🌹 願うは闇の翳り(ねがうは やみのかげり)

Tom Eny

🌹 願うは闇の翳り(ねがうは やみのかげり)

🌹 願うは闇の翳り(ねがうは やみのかげり)


【注意/警告】 本作には、身体の異形化、残酷描写、救いのない結末が含まれます。


一:最初の影と、微かな鉄の臭い


遠野冬花(とおの ふゆか)は、息をのむほどの美貌の持ち主だった。彼女が街を歩けば、周囲の時間は一瞬停止し、彼女の存在だけが世界を駆動させているように見えた。だが、その完璧な輝きの中心で、彼女は真実の愛、そして何よりも愛されることの優越感に飢えていた。美貌は、彼女にとって他者を支配する権力であった。


最初の願いは、テニス部のエース、城崎に向けられた。 「どうか、城崎様の、唯一の女性になれますように。」 願いは叶った。その翌朝、城崎は冬花に告白した。彼の瞳には、純粋な熱情と、彼女の美しさへの畏怖が混ざり合っていた。


その夜、鏡を見た冬花は、鼻の下、唇のすぐ上に、米粒にも満たない小さな黒い点を見つけた。それは、彼女が叶えた願いの、最初の代償だった。指先で触れると、皮膚はわずかに硬く、微かな鉄の臭いがした。その瞬間、初めて冬花の中に一瞬の恐怖が生まれた。


二:偽りの優しさによる拒絶


二度目の願いは、より深い安らぎを持つアルバイト先の店長、篠田(しのだ)に向けられた。願いは叶い、冬花は篠田の腕の中に収まった。この頃、冬花は、城崎が自分から静かに遠ざかっていることを感じていた。


ほくろは直径2ミリほどに成長し、鏡の中で黒い塊として主張を始めた。 冬花が不安になって尋ねた。 「ねえ、私のほくろ、気になる?」


城崎は心底驚いたように目を見開いた。その驚きは、彼の優しさからくるものというより、彼女がその『醜い事実』に気づいていることへの動揺に見えた。 「何を言っているんだい、冬花。こんな小さなもの、僕が気にするわけないだろう?君は相変わらず完璧だよ。」


だが、彼の行動は違った。キスは以前より短く、二人きりの時間は減り、デートはいつも大勢のいる場所になった。彼は**「愛している」という空虚な言葉と、完璧な言い訳**で、冬花の代償を見ないように逃げたのだ。


三度目の願いでほくろが直径1センチを超えて盛り上がった頃、城崎は事務的に「大学院のことで忙しい」と告げ、別れを告げた。彼は決して「醜い」とは言わなかった。ただ、冬花は、愛を求めた願いが、愛する者からの**「偽りの優しさによる拒絶」**という、最も残酷な形で返されるのを味わった。


三:妬心の体積


城崎に避けられ、心に深い傷を負った冬花の愛への渇望は、「美貌以外に価値がない自分」という自己否定に由来する醜い妬みへと変質した。瘤の成長は、そのまま彼女の悪意の体積となっていった。


彼女の視線は、城崎の新しい慰めとなったテニス部のマネージャー、沢口(さわぐち)に向けられた。 四度目の願いは、恋敵への攻撃だった。 「沢口の足が、城崎様が二度と抱き上げられないほど酷く捻じ曲がりますように!」


願いは叶った。沢口は靭帯を断裂し、激しい痛みに苦しんだ。 その代償は、最早無視できなかった。瘤は、直径3センチに肥大化し、まるで鼻の下に小さな栗を埋め込んだように、冬花の上唇を押し下げた。瘤の表面は、漆黒の光沢を帯び、硬質な甲殻のように見え、冬花の皮膚組織と癒着していた。


次に、冬花は篠田に言い寄る同僚、西野(にしの)を排除した。 「西野が誰からも嫌われ、私に逆らえない精神的な奴隷になりますように!」


五度目の願いで、瘤は直径5センチの巨大な黒い卵のように肥大し、冬花の鼻全体を下から押し上げ、鈍い血色を帯びた、熱を持った塊へと変貌した。瘤は触れると僅かに発熱しており、冬花は腐敗臭に似た独特の刺激臭を嗅いだ。


篠田は、冬花の顔の異変を「病気」だと信じようとしたが、彼女の瞳の奥に潜む瘤の成長を喜ぶ冷酷な歓喜に気づき、恐怖した。 「君といると、僕自身が穢れていくような気がする。君の願いの代償を見るのが、もう耐えられない。」 篠田は、外見の醜さだけでなく、冬花の内面の悪意そのものを拒絶し、彼女の元を去った。


四:純粋性の破壊と最後の皮肉


冬花の顔は、上半分に完璧な美貌を残し、下半分は異形の黒い肉の塊に占拠されていた。


絶望の中、冬花は公園の片隅で、社会的地位も富も持たないホームレスの男に出会った。彼の眼差しは純粋で、冬花の醜い瘤を見ても、微塵も気にしなかった。 「君の目には、星が宿っている。」


六度目の願いは、最後の望みだった。 「地位も富も関係ない、ありのままの自分を愛してくれる唯一無二の存在を。」 願いは叶い、男は純粋に冬花を愛した。


だが、喜びも束の間。悪意に染まりきった彼女の心は、最も純粋な愛を前にして、それを**「自分の醜さへの哀れみ」だと解釈し、否定した。**


七度目の願い。それは純粋な悪意と、孤独への渇望だった。 「この男の、私を見つめる清い視線を奪って。私を醜いままに愛する、その目を永久に閉ざして!」


願いは叶った。その夜、男は眠りについたまま、二度と目を開けることはなかった。 その代償として、瘤は冬花の顔の半分を占めるほどに肥大化し、首の付け根へと垂れ下がった。そして、瘤の全体から無数の硬質な黒い棘が生え出し、冬花の顔を下から覆い尽くし始めた。


五:闇の心臓、その完成


冬花が最後に願ったのは、「この異形を生み出した、全ての原因を消し去って。私の醜さを知る、この世の全てを消し去って!」という、究極のナルシシズムと現実の完全な拒絶だった。


その瞬間、世界は歪んだ。彼女の視界から全てが消え去った。 数年後、山中の廃屋で、ミイラ化した女性の遺体が発見された。


遺体の顔は、鑑定が不可能だった。 なぜなら、その女性の頭部は、顎から上半分にかけてが、完全に漆黒の硬質な瘤で覆われていたからだ。それは、彼女が求めた全ての「愛」と「悪意」を吸い上げ、**彼女の頭蓋に完全に癒着した「闇の心臓」**のようだった。


瘤は、冒頭の「街が揺らぎ、世界が輝く」と謳われた完璧な美しさを持つ目元だけが、外の世界を覗けるように、小さく、しかし完璧な**「窓」**を残して、頭部全体を包み込んでいた。


そして、その黒い硬質な瘤の表面には、彼女が叶えた全ての願いと、その代償の痕跡として、**無数の微細な「ほくろの痕」**が、永遠に、びっしりと刻みつけられていた。


愛と美貌への執着は、一人の女性を、美から醜への完全な円環を完成させた、生きた異形のモニュメントへと変貌させたのだ。

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🌹 願うは闇の翳り(ねがうは やみのかげり) Tom Eny @tom_eny

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