反田アニマパークへようこそ!

文月護

ひとり立ち

「あつっ…」

眩しい光に俺は目を細める。

太陽がカンカンと照り、冷やし中華の垂れ幕をよく見かけるこの時期に、着慣れないスーツを身にまとい、俺は目的へと向かう。

汗がじわりと体全体にまとわりつき、不快感を覚える。

「次が最後か…。これが無理だったらどうしよう。」

不安を静かに吐露しながらも、目線は前へと向いたまま。静かに歩き出すが革靴はアスファルトに押し付けられ、ギィギイと軋む。まだ新品の証だ。

姉さんは今頃は頑張っているかな…。

ここにいないあの人へと思いを馳せる。

手を掲げ陽を遮ると、血潮が薄く透過している。


………1週間前

陽は昇り、影を足でしっかりと踏む頃。また働く人々は飯を食い、あるいは何処かの国は真夜中の頃。

3分で完成!でお馴染みのキャッチフレーズを目にしながら、俺は麺をゆっくりと啜る。熱いものは苦手だからだ。対して姉さんはUSOを喉に流し込んでいた。しかし胸を突然叩いたかと思うと、水を勢いよく流し込む。けほけほと咳き込み目には涙が溜まる。

「だいじょうぶ?水をもう一杯持ってくるよ。」

「いや、だいじょうぶだから――」

と喉をしゃがらせながら言う。

「それよひさ……。」

「ひ?」

「それより」

「…あんた今日なんか用事ある?無いと思うけど一応聞いておくわね!」

「えっ、ないけど…。急に心をえぐるのやめてもらえる。それに姉さんだって仕事以外の用事はないじゃないか。」

「それはそれよ。あんたは花の高校生でしょ!なんかないの、浮ついた話。」

「ないんだなー、これが。」

「ま、何もかも凡な感じだもんね、あんた。勉強も運動も普通だし、特徴的なことは…家事くらいかな。あんたに任せりゃ1発よ。」

「姉さんはモテるくせに毎回断るよね。」

「男が悪いのよ。最近はナヨナヨした野郎共ばかり。一丁前な私好みの野郎はおらんのか。」と勢いよく吐き捨てる。

姉、古賀さとみは明るくきっぱりとした性格と、それを後押しするかのようなすらっとした背丈、茶髪のショートヘアに反して、目はつり目で細くそのギャップが印象的だ。男はなんぼでも寄ってくるが理想が高く、姉さんのお眼鏡にかなう野郎はいないらしい。俺も含めて付き合った経験などない。おかしいな……姉さんはともかく俺は好みが激しい方ではないはずなのに――。

「それに姉さん、確かに俺に春は見まだ来ないけど、男友だちの一人くらいいるから。」

「あんたに友だち?!いつも私の背に小判鮫みたいにくっ付いてたあんたに!あぁ、母さん、弟がついに私に嘘をつきました。昔は正直者だったのに、一族の恥です…。」

手を合わせ、大袈裟に手を擦り、空へ祈る。如何にもわざとらしい様子。

「さすがに酷くない!?ていうか小さい頃でしょ。親しき仲にも礼儀ありって言うように……」

「まあそんなことはいいから、今日は大事な話があるの。」

そんなこと!母さん、姉に天罰を下してください。

俺が、両手を擦り合わせ空へと願う中、姉は手を前に組みヘソをこちらへ向ける。

「真剣な話なの。」

そう言う姉さんは話を始めようと口を開き、眼孔は広がる。

姉さんは大事な話をするとき、いつも下らない会話から繋げることが多かった。すぐに真剣な話だと分かり、俺は背筋をぐんと伸ばし、耳をかたむける。

「これまでの古賀家は壮絶な運命の中にありました。父は私が八つの時に交通事故に巻き込まれ死亡。母はそんな私達を育てようとがむしゃらに働き、躰を壊し、崩れ、私が二十歳を迎えた翌月に亡くなった。私が働くと言っても聞かない頑固な人だった。」

姉さんの顔から陰りが見え、目に涙を溜めていた。しかし声ははっきりとしていた。

なんで今その話を……。

突然の語りに口をつぐみ、動揺する俺に構わず姉さんは話し続ける。

「だからあんたをいっぱしの男にするために、姉さんは今日までこの地で踏ん張ってきました。だけど、あんたをいつまでも見てられないから。それに半人前位にはなったと思ってます。」

姉さんのその場を声は力強くそして何処か寂しそうだった。

そうか…。姉さんはいつも笑顔で強い人で、俺がバイトもするのを反対して、俺を育ててくれた。雨の日も風の日もそうだった。それは母さんの意識でもあり、強さでもある。

だけどいくら強くても限界はくる。

母さんのようにはなってほしくない。

そう願う。いつの間にか温くて、悲しい気持ちになった。ならば俺も踏み出すべきだろう。喉は震えるが優しい声で言う。

「ごめん姉さん、いつもありがとう。そうだね、俺もバイトでも何でもしてはたら――」



「だから姉さん、海外でバリバリ働いてくるわ。」



その声はあっけらかんとしていて、明るかった。

「いやー、あんたがいるから今まで海外出勤断ってたのよ。本当はもっと稼いで早くにタワマン持つ未来設計だったんだけど――だけどもう高校2年生でしょ、それに家事上手だし。」

「えっ――、

一人で家計を支えるのは大変で体がきついから、バイトをしてくれってことじゃ……」

「そんなわけないでしょ、まだピチピチの25歳で~す。社内でも一、二を争うバリバリのヤリ手だから、ボーナスガッポガポよ。それに、本当はあんたが高1になったら行くつもりだったんだけど、毎日のあんたの手料理がうますぎるから1年遅らせたんだから。それに海外なら度胸のある野郎共が溢れてるはずよ!」

目が本気だ…この人。闘志が全身からあふれ出ている。さっきまでのしんみりした雰囲気は何処に行ったんだ。

「と、いうことで今日の夜から海外行ってくるから、家よろしく。水道光熱費と食費と学費は払うから、後はバイトで稼いでね。」

衝撃の言葉がマシンガンのように浴びせられた。

今日の夜だと――。

早すぎる。まさかの展開に追いつけない俺は言葉をまくし立てる。

「なんでもっと前から言ってくれなかったのさ。」

「いろいろ姉さんにもあるのよ。私だって寂しいわ。」

そんな…今日から姉さんが海外に行くなんて。急で心の整理が追いつかない。

「大丈夫よ、そんな暗い顔をしなくても。月に1回は帰ってくるわ。」

「ほんとに…?」

「もちろんよ。」

楽しげに語るその姿は、もう覚悟を決めている証だった。

それを止められる自信はなく、俺も祝砲をあげることにした。

「頑張れ」と、強く。

そして―――


遂に別れの時。一生の別れではないはずなのに涙が頬をツーッと伝う。

だが別れは笑顔にしたい。だから大きな声で言う。

「いってらっしゃい。」

「いってきます。」

力強い声で玄関前の二人の姉弟はそう言いあった。

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