下は見ない

おくとりょう

ぬるくて あまい

「んっ」

 口の中に広がる血の味に顔をしかめて身体を起こすと、彼女はニヤッと笑って僕の目を見上げる。さっきまで僕の唇と重なっていた口元は赤く染まっている。

 もう、舌を食べるのやめてって言ったのに。


「んー」

 不満げに睨む僕の視線を気にもせず、もぐもぐする彼女。ふいっと僕に背を向けると、スキップするように歩いていった。腰まで届く彼女の長い髪がふわふわ跳ねる。

「……だってトモくんの舌、甘くて美味しいんだもん」

 ひつじみたいに柔らかで優しげな癖毛。……ふと、初めて彼女とキスをしたのはいつだっただろうかと思った。


「――あのとき、私がうっかり噛んじゃったんだよね」


 そう言って、急に立ち止まった彼女。

 その背がどこか寂しそうにも見えて、僕もつられて立ち止まる。

 ただ、彼女は振り向かない。その横顔には淡い影が射していた。いつの間にか、風が冷たい。

 僕はその長い睫毛を見つめる。濡れてるみたいに煌めくので、星空みたいだと思った。だけど、舌のない僕は言葉を飲み込む。


「ねぇ、星が綺麗だよ」

 いつの間にか、僕の舌を飲み込んだらしい彼女。その唇がほんの少し震えてる気がして、つい指で触れてしまった。


「なに?」

 じっと僕を睨む黒い瞳。それは鏡のようなのに、星はひとつも映ってなかった。さっきまで、夜空を見上げていたのだから、ひとつくらいそこに残っていてもいいのに――。


「……何とか言ってよ」

 彼女は僕の襟をギュッと掴んで引き寄せると、再び僕の唇を覆った。そして、口の中に広がる赤い味。

 ――まだ舌が生えてないから、言葉を話せないのだと思ったのにな。

 舌なめずりをする彼女に、言い訳をしようか一瞬まよって、まだ舌が生えてないのを確認してから、何も言わずに空を見上げた。

 彼女の言った綺麗な星は、どれかわからないほどいっぱいあった。

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