生きる死刑囚
@Fiso1915
1日目
僕は、死ぬことについて、僕には特別な抵抗感がなかった。
父親は大男で、無口で、そしてよく僕を殴る人だった。
それが、僕の知る父親のすべてだった。
そんな僕でも、今は“看守”になっている。
よくできた社会で、よくできた人間でありたかった。
だからこそ、正義の看守になりたかったのだ。
今日から僕が担当するのは、ただ一人の「生きる死刑囚」──テミス・リポカ。
この国の生きる死刑囚は、死刑反対デモの過激化の末に生まれた折衷案であり、極めて稀な存在だ。
僕が監督する彼女もその一人だった。
目を覚ますと、頭の奥に不快な痛みが残っていた。
ぼんやりと目の前を見れば、そこに“彼女”がいた。
「……」
独居房のように無機質な部屋。
面会室の窓を思わせる仕切りと、その下に開いた小さな穴。
両側には窓を隠すためだけに付けられた二重のカーテン。
どう見ても刑務所の構造だが、僕には“監視専用室”に思えた。
ここまで監視するほど、凶悪犯なのだろう。
「……生きる気でいますか?」
突然、彼女が問いかけてきた。
「生きれるなら生きるでしょ。あなたもだからここにいるんでしょう?」
自然に答えていた。
「……まあ、そうですね」
どこか一歩引いた、掴みどころのない返事。
死刑囚は変人が多い──という噂を思い出した。
「これから長い付き合いだし、仲良くしましょうよ」
「以前、どこかで会いましたか?」
胸が一度、大きく跳ねた。
見覚えはないはずだ。
銀髪のウルフカット、赤い目、革の首輪──こんな女を見た記憶はない。
「あの……どこかで、お会いしました?」
「本当に、ですか?」
もう一度、彼女の顔をまじまじと見た。
次の瞬間だった。
父親の顔が脳裏に焼きつき、怒鳴り声、焼け爛れた肌、耳を裂く叫び声が一気に押し寄せ、
思考が白く弾け飛んだ。
「……初対面では?」
やっと搾り出すように答えると、
彼女は悲しげに目を伏せた。
「なら、いいんです。忘れてください。人違いでした」
──彼女が、殺してきた誰かと似ているのだろう。
そう思うことでしか、僕は心を保てなかった。
「それより……今日から薬を飲んでくれませんか?」
無理に作った笑顔だった。
死刑囚から薬をもらうなど本来ありえない。毒かもしれない。
「お願い」
上目づかいで懇願される。
だが僕は優秀な看守だ。そんなもので動くほど愚かではない。
「なんの薬だ」
「大手薬局のです」
本気で言っているらしい。やはり変人だ。
「精神安定剤か何かですか?」
「はい、そうです」
大企業の薬らしいし、荷物検査も徹底されている。
それに──今日は頭痛がひどくて、深く考えたくなかった。
再び父の顔が脳裏に浮かび、
僕は反射的に身体を縮めた。
恐怖から逃げるように、
紙袋から二錠のカラフルな薬を取り出し、
不気味な色に怯えながらも口に放り込んだ。
飲み込むと、すぐに高揚感が襲ってきた。
「飲んでくれましたか」
薬を飲んだのに、身体が熱い。
だが、薬とはこういうものなのだろう。
「精神安定剤……でしたか?」
あれ?
さっきも同じことを聞いた気がする。
相手が極悪の死刑囚だと思うと、話すだけで精神が削られる。
当然かもしれない。
「はい、そうです」
やはり、そうらしい。
「じゃあ、そろそろ」
彼女がカーテンを閉めた。
それに合わせて僕もカーテンを閉じ、ベッドに横になる。
そのときだ。
壁の向こうから声がした。
「おい、お前」
なぜか、“僕に向かって”呼びかけているのが分かった。
「なんだよ。誰だよ」
「誰って、生きる死刑囚さ」
生きる死刑囚?
僕が担当しているのは彼女一人だけのはずだ。
「僕には手に負えないね」
「大丈夫。君には僕は見えないし、触れられない」
「なんだよ、お前」
「君にとって、一番近い存在」
その言葉が、脳の奥でざわついた。
「なんだよ……お前……」
「そろそろ行かないと。あと……落ちこぼれの実験者を救ってやれ」
実験者……?
それきり、声は途絶えた。
生きる死刑囚は少ない。
僕が担当する彼女は、16年ぶりの対象だと聞いた。
──なのに。
なぜ、もう一人が壁の向こうにいる?
その理由だけが、どうしても理解できなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます