七海ちゃんの身体にほどかれてく、私の心~職場の後輩と始める甘い百合同棲

Çava

第一章:二人の生活の始まり

1 後輩女子の一ノ瀬さん

後輩女子の、一ノ瀬さんと

 先週末、三年付き合った誠が、家を出ていった。



 その別れの朝の空気は、妙に静かで、重かった。

 玄関で最後の段ボールを運び出した誠は、「じゃあ……元気で」と、少しだけ視線を泳がせて言った。

 半年前に同棲を始めた頃の、少し弾むような声とは違う。

 どちらが悪いというわけではない、でも確かにすれ違ってしまった二人の声だった。


 カギを受け取って、扉が閉まった瞬間、私はようやくひと呼吸をついた。

 誠が使っていた部屋は、それまでそこにあったはずの空気ごと、まるで消えてしまったみたいにがらんとしている。

 クローゼットの扉を開けても、何もない。

 たくさんの衣類をかけていた、ハンガーすらも。

 ベッドの跡もない。

 白い壁とフローリングが、やけに広く見える。



 私一人で住むには少し広い、2LDK。

 誠が「別れを言い出したのは、オレだから」と、気まずそうに二か月分の家賃を置いていった。

 家具も家電も置いて行ってくれたし、お金の問題は、まだすぐに困るわけじゃない。

 私の収入なら、ここの家賃を一人で払えないことはないし。

 でも、この広さに一人きりで家賃を払い続けるのは、正直、少しキツい。


 このまま住み続けるか、いっそ引っ越してしまうか――。

 別れを切り出された夜から、ずっと考えているのに、気持ちはまだ決まらない。

 正直、別れの余韻よいんの方が強すぎて、新しい決断が頭に入ってこないのだ。


「……考えるのは、また後にしよう」



 今日の私は、仕事で外せない案件を抱えている。

 チームの後輩たちの進捗確認もあるし、午後にはクライアントとの打ち合わせもある。

 心がどれだけ空洞くうどうでも、仕事は待ってくれない。


 洗面所でざっと顔を洗い、メイクを整える。

 鏡に映る自分の顔は、思っていたより落ち込んでいないように見えた。

 強がりかもしれないけれど、それでも、ちゃんと今日を生きようとしている人の顔をしていた。


 ――少なくとも、外見だけは。


 カバンを肩にかけ、玄関で靴をく。

 扉を開けると、朝のひんやりとした空気が胸の奥まで入り込んで、少し頭がえた。


 「よし」


 小さくつぶやいて、私は自宅を後にする。



 午後の打ち合わせのため、私は、後輩の一ノ瀬いちのせ七海ななみを連れてクライアントの会社へ向かった。


 電車の揺れの中、窓ガラスに映る一ノ瀬さんは、いつものように資料をぎゅっと抱えている。

 よく動いてくれる子だ。

 理解も早いし、私が言葉にしきれないニュアンスまで、んでくれる。

 でも時々、危なっかしい。

 良く言えば全力、悪く言えば無鉄砲。

 そんなところがある。


 「一ノ瀬さん、直前でバタつかないように、もう一度だけ流れを確認するね」

 「はいっ、お願いします、桐島きりしま先輩!」


 元気のいい返事に、少しだけ緊張がほぐれる。

 今日の打ち合わせは重要案件で、私としても気が抜けない。


 到着してからの数時間は、息をするのを忘れるほどの忙しさだった。

 資料の提示、方向性のすり合わせ、再提案。

 相手の意向を読み取りつつ、こちらの意図も正確に伝える。

 一ノ瀬さんも、途中のフォローをしっかりこなしてくれて、打ち合わせはどうにか成功といえる形にまとまった。


 ただ、気づけば時計の針は、予想よりずっと遅い時間を指していた。

 「……直帰にします、と会社に連絡しておくわね」


 スマホで会社に一報を入れながら、私は軽く首を回した。

 肩に、つかれがたまっていた。

 ふと目をやると、一ノ瀬さんがぱあっと顔を明るくしていた。


 「桐島先輩、今日は本当に……すごく、勉強になりました!」

 その目は子犬みたいにキラキラしていて、思わずほおがゆるむ。


 「何事も経験だから。たくさんこなしていけば、慣れるものよ」

 「はいっ! もっとがんばります!」


 駅に向かって歩く足取りは、さっきまでの緊張がウソみたいに軽い。

 すると、一ノ瀬さんがタイミングをうかがうように、横目で私を見る。

 「――あの、先輩」


 「ん?」

 「もしよかったら……今日、お食事ってどうですか? 一緒に」


 不意をつかれ、私はまばたきをした。

 「……その、いろいろ教えてもらったお礼もしたくて」


 「え? お礼なんて、後輩がそんな気を使わなくていいのよ」

 口ではそう言いつつ、心のどこかがやわらかく揺れた。


 この子に誘われるのは、初めてだ。

 ――というより、仕事の後に誰かと食事なんて久しぶり。

 そんな事実に、自分で自分が少し驚いた。


 「……じゃあ、軽く何か食べようか」


 そう言うと、一ノ瀬さんの顔がぱっとはなやいだ。

 夕暮れの光の中、その笑顔は妙に印象に残る。

 「よかった……! じゃあ、絶対おごらせてください。今日の分、ほんとに、ほんとに勉強になったので!」


 「だから、後輩がそこまで気を――」

 言いかけて、私は口を閉じる。

 このうれしそうな顔を前に、それ以上否定する気持ちが、薄れてしまったからだ。


 結局私は、折れることにした。

 「……じゃあ、ありがたく、ごちそうになろうかな」


 一ノ瀬さんは、うれしそうに足を速め、振り返って私を見る。

 「よし! じゃあ、先輩の好きそうなお店、探しますね!」


 その背中はどこか頼りなくて、でも誰より真っ直ぐだった。

 危なっかしいけれど、憎めない。

 むしろ――放っておけない、という感情に近かった。


 私はその後ろ姿を見つめながら、胸の奥がほんの少しだけ、温かくなるのを感じていた。



 一ノ瀬さんがスマホで探した店は、駅近くのダイニングバーだった。

 暗すぎない照明と、木目調の落ち着いた内装。

 仕事の後に誰かと入る店としては、ちょうどいい。


 「ここ、先輩が好きそうかなって……どうでしょう?」

 「うん、いいと思う。よく見つけたわね」


 席に通され、メニューを開くと、一ノ瀬さんがさっそく店員を呼んだ。


 「先輩、せっかくですし……一杯だけ、飲みません?」

 「今日は、打ち合わせも頑張ったしね。木曜で、明日もあるけど、いただこうかな」


 そう答えると、一ノ瀬さんの顔がしゅるっとゆるむ。

 いつもの元気な笑顔ではなく、どこかうれしそうな、照れたような笑い方だった。


 グラスビールとレモンサワーがテーブルに置かれ、二人で軽く、グラスを合わせる。


 「先輩、おつかれさまでした」

 「一ノ瀬さんも、おつかれさま」


 グラス越しに一ノ瀬さんの声が近くて、胸の奥が少しだけざわめく。

 一口飲んだ一ノ瀬さんが、私をのぞき込むように小首をかしげた。



 「先輩……なんか、少し元気ないですか?」

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