訊ねてきた。


「若くなりたくないか?」


 もちろんそんな事を訊かれれば、


「こう見えてもね、このお店で、昔は売り上げでナンバーワンだったけど、今は年齢でナンバーワンなの。最近、私へのお店の扱いが少しさみしいかな?若くなれば、またあの頃の様に、お店で大切にされるかもね」


 力無く笑い、そんな曖昧なこたえ方をした。


 風屋が次にお店へ来た時、その果実を土産だと渡された。

 アボカドの様な外観の無花果の様なその果実をこの前の約束だと手渡された。


「一日ひとつだけ食べれば、君は若返る。そして、このお店のナンバーワンに返り咲くだろう。くれぐれも、食べ過ぎには注意だ」


 ヘルプが入ることを嫌がる風屋は、その夜もカオリだけとのお喋りを楽しんで帰って行った。

 


 その夜、バッグの中からこぼれ落ちた果実を見て、風屋の言葉を思い出した。

 カオリは、信じていなかったが、風屋が次に来店した時に美味しかったと伝えるため、普段はあまり使わない果物ナイフを取り出した。


 翌日の夜、カオリの客は増えた。

 カオリの肌に張りと潤いが戻り、あの若い頃の艶が蘇ったからだ。


 ナンバーワンに長く留まった頃のカオリに近付いたその魅力に、離れていった客が戻って来た。


 その夜、自宅に帰ると、風屋に貰った果実をもうひとつ食べた。

 翌日もカオリの売り上げは、お店のナンバーワンを維持して、中には引き抜き目当ての客のふりをした同業者の誘いまであった。


 風屋に貰った果実は、5つ。

 翌週には、彼女の艶と張りは、再び衰えて始めた。

 そして、客が離れ始めた。


 さらに翌週には、指名よりもヘルプが増えた。

 風屋が店に姿を見せたのは、その翌週であった。

 相変わらずカオリひとりが、テーブルに付く事を望んだ風屋だった。

 カオリが、あの果実をねだることは、簡単だったのに、何故か口に出せないまま時が過ぎた。


 かつてのナンバーワンのプライドからか、カオリはアフターには、付き合わなかった。

 どんなに誘われても断っていたが、今回初めて、しかも自ら風屋をアフターに誘った。

 そして、誰も入れた事の無かったカオリ自身の部屋へと、まるで決まっていた事の様にふたりは流れ着いた。


 それは、その年、初めて冷え込んだ夜だった。

 窓の外を凍える風が、鳴いていた。


 しかし、カオリにとっては、熱い夜になった。


 その夜のカオリは、嵐に巻き込まれた小舟の様に、激しく愛された。

 カーテンの隙間から差し込む光で、初めて夜明けを知った。

 

 微睡みの中、風屋に運命を感じた。

 カオリを幸せに導く運命だと信じたかった。


「あの果実は、美味かったかい?」


 コーヒーの香ばしい匂いが、夢の時間を少しずつ奪っていく。

 突然、風屋は、カオリに訊ねた。


「ええ、とっても。まるで夢みる様な味だったわ」


「そうか。良ければもっと食べてみるかい?今は、持っていないが、自宅にはまだ少しある」


 お店に休むと連絡して、午後からクルマで風屋の住む村へ向かった。

 村人は、風屋しかいなかった。


「こんなさみしい所にひとりで住んでるの?」


 風屋はさみしげに笑って、


「昔は、それでも数軒の家族がこの村にもいたのだが」


 カオリは、何故、村人たちが、この村を去ったかは、訊かなかった。


 風屋の言う通り、あの果実は、箱いっぱいにあった。

 綺麗なもの、形の良いものを選ぶと、20個をカゴに入れて風屋は言った。


「食べ過ぎは良くない。一日ひとつだけにしておくこと。無くなる頃に、また持って行くよ」


 20個の果実を大切に抱えたカオリを熱い夜の余韻が残る部屋に送り届けて、風屋は帰って行った。


 翌日から、カオリの指名は増え始めた。

 2度離れた客も何故別の娘を指名したのか、不思議だと言いながら、カオリの手のひらの上に戻って来た。


 しかし、ナンバーワンをもぎ取ったのは、透き通る様に白い肌と若さを武器にしたナオミだった。


 カオリの売り上げは、ナンバーワンに肉薄したが、2番目。


 あのエロさで、要注意人物とお店の中では、もっぱら噂の北山社長のお気に入りのナオミ。

 派手に金は、使ってくれるが、カオリは避けていた人物だ。

 あれだけ、通って来るという事は、おそらくお店以外でもサービスしているのだろう。


『この年齢で、売り上げ2番目なら良いか』


 そう考えていたカオリに、化粧室でナオミが、


「もうオバサンなのに頑張っていますね」


 皮肉たっぷりに囁やく。

 

 悔しさに、つい、ひと晩で口にする果実の数を増やしてしまった。


 口にする果実を増やす程に、若さを取り戻した。

 口にする果実を増やす程に、肌が輝き始めた、


 売り上げは、カオリをオバサン扱いしていたナオミをはるかに抜き、圧倒的な1位。

 北山社長までカオリを指名した。

 北山の座るカオリのテーブルに、ナオミは、ヘルプで座る事になった。

 

 お店は、カオリのために存在している、いや、この街の夜は、カオリのものだった。


 しかし、ある日カオリは、突然お店を無断で欠勤。

 それ以来プッツリと来なくなった。


 店は、女の子には、よくある事なので気にしなかった。

 ただ、スタッフは、仕事熱心でキャリアの長いカオリでもそんな事になるのかと訝った。

 それも束の間、この街の夜の時間の流れは、速い。

 カオリの事など、直ぐに街は忘れていった。


 カオリが、お店に出なくなって1週間後、風屋はカオリの部屋を訪ねた。

 既に鍵を渡されていた風屋は、カオリが何時までもインターホンに出ないので、勝手に入った。


 部屋にカオリの姿は無かった。


 あの朝ふたりでコーヒーを楽しんだテーブルの上には、あの果実の皮が干からびて、そのままになっていた。


 風屋は、慌ててベッドルームへ行き、ベッドの上を確認した。

 ベッドの上には、カオリの姿は無く、ひと粒の種が落ちているだけだった。


「だから、食べ過ぎはいけないと念を押したのに」


 落ちていたソラマメ程度の大きさの種を拾うと、大事そうに手の中に包み込んだ。

 そして、まるで恋人を相手にしている様に、優しく種に語りかけた。


「困った事に、この果実の樹の発芽率は良くない。あの村に住んでいた50人全てが誘惑に負けて種になったが、100年経っても、誰も芽吹かない」


 風屋は、手の中で愛おしそうに新たな種に、そっと指で触れる。


「君はどうだろうね、カオリ」


 その僻地の村の噂は、長く続かない。




           終わり





 


 







 



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