中――
足を踏み入れると中は砂利だかで靴底をじゃりじゃりに刺激してくる。俺は足裏が気持ち悪くなって、早く帰りたい気持ちに飲み込まれそうになった。
いかんいかん。中の様子を見ないとね。
それなりに広い倉庫の奥。あれは女か。
いきなり襲ってこないことを神に祈りながら、一歩二歩と近付いていく。
視線が交う。
女。というか、少女に動きは無し。胸を撫で下ろす思いである。
よくよく姿を観察してみる。髪は金髪だが
初めて会ったのに
取り急ぎ、尋常の様子であることが分かったので声を掛けてみようかしらん。
「えーと、お……ま――
「……あたい……ネネカ」
「ネネカ……へえ。良い名前なんじゃね?」
と、言っておけば良いんでしたっけ。女子と話をする機会も中々ないもんでね。どのように盛り立て、担ぎ上げ、祀り上げれば良いのか。皆目見当もつかないってわけ。
平素よりお話しする女性は戦闘シミュレーターのオペレーター、音声だけでコミュニケーションを取るおばさんだけなのよ。
ほな、どないせぇゆうね。
あ? ちょっと待て。左の前腕に
「ちょいと失敬。怪我をしているようだけども」
そう言って少女の腕を取り応急の処置を施す。不測の事態に備えて救急セットも携帯しているのだ。清掃課の職員は。
「えーと……ご家族とか?」
「いるけど……いない……」
「あ?」
「今……いない……」
「今……ね。家は?」
「ここ……」
「は?」
家族はいるんだかいないんだか釈然としない上、家はカワジリ、
俺のやってることは慈善事業じゃないんだが、どうにも可哀想だと思えてしまったし、何よりも怪我である。現場で怪我人を確認した場合はきちんと課に報告しなければならない。報告するには、哀しいかな、この三度目の外出の後にもう一度職場にリターンせねばならないのである。
それは誠勘弁。
見たところ世間一般の常識を備えているようには到底見えぬ娘であるので、ここはいっちょ、この現場の状況を
斬って捨てる。それ以外の仕事をしたくないのじゃよ、俺は。
「じゃ。うち、来るか? 怪我の手当てもそれなりにできる。
別に
俺、こう見えて公務員だから。真面目なのよ」
ネネカ。とかいうこの少女。
何に驚いたのか、一瞬目をかっ開いたが、ややあって静かにこくりと
「うち、ヤナギ町。ちょっと距離あるけど、歩けなかないだろ?」
「……うん」
「あ。俺、
そんなわけで、年齢不詳、住所不定、多分無職。唯一知れたのは『ネネカ』という名だけ。少女との不思議な共同生活が始まった。
正味俺も若い男であり、この少女も少女であるので、破廉恥、というのかな。そういう真っ赫に燃える情動的なあれが沸き上がってやばくなるんじゃないかと、一抹の不安が過らないこともなかった。
しかし、生活は閑静であった。なんちゅうか妙に穏やかだった。穏やか、という言葉を
俺が俺以外の人間の面倒を見るなど想像だにしていなかったが、俺は甲斐甲斐しくネネカの世話をしてやった。不思議と気分がすっとするのだ。
「髪、綺麗になっただろう?」ブラシを入れてやる。
「うん……するするする……」次第にネネカの金髪が
妹がいたならば、俺の日々はこのように澄んだ色をしていたのだろうか。
妹?
何故だか分からないが、ネネカが妹で、妹がネネカで。そんな夢想をしていたら首の裏がちりちりして頭が痛む。俺は仕事に疲れているのか。この夢想をするには俺の脳のメモリが不足していると思われる。ネネカが妹でも妹でなくともよいではないか。
俺はそれに等しい日々を手に入れたのだから――。
俺の心の中の湖畔に柔らかい風が流れ、
俺は何の気なしに、ネネカに折り畳み式のナイフをくれてやった。
少し前に拝借した年代物の。めっちゃイケてる奴。
「ほれ。ぶっちゃけ、この街ってどこ行っても
俺と一緒にいるときは俺が刀を抜けばどうにかなりますけども。
そうじゃないときはこのナイフを使って自衛なさい」
「……………………」
何を黙っとんのや、この娘は。ナイフを見つめたままに。
ネネカは時折こうやってフリーズする。こうなってしまうと俺がエスパー的にこいつの心を読み取り汲み取り、先回りした発言をしなければならない。という圧力を感じさせてくるのだ。
それって、つまり、困ったちゃんじゃん?
ああ。はいはい。分かった分かった。皆まで言うな。
折り畳み式ナイフの展開方法も折り畳みの方法も分からないというのだろう? 俺は刃物の扱いに長けているからね。しかと教えて進ぜましょう。
「開き方と閉じ方かな?
開くときは、ほれ、ここをしゅっとやって。
閉じるときは、横から押してロックを外して、こう畳むのよ。オッケー?」
「……分かった。……シゲカタ、ありがとう」
分かれば良いのよ。分かれば。
このようにネネカとの会話は少しばかり面倒で、意思の疎通が怪しい時があった。
しかし俺に懐いてきたのか、或いは俺と同じ視座に立つようになって賢くなってきたのか。ネネカはそれなりの積極性で会話に臨むようになっていた。
なっていたんだが、突然、分けの分からぬことを
ナイフを渡した翌日のことである。
「シゲカタ……。あたい、カワジリの倉庫に忘れ物したかも」
「は?」こいつ。何か切羽詰まってね? 気のせいか?
「取りに行きたい……」
「おいおい待てよ。ネネカよ。
お前がうちに転がり込んでからもう二週間は経ってるぞ。
さして大事なもんでもねえだろ」
「ううん……大事……。シゲカタ、お願い……」
「カワジリはゴ――
特異廃棄物の件がなくともそもそも物騒なところだのに……。
……ああ、もう! 承知したって!」
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