破壊の楽園

倉真朔

破壊の楽園


──むかつくんだよ。

 

「優一! 後でお父さんにきつく叱ってもらいますからね! 優一、こらっ! 優一! 田中君に謝りに行くのよ! すぐに着替えて降りてきなさい!」


 母親のキーキーした甲高い声のせいで、さらにイライラする。俺は階段を駆け上がり、自室の扉を勢いよく閉めて鍵をかけた。


 部屋の隅に立て掛けている木製の黒いバッドを両手で掴み、ベッドに向かって勢いよく振り下ろした。

 

──むかつく!


────むかつく!


──────むかつく!!


【破壊の楽園】

 

 ふんわりとした布団をひたすらにバッドで殴り続ける。勢いのあまり生地が破け、白い羽毛が舞い上がる。俺は怒りに身を任せて声をあらげた。

 

「関口の野郎! 先生にチクりやがって! 田中が悪いんだ! カエル一匹くらい、死んだところでなんだってんだ。ただの実験でなんであんな怒ってんだよ! いい子ぶりやがって!」


 田中は俺のダチだが、正義感が強すぎるところがある。カエルの内臓を見ようとしただけなのに、弱いものいじめだ! 君のやってることはサイテーだよ! なんてさ。なんか腹が立って殴り合いになったところを生徒会会長の三つ編み女、関口に見つかって、先生にチクられて母親がとんできたわけだ。


 考えれば考えるほどイライラする。くだらない。あまりにもくだらない話だ。

 

「ムカつく! くそくそくそ! 死ねばいいんだ!」


 死ねばいい。そう言ったらなんだかスカッとした。俺はさらにバッドを振り上げてベッドを殴る。

 

「皆、皆皆死ねばいいんだ! 死ね!」


 死ねと言うのと同時にバッドを振り下ろす。

 

「死ね!」


 なぜだろう。

 なぜだろうか、じいちゃんの遺影が頭を過った。

 

「死ね!」


 そういえば、あの時、皆抱き締めあって泣いてたっけ。

 

「死ね!!」


 俺は1滴も泣くこともできなかったな。

 まるでその時だけ感情がなくなったみたいだった。

 

 じいちゃん。


──ガタッ


 殴った時の振動で本棚が揺れ、2段目の棚に置いてあったガラス製の写真立てが倒れてる。 


「あ! やべっ」


 床に落とす前に拾いたかったが、遅かった。

 写真立ては鼓膜を破くような鋭い音を立てて割れた。

 

──パリーーーンッ!!


 その時だ。

  

 音と同時に写真立てから白い煙が上がる。


「うわっ!! なんだ!」


 白い煙は一気に部屋を覆い、何も見えなくなった。俺はバッドを落として、腕で自分の顔を守る。


 煙が消えていくのが頬を伝ってわかる。

 

 なんだろう。すごく寒い。


 俺はうっすらと目を開けた。

 


 そこはもう、俺の部屋ではなかった。

 


 足元で動く草むらがくすぐったい。夜だろう。幾つもの星が瞬いている。真っ直ぐに前を見ると、光輝く透明な街並みが月の光で煌々と輝いていた。


 ここは一体なんなんだ?


「こんにちわ。優一」


 後ろから人の気配を感じ、振り返ると俺と同じ歳くらいの少年が微笑んで挨拶してきた。

 

「あんた、誰だよ。なんで俺の名前知ってんの?」


 肩まで伸ばした天然パーマの白髪の少年は、俺の言葉を無視してさらに言葉を発する。

 

「ねぇ優一。あんな小さな箱庭で暴れるよりももっといいところを案内してあげる」


 少年は俺の手を自然と握り、透明な街へと下りていく。手を引かれた俺は振り払おうかと思ったが、なぜかできなかった。

 

 なぜかどこかで懐かしいと心で思った。


 なんだここ。

 それに、すごく寒い。

 

「ほぉら!」


 いつの間にか、透明な建物が並ぶ街に下りていた。そこには、今までみたことのない光景が広がっていた。


「なんだこいつら!」


 透明な人間たちがうろうろしている。

 まるで、全てがガラスでできているかのようだ。

 透明な人間の顔は、よく見ると細かく精密に作り込まれている。それぞれ個性もあるのか、背丈や顔や、肉付きも皆違う。それにさらに驚くべきは、動いていることだ! 

 動いてるとはいえ、のろのろと亀のようにしか歩いていないが、それでも俺にとっては驚きでしかない。白髪の少年は、俺の目の前にわざわざ立って興奮気味に説明した。

 

「氷人間だよ!」

「氷人間!?」

「氷という器に魂という流動体を注いだ、新たな生命体さ」


 氷人間……。

 だからここはこんなに寒いのか。

 ここは俗に言う、異世界なんだ。

 俺はこんなことでは躊躇わないぞと見せつけるために強気に言い返した。

 

「すげっマネキンみたいだ」


 少年は妖艶に微笑み、そして冷たく呟いた。

 

「マネキンよりも。弱々しい生き物だよ」


──パリーーーン!


 後ろから何かガラスのようなものが割れる音が聞こえる。俺と少年は振り返ると、俺たちと似た人間たちが木材を振り上げて、氷人間たちを破壊していた。


 俺は少年に尋ねた。

  

「何やってんだあいつら!」


 少年は淡々と答える。


「この世界は人間も住んでいるんだ。氷人間は脆い。すごくすごくね。暑いとすぐ溶けるし、少しの衝撃でも割れて死んでしまう。そんな彼らの価値はこうして、人間のおもちゃにされること、または氷として売られていくしかないのさ」


──パリーーーン。

────パリーーーン。


 氷人間の壊れた音が、街に響く。

 これを聞いて俺は、どこか心地よさを感じていた。ASMRを聞いたようなスカッとした気持ちだ。

 

「ほら、優一」

「え?」


 少年はどこからか、俺のバッドを持って俺に差し出した。

 

「君も壊してごらん。大丈夫。氷人間を壊したところで罪になんてならない。彼らはただの動くおもちゃなんだからさ。ほら」


 俺も壊せるのか。

 俺は、少年からもらったバッドをぎゅっと握りしめた。そして近くでのろのろと歩いている氷人間を後ろから、殴った。


──パリーーーン!!


 ガラスが割れたような音。

 どこか乾いていて、細かくて

 パリパリして、そして涼しい。


 俺は思わず叫んだ。


「すげー!」


 少年もその反応が嬉しいのか、にこりと微笑んだ。

  

「でしょ! いい音だ。もっと聞きたいな!」

「よぉし!」


 俺はさらにバッドを丁寧に握りしめ、ボールを打つように、氷人間の頭を打った。

 

──パリーーーン!


 次。さらに次。さらに次と氷人間を壊していく。

 

────パリーーーン!

 

「なんて、なんて爽快感だ!!」


 そうだ。俺はこれを待っていたんだ。

 気持ちいい。ストレスが発散されていく。

 心が、満たされていく。

 

──パリーーーン! パーーーン! パーーーン!


 満たされていく?


────パーーーン!!


 本当に?

 

「……」

「どうしたの? 優一」


 バッドをゆっくり下ろして、少年に返した。

 

 いくら壊しても壊してもダメだ。

 

「なんか、空っぽだ」


 右側に目をやると、見たことある人物がゆっくりと歩いていた。

 

「じ、じいちゃん?」

 

 怯えた顔で俺を見て、ゆっくりと逃げようとしている氷人間。その姿形は、まさにじいちゃんだった。


「じいちゃん! じいちゃんだよな」


 俺はその氷人間に近づいた。

 心臓の鼓動が早鐘を打つ。

 まさか。

 まさか本当にここで会えるなんて。

 じいちゃん。

 

「じいちゃん!」


  

──パーーーン!!


 

 少年が、バッドでじいちゃんを、壊した。

 

 頭を、思い切り、割った。


「じい……ちゃん!!」


 少年は氷のように冷たい言葉で言う。

 

「彼は君のおじいちゃんじゃないよ。氷人間だ」


 じいちゃんの破片が床に飛び散って、音を立てる。


「だって君のおじいちゃんは、一週間前に死んだじゃない」


 そうだ。

 じいちゃんは死んだんだ。

 俺は、じいちゃんの葬式を思い出した。

 


 少し緊張したような様子のじいちゃんの遺影。

 眠ったようなじいちゃんの顔。

 冷たくて固くて、悲しいよりも怖いの方が先だった。皆泣いていた。珍しく母さんがすごく泣いていた。

  

 死んだ。


 じいちゃんは、死んだ。


 死んだ。


 周りを見ると、俺が破壊した氷人間の破片が散らばっていた。体の一部が見え、顔の半分がこちらを見ている。



 俺はその時、自分のやったことがとんでもないことだったとわかった。



 氷の器に魂という流動体を注いだ新たな生命体。


 彼らは、生き物だった。

 

「うわあああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 俺はとたんに恐ろしくなって尻餅をついた。少年はきょとんとした顔でバッドを肩に担ぐ。

  

「どうしたの? さっきまであんなに楽しんでたのに。優一。ほら、もっと壊そうよ」

「だめだ。彼らは、だって彼らは生きて……」

「生きてるからってなんだって言うんだい? 君がムカつくと思ってるものは皆死ねばいいじゃないか。ここなら叶えられるよ?」


 少年は指を鳴らして、氷人間を造り出す。

 その氷人間は、生徒会の関口、ダチの田中の容姿をしていた。


「 ここは、破壊の楽園さ。スカッとするだろう!」

「田中……関口……」

「ほら、壊そうよ。壊そう?」


 田中と関口が怯えた顔をしているが、逃げることができない。少年が彼らの首を掴んでいるのだ。

 

「やだ!」

「それなら、僕がやろう」


 少年がバッドを振り上げる。

 俺は怖くなって両手で目を隠し、体を丸くして小さくなる。 


「やだやだやだ!! 助けて! 助けて!」

「死ね!」

「じいちゃん!!」

 

──パリーーーン!

 


 聞こえる。

 


 これは、生命の砕けた音だ。



 目の前が暗くなる。

 透明な街が小さくなって、世界が暗黒へ変わっていくのがわかる。

 

 もういやだ。全てが怖い。

 俺は小さくなったまま、何もできないでいた。


 コツコツと、足音が聞こえる。

 少年だろうか。

 暖かい手が俺の肩に触れる。


「すまんの。優一。怖がらせて」


 この声。懐かしい声。


 俺はゆっくりと顔をあげた。


 線香の匂い。大きな肩、うっすらと生えた白髪の天然パーマ、いつもにこにことした口、優しい目。間違いない。間違いない! 


「じいちゃん?」

「優一。すまん、すまんの。寂しい思いをさせて」

「じいちゃん!」


 俺は思わずじいちゃんに抱きついた。

 

「じいちゃん。死んでない、死んでない。よな?」


 じいちゃんはいつもの笑顔で、寂しそうにそれに答えた。

 

「優一。今ならわかるじゃろう?」


 じいちゃんは、俺の手を優しく離すとゆっくりと後ずさる。


「大事にせなな」


 わかる。


 これは、最期の別れだ。

 

「じいちゃん!」

「大事にせな」

「じいちゃん!!」



 気づくと俺は、自分の部屋に戻っていた。

 壊れていたはずの写真立ては、俺の膝の上に置いてあった。

 

 そう。その写真は、俺とじいちゃんとの写真。

 大切な写真だ。

 俺は写真を抱きしめると、だんだんと目頭が熱くなった。

 

「じいちゃん……じいちゃん!」


 今ならわかる。

 今ならわかるよ、じいちゃん。

 じいちゃんは死んだんだ。もうこの世にいないんだ。

 命あるもの皆死んでいくんだ。

 寂しくて悲しくてポッカリ穴が空いたような気持ち。

 これが死。俺、今まで知らなかった。死はこんなにも儚くて脆くて絶対的なものだってこと。

 ありがとう。じいちゃん。

 これから大事にする。

 生命を。死を。

 大事にするよ。

 

 しばらく写真を抱きしめた後、俺は私服に着替えて部屋から出た。そして、リビングでため息をついていた母さんに小さく呟いた。

 

「母ちゃん。今から、田中に謝りにいく」

「そうしなさい。もう乱暴なことしない?」

「うん、もうしない。もうしないよ」



 完

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破壊の楽園 倉真朔 @kurama39ao

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