ボクとミヤビ

海岳 悠

 音が鮮明に聞こえた。

 聞き慣れた起動音のあとすぐに「マスター、今日はいかがなさいましょうか」という女性の声が鼓膜を震わせる。


 機械のぎこちなく動く音が減ったことを考えると、アンドロイド業界は日進月歩なのだと改めて思い知る。未だに姿かたちすらも見たことのない家庭用アンドロイドの名はミヤビと言った。


「ミヤビ、今日はすぐ出かけるから軽めで」


「かしこまりました」

 わずかに右頬に風が触れ、ミヤビが離れていったのを感じる。


 視力以外の五感は鋭利な刃物のように研ぎ澄まされていた。何かに触れる感触や鮮明に聞こえる耳は、視力をも補う力を大いにもっている。


 そう、僕はいわゆる全盲だ。目を開けても、真っ暗な世界がずっと広がっている。

 そのことを最初から受け入れられたかと言われれば、もちろんそんなことはない。最後の映像は余りにも残酷で、そして、僕の父と母を奪った惨劇そのものだったから尚更、受け入れ難いものだった。


 母と父の笑い声が一変し、車のブレーキが効かないという切羽詰まった会話を耳にして、目を開いた瞬間、目の前に大きなトラックがあった。それが僕の見た最後の映像だった。


「そういえば、明後日はマスターの十七歳の誕生日ですね。その日は、いかがなさい……だ、大丈夫ですかマスター汗がひどいですよ」

 この家庭用アンドロイドのミヤビは高性能らしい。容姿もまるで人間のように作られ、声もあまり人間と大差ない。ぎこちなさが失われ、人間らしさを手に入れたアンドロイドというのがキャッチコピーである。


「ありがとう、大丈夫だ。まったく昨日のアップデートでどんな機能まで追加してもらったんだよ」

 そこにいるであろうミヤビの肩を叩く。


 手のひらから感じられる温かみはない。アンドロイドなのだから当たり前だろうと言われればそうだ。でも、彼女らは誰よりも人になろうとしている。そのことをここ数年で感じた。


「嫌ですよマスター。私たち六年の付き合いじゃないですか。様子が変だったら私も心配致します」

 六年も経ったのかと、浦島太郎のような気分になった。目が見えなくなってから六年、そして、ミヤビと出会って六年。


「昨日はミヤビのメンテで、今日は俺のメンテか」

 今日は病院の定期検査の日だった。目が見えなくなってから唯一この検査だけは好きになれなかった。

 ミヤビから手渡されたコーヒーを一気に呷り、薄手の上着を羽織る。


「そろそろお時間です。マスターいきましょう」

 そう言って、ミヤビは音を発して玄関までの道を先導する。目が見えていた頃から住んでいる家なのだから誘導なんて必要ないのだが、ミヤビにとってこれも仕事だろうから黙って後ろをついていく。


 扉を開ける音が聞こえた。その瞬間、春の心地よい風が頬を撫で、憂鬱な心を吹き飛ばした。


 全盲の人には、盲導犬などの援助が必要不可欠である。僕は誰かの助けなしに生きていけないということにどこか罪悪感を抱いたものだ。そんな想いをする必要もないのだろうけど、どうしようもなく申し訳ない気持ちになってしまった。


 そんな僕の元に一つの朗報が届いた。

 福祉分野にアンドロイドを適応化させていこうという動きがあったのだ。この時代には、一家族に一台のアンドロイドを持つことが当たり前とされるようになっていた。だから、それほど特別なことでもなかった。


 僕には盲導犬の代わりにアンドロイドが届けられた。


 どこか生き物ではないことに安心していた。ただ、僕はアンドロイドという存在を少しみくびっていたのかもしれない。心を持たず、目的を遂行することを第一に動く機械だと思っていた。そんな存在なら気を遣う必要もないと思っていた。


 しかし、違った。そんな冷徹な存在ではなかった。


 初めてミヤビに会ったとき、僕は姿もかたちもわからない機械に抱きしめられたのだ。もちろん、母親のような温かみも愛情も感じられない。でも、僕は泣いた。わけも分からず泣き叫んだ。


 そして、ミヤビはこう言った。

 ――これから私がマスターのパートナーです。


 もしかしたら、最初からプログラミングされていた動作をしただけなのかもしれない。アンドロイドはあくまでも人間の下で動く機械に過ぎないのだから。それでも、僕は良いと思った。たとえ、そうだとしてもミヤビはミヤビなのだからと、ミヤビをアンドロイドとしてではなく人として扱おうと心に誓った。


 僕の例をきっかけに、今では盲導犬の代わりにアンドロイドを使用されることが増えたらしいが、まだ、一部の人間が倫理的な問題を提唱するせいで全適応とはなっていない。


 結局のところ、人はどこまでアンドロイドに頼って良いのかという線引きが困難を極めているのだ。何か不測の事態に陥れば、アンドロイドだけでは対処しきれない。また、心のないロボットなんかが人の世話をするとは失礼ではないのかという老害の意見もある。


 政府はアンドロイドと人間が共生するためにはというスローガンを掲げて動いているほど注目を集めている。


「慶太! まだお前はこんなロボットと一緒にいるのか」

 病院のロビーにダミ声が響き渡る。おそらく、誰もがこちらを注目していることだろう。幸いにも目が見えないからそういう羞恥を味合わなくて済む。


「シロヤマさまですね。マスターどうなさいますか?」

 ミヤビがあまりにも冷静に言うものだから、僕は思わず吹いてしまう。おっちゃんはさぞかし顔を真っ赤にして息を荒げていることだろう。


「おっちゃん、前にも言ったけど俺は健太な。それにこいつは俺の目の代わりみたいなものなんだよ」

 ミヤビが動く音がした。丁寧にお辞儀なんかをしているのだろう。ミヤビは自分が貶されていることを分かっているのだろうか。


 おっちゃんとは六年前病院で一緒になった以来、腐れ縁みたいな関係だ。アンドロイド肯定派の僕に対して、おっちゃんは断固否定派だった。理由を訊いてみてもいまいちピンとした答えが返ってきた試しがない。これも老害の意見の一つだと心の中にしまうようにしていた。


「こいつらはな、簡単にお前さんを裏切るぞ。絶対に心を許すんじゃない。ロボットと人間はな、どうーやったって近づくことはできねんだ」

 おっちゃんのダミ声はいつになく優しいものだった。


「おっちゃん俺はね。ミヤビと最高のパートナーになるって決めたんだ」

 周りからは微かに笑い声が聞こえた。そう、未だにアンドロイドのことを物として扱うも人も少なくない。スマートフォンが動くようになっただけだろうと大物ニュースキャスターも言っていた。


「ふん、せいぜいロボットに溺れるがいいよ」

 捨て台詞を吐いておっちゃんの気配はなくなった。僕がこの定期検査に行くたくない理由の一つにこのやりとりも含まれている。


 基本的にアンドロイドは指示に忠実である。例えば、今みたいに自身の存在を否定されることがあっても言い返すことはない。マスターと呼ばれる主人の指示されたこと以外はやらないという暗黙のルールがあり、それは絶対君主である。だから、言い返しても良いとミヤビに指示すると本当に言い返すようになるのだ。


 以前に試したことがあるから実体験済みである。結果的に面倒ごとを増やすだけだとわかったから、もう二度とやらない。


 定期検査も順調に進み、特に異常な数値があったり、不健康だったりなどを指摘されることはなかった。そして、最後に白を基調としたカウンセリングルームの扉をくぐるまでストレスなく検査をこなした。


「自分の目の前に指が左右に揺れている光景をイメージしてください。そのイメージができたら、私の質問に答えてください」

 カウンセラー型アンドロイド。先月から導入されたと噂されていたから、驚くことはなかったが、流石にそこまでもアンドロイドに任せてしまって大丈夫なのかという不安はあった。


 カウンセラーとは心のお医者さんというイメージが強く、心を持たないアンドロイドとは相反しているのではないかと感じた。いや、もしかしたらと指示通り指が左右に揺れるのをイメージする。


「できました」

 真っ暗な視界の中、指が自分の目の前を行ったり来たりしている。その動きに必死についていく。


「六年前に何がありましたか」

 じわりと額に汗がにじむ。


「事故があり、失明しました」

 心拍ゲージが急上昇しているアラームがミヤビから鳴り始める。アンドロイドは主人の異変を察知するために主人の身体状態を常にモニタリングしている。今朝、ミヤビが僕のことを心配したのも僕の外見の様子を見て判断したのではなく、モニタリングしている数値が異常を示したからなのである。


 それが現状、アンドロイドの限界である。


「無理はしなくても大丈夫です。無理だと思ったら右手を挙げてください」

 問診の前にアンドロイドだと聞かされていなかったら、アンドロイドだと気がつかなかったことだろう。倫理上の問題でアンドロイドと相対するときは、事前に相手がアンドロイドであると伝える義務がある。


 右手をあげないのを見て、カウンセラー型アンドロイドはやんわりとした口調で話し始める。


「あなたは今幸せですか?」

 さっきの質問のような鋭さはなかった。実のところ、定期検査で一番嫌いなのはこのカウンセリングである。毎年、決まったことをやるので、ある程度流れを把握していたつもりなのだが、今回はどうも違うようだ。いつもならここで心を折るような質問が来る予定だった。


「すみません」

 目の前にいるカウンセラーとは別の声がした。

 ミヤビが僕の元にやってくる気配がした。


「マスター……どうやら、カウンセラー型アンドロイドのエラーみたいです」

 さきほどすみませんと声を上げたのは、カウンセラー型アンドロイドを制御していた主人だったらしい。


「ごめんなさい。普段はこんなことないのに……とりあえず今回の定期検査はこれで終了という形でお願いします。また、何か体調が優れないなどがあればミヤビさんに伝えてください。直接、連絡がこちらに届くシステムを組み込んでありますので」

 僕はそれらの内容を了承して、病院をあとにした。

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