イチゴミルクの先輩

@Dec11252322

夏の日に

 誰もが浮かれる7月末。廊下は普段の倍騒がしい。一方私は彼らと違って、最悪の気分だった。手元の通知表に5なんて見えない。4も夏休み気分でどこかへ出かけてしまったようだ。3はかろうじてとどまっているが、残りは…。これから待っている補習をどう回避しようか頭を回す。考えれば考えるほど気持ちは悪化していくばかり。この気分をどうにかする方法は一つしかない。帰り道、ちょうどよく正面に猫背気味な彼を見つけた。

 「ヒヨ!通知表どうだった?」

 「げ、聞いてどうすんのさ。」

 ぐっと腕を伸ばして私から通知表を遠ざけようとするが、そんなことは意味がない。まだ私のほうが身長高いもんね。奪い取って眺めたそれは、私とほとんど同じような数字の並びだ。さすが双子。よし、ちょっと楽になった。

 「…ねえ、母さんたち明後日までいないんだって。仕事はいったって。」

 「え、ほんとに?」

 これはチャンスかも。一日あればどこかしらいい場所は見つかるはず。

 「だいぶ猶予があるね。さあ、どこにしよう。」

 「うちの蔵、もう何年も開けてないよね。」

 「少なくとも私たちが生まれてからはないね。」

 「母さんたちから、あの蔵を掃除するように言われててさ。今鍵かかってないんだよね。」

 「何年も開けてないなら、紙が数枚増えてもわかんないよね?」

 そういって、ふたりでにやりとおそろいの顔をした。


 「…これ、どうするの。」

 「さあ?そんなの私が知りたいよ」

山と積み上げられた本と紙束たち。それを前にして、私たちは絶望していた。

 何年ぶりに開けたのかわからない蔵から発掘された書物たちである。大量のそれは蔵の床を埋め尽くしていて、足の踏み場もない。それに、いかんせん古いものだから埃っぽくてたまらなかった。困った。「欲しいものがあったら取っておいてもいいけど、あとは処分しちゃってね。」とのことだが、私たちはこの手のものにまったくもって詳しくない。蔵から発見された書物なんて、何か貴重なものがあるかもしれないのに。そう思うと、もったいなくてむやみやたらに触れなかった。どうしたものか。

 「へえ、ずいぶんなお宝を見つけたのね。しかもこんなに。」

 肩越しにふわりと花の香りがした。薔薇がベースの甘すぎない上品な香り。香水なんてしゃれたものつけているのは、私が知っているなかでは一人しかいない。

 「先輩!お疲れ様です。」

 「おつかれさま。どうしたのこれ?おもしろそう。」

 ローズクォーツみたいなネイルが本の表紙をなでる。先輩、こんなのに興味あるのか。

 「この蔵から発見したんです。ただ、僕たちでは持て余していて…」

 「ふうん。それなら、私の知り合いのところにもっていってみる?」

 「先輩のお知り合い、ですか?」

 そういって、先輩はさらさらと何かをメモに書きつけた。

 「うわっ、何だ⁉」

 突風が吹き付け、視界が髪でさえぎられる。バタバタと空気をはたく音が聞こえた。風が落ち着いて、目の前に現れたのは掌にのるほどの小さなカラスだった。

 「はいこれ、よろしくね。」

 カァ、と普通のカラスより幾分高い声で鳴くと、先ほどのメモをくわえて去っていった。

 「え、なに今の…」

 「んー、伝書烏?」

 まさか今時そんな手段を使う人がいるとは。

 「お返事はすぐに返ってくるはずだから、心配しなくても大丈夫よ。あ、そういえばね、知り合いからジビエをいただいたの。狩りがうまくいったらしいわ。よかったら食べにくる?」

 …伝書烏を使ってやり取りする人といい、ジビエを取ってくる知り合いといい、この人の交友関係はどうなっているのだろう。交流すればするほど、謎が深まる人だ。


 さすがにジビエを家で調理するのは無理があるらしく、先輩の職場であるバーに連れられてきた。まだお昼で開店前だけど、地下室にあるこのバーはいつも暗い。そこに色とりどりのガラスのランプが映える。モザイクアートになっているランプは、光をちらちらとこぼして美しい模様をつくっている。暗くてよく見えないというのに、金具部分もかなり繊細に作りこまれている。木製のカウンターはなめらかで、きれいにランプの光を受け止めていた。その奥には大小さまざまなボトルがずらりと並んでいる。カウンターとボトルの棚の前に立つ先輩は、ぼんやりとした光に包まれてその整った容姿が際立っていた。一方で、ふんわりと巻いた苺ミルクみたいな髪と歩くたびに広がる桜の花弁のワンピース。頭からつま先までパステルピンクの先輩はバーにかなりミスマッチだった。

 「お待たせ。」

 バックヤードから先輩が戻ってきた。木皿に乗せられて出てきたのは、サラダとポテトの盛り合わせと鹿肉のステーキだ。野菜はどれもきらきらしていて新鮮そうだし、ポテトの上に乗ったバターは溶け出して、埃が詰まって重苦しくなっていた体も今はその香りですっかり元通り。それどころか、早く食べたくていつもより体が軽いかもしれない。メインのステーキはつやっとした赤身にソースが合わせてある。先輩、料理もできたのか。さすがに仕込みをしていたとは思うけど。それにしたってすごい。

 「いただきます。」

 「ふふ、どうぞ召し上がれ!ところで、あの本たちのことなんだけど。もしよければ、私の知り合いに貸してもらえないかな。もちろん、ちゃんと本人を紹介するし、お礼もするわ。」

 「構いませんけど…そんなに価値があるものなんですか?」

 「私も詳しいわけじゃないのよねえ。とにかく、その人が研究してみたいらしくて。まあ、あの手のものは片っ端から集めてるからただのギークみたいなところもあるけどね。」

 そんな説明をされるとなんだか余計に想像ができなくなる。伝書烏なんて使うから、てっきりご年配かと思ってたんだけど。そんな言い方ができるってことは、先輩と近い歳なんだろうか。

 「とにかく、そういってもらえてよかった!早速だけど、明日空いてる?その人を紹介するわ。」


 「おはよう。こんなに朝早くからごめんね。」

 「いえ、気にしないでください。」

 「はい、僕たちもできるだけ早くあの本たちをどうにかしたいので。」

 翌朝、まだ朝の匂いがする時間に先輩が迎えに来た。相変わらず全身くまなくピンク色だ。私は今朝起きるだけで手いっぱいで、身なりを整える余裕なんてなかったのに。

 「それじゃ、行きましょうか。」

 挨拶もそこそこに先輩は歩き出した。私たちもあわてて後を追う。こつこつとテンポよく歩みを進めながら、先輩は鼻歌を始めた。やたらうまい。なんでこんな能力持ってるんだ。私の住んでいるところは自然豊かなところだ。先輩はそこからさらに森の深くへと入っていった。普段は自然に恵まれてるっていう感じだけど、今は自然がおっかない半分、神秘性に感動半分。だって、こんな森があるなんて知らなかった。道は舗装されていなくて、苔むした岩や木の根がむき出し。あちこちで生き物の動く気配がして、小川の流れと木々のざわめきで音が絶えない。上を見上げれば、背の高い木々が私たちをのぞき込んでいるようだった。どこも少し湿っていて、幹は柔らかく、触れると吸い付くようだ。めったに来ない場所だから、深呼吸をしてその空気を少しでも持ち帰ってみようと思った。

 足元の悪い中を歩き続けて一時間ほど経った。さすがにこの中を一時間も歩くと、足が重くなってくる。よくワンピースにパンプスできたな、先輩。

 「はい。到着。」

 突然、先輩が立ち止まった。満足げな表情をしてるけど。

 「到着って…何もありませんけど。」

 「やっぱり?私も何も見えないんだけど…」

 私がおかしいのかと思った。やっぱり何もないよね。目の前には、今までと似たような景色が広がっているだけ。深い森は永遠に続いてるみたいに見えるし、他にはゆらゆら揺れる光がさしているだけだ。

 「そんなことないよ。ほら、よーく見つめて…」

 先輩がそう言ってどこか指をさす。小川の上に倒れこんだ大木の上に、昨日の伝書烏がいた。目を細めてようくみつめる。そのちいさな瞳とばちっと目が合った。気がした。そして瞬きをして目を開いた次の瞬間。あろうことか、突然巨大な建物が現れた!

 「え!なに、どういうこと⁉」

 「だって、さっきまで」

 理解できない。こいつを連れてきてよかった。一人だったら受け止めきれない。そこにあったのは象牙色をした円柱形の建造物。木々に触れるか触れまいかという高さをしている。外壁には長方形にくりぬかれた部分があり、その一つ一つに彫刻が施されている。その彫刻と、これまた装飾された柱がぐるりと建物を一周しているから迫力がある。両開きの扉は木製で、ずっしりとした金のドアノブが垂れ下がっている。こういうのって観光地にあるものじゃないの?それか教科書の中。こつこつという音で目が覚めた。私たちが唖然としている間に、先輩は何の躊躇もなく正面玄関への階段を上っていく。玄関の正面につくと、ノックをする間もなく扉がひとりでに開いた。

 外から見た通り、中もとんでもない広さだった。室内で動物園でも開けそう。そんな思考とは裏腹に、室内は森と打って変わってしんとしている。モノクロのタイルが敷き詰められた床を歩く先輩のパンプスの音がこだます。ドーム状の天井から注ぐ光は木漏れ日のようだ。何より圧巻なのは壁一面にびっしりと詰められた本の数々だ。円柱形の建物に沿って備え付けられた棚に隙間一つなく本が並べられている。どこを見渡しても大量の本が目に入る。本の壁を見つつ進むと、入り口から一番奥の本棚の正面に誰かがいるのが見えた。

 「来たわよ!調子はどう?」

 「まあ、いつも通りですよ。あなたは相変わらずですね。それよりもお二人とも、こんなところまでご足労頂きありがとうございます。私は…研究者兼ここの管理人です。どうぞよろしくお願いいたします。」

 玄関扉と同じような焦げ茶色の机の前で、青年がうやうやしくお辞儀をした。金縁の装飾が施された回転椅子にゆったりと腰を掛けてから、お疲れでしょうから、と私たちにも座るよう勧める。すると、先ほどまで何もなかったはずのところにテーブルと椅子、おまけにティーセットまでもが現れていた。

 「まただ…何もないところからどうやって…」

 「あ、ありがとうございます!」

 青年は不思議な風貌をしている。右肩の大ぶりな金の装飾から、白い布をたっぷりと垂らしている。腰のあたりに金糸が編み込まれた縄をベルトの代わりに巻き付けて、白い布で全身をすっぽりと覆っていた。建物の雰囲気も相まって、古代文明の世界に来たのかと錯覚してしまう。白い布以外にも何枚も重ね着しているようで、顔以外にほとんど肌が見えない。両手も手袋に覆われているうえに、右手の親指、人差し指、中指にはペン先のようなものがはめられている。髪は細く三つ編みをしているというのに、足先までついてしまいそうだ。伝書烏と同じ艶やかな黒色で、動くたびに左耳の羽飾りと一緒に揺れる。金色の丸眼鏡の奥からは、雲母みたいな瞳がこちらを興味深そうに見つめていた。

 「研究者と名乗りましたが、何か特定の分野を研究しているわけではないんです。民俗学から科学まで、様々なフィールドを横断して研究しています。」

 「そんなことが可能なんですか?」

 あの本たちを欲しがるということは、自由研究なんてレベルじゃないんだろうな。ただ、私の想像の限界はそこまでだった。もっと勉強しておけばよかった。私、いま結構貴重な体験をしてるかもしれないのに。

 「暇人なもので。時間さえかければ、不可能なんかではありませんよ。」

 「なんでも知ってるってことですか?なんだか賢者みたいですね。」

 「確かに、ここもいかにもな場所だしな。」

正直な感想を言っただけだったけれど、先輩がこらえきれないみたいにふきだした。

 「はは!初対面の子にも言われちゃって。」

 「うるさいですよ。全く。そんな大仰な呼び方は不本意なんですがね。私はやりたいことをやっているだけだというのに。」

 「いいじゃない。誉め言葉よ。」

 「まあ、結構です。それで、早速ですがそちらの本、拝見させていただいても?」

 突然話を振られてどきっとした。とっさに声が出なくて、なんとかうなずいて返事をした。完全に油断してた。

 「なるほど。民間伝承ですね。こっちは出納帳…薬学の本までありますね。」

 「ばらばらなのね。商人だったのかしら。この出納帳を見るに、お百姓さんではなさそう。」

 「しかしこの薬学の本、実に興味深いですねえ。この配合は見たことがありません。」

 「それならもっと安価な材料が出回ってるもの。」

 「この土地には自生していなかったのか、商人が外から入ってくることが少なかったのか…あとでいくつか書物を持ってくるとしましょう。」

 ぽんぽんと進む会話についていけない。私たちが読んだときは、文字を読むことすらほとんどできなかったのに。この二人は普段と変わらないようにページをめくって、あれこれ話し込んでいる。

 「この伝承、北方の妖怪伝説に似ていますね。これなら…」

 「いえ、ここの記述をよくみて。東方の土地神様のお話にそっくりだと思わない?」

 「はあ?こっちの文献をごらんなさい。類似点がいくつもあるでしょう。」

 「それだとここの記述と矛盾するわ。この文献に目を通してちょうだい。絶対にこっちのほうが近いわよ!」

 議論が白熱していくけど、先輩も研究者さんも口元は笑っている。二人の目は道中の木漏れ日に負けず、きらきら綺麗に輝いていた。いくつも違う本を引っ張り出しながら、ああでもないこうでもないとお互いに言い合って、だけど手は休めず次々と本を読み進める。

 知らなかったなあ。先輩ってこんな話し方するんだ。それなりに長い付き合いだし、先輩のことはよく知ってるって自信は結構あったんだけどな。それに、あの本たちがそんなに面白いものだってのも知らなかった。私たちからしたら、あの本たちはただの埃まみれの紙束たちだった。

 「ああやって本を読んだことってないな。」

 「うん。そもそも、僕もお前も本らしい本を読んでいないしな。」

 「あれが理解できるようになるまで、どれくらいかかるかな。」

 

 先輩たちが本に埋もれるころ、ようやく二人は私たちを思い出したらしい。

 「申し訳ございません。お客様を放置して熱中してしまうなど…」

 「ごめんなさいね。つい夢中になっちゃって。」

 「お二人とも本日は本当にありがとうございました。ささやかなものですが、お礼としてどうかこちらを受け取ってください。」

 研究者さんが人差し指で宙に円を描くと、私たちの目の前にそれぞれ一冊ずつ本が現れた。文庫本くらいのサイズで、辞書の半分くらいの厚さがある。柔らかい革で装丁してあり、金の刺繡が入っている。表紙の中央には宝石がはまっていた。私のものは赤色の、もう一冊は青色の、小ぶりながら見事な輝きの宝石だ。

 「え、いいんですか。こんな立派なもの…」

 「もちろんですとも。その本は、必ずお二人の助けになるとお約束しましょう。」

 雲母のような瞳が私たちをしっかりととらえてそういった。そこから目が離せなくなる。膝の上で本を握りしめて、なぜだかわからないけれど背筋が伸びた。ずっと奥まで続いているような不思議な眼だ。なんだか既視感がある。この感覚を思い出そうと必死になる。そして瞬きをした次の瞬間。

 「っは、何⁉」 

 「僕たちの家の前だ…」 

 今度は瞬間移動をしたらしい。さっきまでの出来事が嘘のように、慣れ親しんだ景色が目の前にある。先輩はまだあの研究者さんのところにいるのか、辺りを見回してもみつからなかった。手にある本が、あの体験は現実だったのだとかろうじて伝えてくる。ふりかえると、そこには開けっ放しにしたままの蔵がある。中にはまだいくつも本が残っていた。

 「…ねえ。夏期講習って、今からでも受けられるのかな。」

 「母さんたちにきいてみるか。」

 私の夏休み、滑り出しは順調かもしれない。

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