【短編小説】『鍵のない扉』
風で揺れる楓
『ふと息を止めた』
いつもは気にしないような、小さな小さな金属音が足元で鳴った。
砂利の隙間に見えるのは、いつか見た事のある鍵。
錆びと傷が目立つようになったそれが靴の下に見えた。
僕の知らない間に時を刻んだ鍵。
あぁもう戻れないんだと、ふと息を止めた。
『忘れられた箱』
賑やかだった校庭も、静寂の中に人の気配が漂う廊下も、不規則に並べられた机や椅子も、人の温もりから遠ざかってどれくらい経ったのだろう。人が立ち入らなくなると、ここまで草木が侵食するものなのか。
かつての
泡だったようなコンクリートの壁の向こうに、へしゃげたお菓子のブリキ缶が一つ置き去りになっている。
『窓辺の影』
採光用に付けられた小さな窓が唯一あるその部屋は、まるで牢屋の様だ。
その小さな冷えたコンクリートの囲いの中で、痛めつけられる支度をするあの頃の僕たちは、囚人よりも厳しい生活を送っていただろう。
かすかに差す磨りガラス越しの光は、闇夜に浮かぶ街路灯のように、その場だけを照らしていた。
『声にならない言葉』
昨日と変わらない地獄が明日も明後日もくる。
そこには鬼がいたから。
人の心を持たない鬼による、暴力と心を折りにくる暴言。
それでも、行きたい場所があったから。同志がいたから。
砂を噛み、血を飲み、動きを止めようとする足を震わせながら走っていた。
あの日が来るまで。
『時間が止まった場所』
――ミチオがカワセン殺して捕まったらしいよ
騒めく教室の中、僕の周りだけ音が消え、時が止まった。
誰よりも高みを目指していたミチオ。
鬼の理不尽な暴力から皆んなを守っていてくれたミチオ。
ミチオがいなかったら、僕らはここまでやってこれただろうか。きっと無理だっただろう。
「お兄ちゃんがこの缶、ヤマシタさんに預かってて欲しいって」
どうやって過ごしたか記憶の曖昧な1日を終える頃、アラレが入っていたようなブリキの缶を持って、僕の家までミチオの妹がやってきた。
僕は、そっと、蓋を、開けた。
『帰れない夜』
卒業して20年。
記憶の中の母校よりも荒れ果てたコンクリートの前に僕はいる。
「よぉ、ヤマシタ。久しぶり」
振り返ると、当時より随分と薄くなった頭髪をだらしなく肩まで伸ばしたミチオがいた。
「ナァ、あの缶の中身、覚えてるか?」
ヤニで黄ばんだ歯を見せながらニヤつく彼からは、かつて僕たちの守護者だった風格は消え失せていた。
「あれを、どこで……?」
「ヤマシタがさー、ズタボロにされた血だらけのユニフォーム隠してるところ見て、俺閃いちゃったんだよねー」
キョーキは見つかんなかったんだけどなー、と言いながら胸ポケットからタバコを取り出した。
呼び出された用件はそれか……と、小さく息を吐く。
「俺らって、あのままプロになれるわけでもなく、部活部活でベンキョーもせずに生きてきたじゃん?
あんなに頑張ってんのに未来が見えなかったワケよ。エーン、カナシーねェ!」
泣き真似をするミチオ。
「んで、アレ、でしょ。
ピーンときたの! 10年くらい塀の中にいたら、その後はヤマシタくんに養ってもらえるんじゃないかなーってな」
ミチオの口から吐かれる紙巻きタバコの煙と、毒。
「あの缶の中に入れなかったショーコ、他にもあるんだよねー」
濁った瞳に映る僕の表情は、どんなだったろうか。
「とりあえずさー、まぁ300マンくらいでいいかな?センコートーシってやつ?」
ギャハハと下品に笑うミチオは、本当に頭が悪い。
――あぁ、やはりナイフは持ってきて正解だったな。
先ほど砂利の中から拾いあげた鍵を使い、部室の扉を開く。
あの事件の後、職員室から拝借したまま地面に埋めておいたのだ。
ここが廃校にならなければ、危うく雨風などで鍵が露出して、誰が扉を開けて――部室に隠した缶の中身が見られてしまうところだった。
ミチオが言った他のショーコとやらが無いことは、僕自身が知っている。
なぜなら、あの時。きちんと確認した。
だけど、「その扉」を開かれてしまったから……。
「じゃあな。おやすみ、ミチオ。」
【短編小説】『鍵のない扉』 風で揺れる楓 @motoku_san
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