命がけで、アオハル

西川 旭

第1話 桜吹雪と転入生

 青春が欺瞞であるかどうかは知らないし、知らないものを信じる主義ではない俺にとっても、季節の上で春が来たなということくらいはわかる。

 北緯44度の風が吹く北海道、A市。

 俺が住むこの街に、今年も無事に桜が咲いた。


「この辺もすっかり満開だなあ。連休はどこ行っても混みそうだ」


 街のいたるところで枝をピンクに染めた木々が見られ、人も動物も浮き足立っている。

 実際に、長い冬を越したカエルたちが何匹もぴょこぴょこと道端を撥ねていた。

 そんな麗らかな四月の下旬である。

 高校1年生の俺、杉(すぎ)鉄人(てつと)は自転車で通学途中。

 今日行けば明日からはゴールデンウィークに突入。

 通い慣れてきたこの平凡な河川敷の土手も、光り輝いて若者たちの連休を祝福しているようだ。


「ってうおっ!?」


 そんな気分に水を差すように、ガチャンと音を立てて自転車のチェーンがいきなり外れてしまった。

 冬の間、物置にしまいっぱなしでろくにメンテナンスをしてなかったせいか……。


「ちきしょう、ついてねえ」


 間に合わせで嵌めるだけの応急処置をしたのはいいが、両手が錆と油でギトギトだ。

 ハンカチ一枚を再起不能なまでに汚してしまい、くさくさした気分で再び自転車に乗った俺、だが。


「うっわめっちゃイケメンなワンちゃんですね! すみません、少しモフってもらわせても、かまいませんか?」


 突然の大声に気を取られ、土手の下へ首を向ける。

 見れば一人の女の子が、河川敷を散歩中の犬と飼い主を前に、両手を合わせて拝み倒して懇願していた。

 犬は大きなシベリアンハスキー犬で、確かに男前だし、毛並みも良い。


「ごめんなさい、うちの子、人見知りするの」

「グルルルルルル……」


 あっさりとやんわりと、完全に拒否られていた。

 哀れ。

 うちの学校の女子かな、あの制服は。


「残念! じゃあ今日は失礼します! 次に会うときはお友だちになれますように!」


 元気よく叫んで、制服女子は河川敷を猛ダッシュして行った。

 あ、ちらっとパンツ見えた、定番の白か。

 青く澄み渡る空、咲き誇る満開のピンクの桜、そして輝ける白いパンツ……。

 春って、素晴らしいな。

 瞼に焼き付け堪能し、脳内ストレージの「いつでも思い出せるフォルダ」に保存。

 俺も同じ道を自転車で進む。

 女の子の脚が凄まじく速いせいで、距離は縮まらなかった。

 桜吹雪を置き去りにする彼女の背中をのんびり眺めながら、俺は急ぐでもなく悠々と学校へ向かった。


「喜べクソガキどもぉ。今日から新メンバーが加入するぞぉ」


 朝のホームルーム。

 博学才穎品行方正にして絶世の美女である俺たちの担任、道立A西高教諭であらせられる梅子先生――自己紹介で実際にそう主張していた――が、唐突にそう言った。

 俺がいつものように遅刻ギリギリでも怒らなかったのは、先生も新しい刺激に浮ついてたからだろうか。

 ちなみに梅子先生はあまりにも高貴な生まれ育ちのために、下界の男どもはビビッて寄って来ないため、彼氏いない歴≒年齢なのだそうだ。

 残念極まる担任はいいとして。

 ずいぶんと変わった時期に転入生が来るんだな、ご家族はずいぶんと慌ただしかっただろう、と俺は要らぬ心配を抱いて先生の話を聞いていた。


「では、みんなに紹介するので早速入ってくれたまえよぅ。水守さん、どーぞぉ」


 梅子先生が教室のドア方向に呼びかけて促す。

 しかし、返事はなかった。


「あれぇ? さっきまでそこにいたのになぁ……お花を摘みに行ったのかしらん?」


 訝しがりながら廊下を確認に出た梅子先生だったけれど。


「私の赤ちゃんを、返してェ~~~……」

「ギャーーーーーーーーッ! うおぉびっびったぁざっけんなマジぶっ殺す!?」


 ドア横の奥から突如現れたのは、制服姿のお化け。

 驚きの絶叫とともに梅子先生は、教室の真反対側、窓際までマッハで逃げてしまった。

 お化けと言っても、制服姿の女子高生が自分の長い前髪を顔面の前に全部降ろして、幽霊ポーズを取っているだけなのだが。

 突然の不測事態に震えた鹿みたいになった梅子先生。

 それを完全に無視し、お化けは前髪をスッと掻き分け、自分の顔を開帳する。

 黒髪ロングストレートがよくお似合いの、真っ当な女子高生がそこにいるだけだった。

 そのまま黒板の前に歩み出て、カカカカッと素早くチョークで自分の名前を書いた。


「水守さくらと言います。あっちの方から来ました」


 彼女、水守が指差した窓の外は、方角的に南西であった。

 北海道の内陸から見れば、日本全国たいていの場所は南西に位置する。


「変な女が来たぞ……」

「ヤベーやつだ」

「顔はまあまあ可愛いのに……」

「天然?」

「いや、さすがにキャラ作ってるでしょ」

「多様性の時代だな」


 なんとも言えない空気とどよめき声に充満した教室で、水守ただ一人が爽やかに笑って、言った。


「これからみなさんと毎日、楽しい学校生活を送れたらなと思います。どうかよろしくお願いします」


 そこだけ聞くとまともでしかない挨拶とともに、ペコリと頭を下げ、水守は。


「それはともかく、少し体調がすぐれないので、保健室に行ってきます」


 そう言い残し、その日の授業をすべて保健室で爆睡して、ブッチした。


「え、えぇーー……?」


 泣きそうな顔で戸惑っている梅子先生を、誰もフォローしなかった。

 とは言え転校初日で体調不良も、由々しき事態には違いない。

 心配して昼休みに様子を見に行った、真面目系保健委員の女の子は。


「み、水守さん、悪い人じゃないと思う。ちょっと、北海道はまだ慣れてないから、緊張してるだけじゃないかな……」


 なぜか顔を上気させ、髪も少し乱して、そう弁護した。

 首元のリボンタイがそれまでより少し緩んでいたことも、俺の観察力は見逃さなかった。

 なにを、なにをされたんだ!? 保健室でなにが起こったんだ!?


「や、やっぱ、ヤベーやつだな……」

「ああ……」


 何人かの男子も妄想に顔を赤くして、そう口にした。

 俺も完全に同意して頷きを繰り返した。

 不思議な空気のまま俺たち1年3組一同はその日の教科を過ごし、けれどそれ以上はなにも起きずに帰りのホームルームを迎える。


「明日からまた連休だけどさぁ。先生はもちろん休日も働いてるんだよぉ。あんまり腑抜けたツラを見せて登校しやがったら、内申がどうなるかは覚悟しておくんだねぇ」


 などと最低に気が滅入る訓戒を梅子先生からもらう。


「さて帰るべ帰るべ。腹減ったな。ラーメン食ってく?」


 荷物をまとめ、同じ中学からの面子にそう声をかけたとき。

 

「ちょいとお待ちぃ」


 梅子先生に呼び止められた。


「なんすか? 男なら紹介しませんよ? 俺も先生と付き合うのは嫌ですごめんなさい」

「ぶっ飛ばすぞぅクソガキィ。そうじゃなくてぇ、B川の河川敷はクマが出たから警戒中で通れないよぅ。他の道から気をつけて帰りなさいぃ」


 梅子先生は身長150cmの丸顔なので、凄まれてもまったく怖くはないのである。

 って先生の顔なんかより、おいマジか。

 俺の家に帰るためにはそこが最短ルートなんだけどな。

 ん?

 河川敷をヒグマが闊歩している、と言うことは。


「転校生の水守さんにも注意しといた方がいいんじゃないすか。あの子、そこ通って朝も来てましたよ」

 

 俺がそうアドバイスすると梅子先生は血相を変えた。


「先に言ってくれよぉ~~ぅ! 水守さん、もう帰らせちゃったじゃないかぁ!? 早く追いかけろチャリンコ小僧どもぉ!!」

「えぇー……」


 はいゴーゴーゴーと急き立てられて、俺を含む帰り道が同じ面々は駐輪場の自転車に跨り、出発した。


「水守さん、一人で迷わないで帰れるのかな」

「普通は初日って親とか、いるんじゃねーの?」

「わかんね、俺、転校したことねーし」


 などと俺たちは口々に話し合いながら、水守さんの下校経路を推測しつつ走る。

 彼女は通学時も一人だったので、帰りも一人で行動しているんじゃないかと俺は思うのだが。


「あれじゃない?」


 一人が自転車を停めて、ある方向を指で示す。

 そこには国道の橋から河川敷の土手側へ歩行者や自転車が進入できる小道がある。

 けれど「ヒグマ出没警戒中」という立札が設置されてあり、黄色と黒の虎テープで通路の入り口は封印されていた。

 ヒグマの絵が描かれた看板の前で、水守さくらは長い髪を春の風にはためかせ、仁王立ちして腕を組んでいた。

 なんとなく、仲間たちのぬるい視線を感じた俺。


「あの、水守、サン?」


 不本意にもファーストコンタクトを試みることになった。


「どーも。水守さくらです。いきなり声をかけて来ると言うことは、自衛隊の勧誘ですか?」

「どんなイメージを自衛隊に持ってるんだよ」


 やはり一筋縄ではいかない子のようだった。


「心身ともに健康な若者を、手段を問わず略取、いえ高待遇好条件をエサに誘き寄せる組織かと」

「多分そのノリ、90年代くらいで終わったから……」


 昔はマジで、人攫いみたいなこともやってたみたいだけどな。


「そうですか、残念。興味あったんですけど」


 あったのかよ。

 いかんいかん、奇女のペースに巻き込まれるな。


「えーと俺、クラスメイトの杉っていうんだ。そんで見た通り、クマが出てこの辺、危ないからさ。一人で河川敷とかは歩かないでくれって、先生も言ってたよ」


 俺の説明に納得したのかしてないのか。

 水守はちょっと可愛げのあるクマのイラストを一瞥し、こう呟いた。


「日本最強の獣を倒せば、すなわち私が日本一位ということですね?」

「なにを狙ってんだよ。本州の人がお花畑で想像するより、ヒグマは百倍千倍ヤバい生きモンだから、変な考えは捨ててね」


 体重200kgを超えるフィジカル、分厚い毛皮と筋肉を前にして、武器を持たない人間のどんな攻撃も有効ではないのだ。


「あ、本州民差別。みんながみんな六本木のタワマンから、自分に微塵も関係ないクマの出る自治体にクレームの電話してると思ったら大間違いですよ。私だってヒグマのことはネット百科事典とか動画サイトで勉強したから詳しいんです」

「それ勉強したって言わねんだワ。めんどくせえなこいつ……」


 俺がうんざりしているのをよそに、水守は事情を聞き分けたらしい。

 踵を返して警戒テープから離れ、ぺこりと俺たちにお辞儀する。


「北海道に引っ越してきたんだなって実感が湧きました。ご心配ありがとうございます、名前も知らないモブの人」

「さっき自己紹介しただろ。クマに夢中でまるで興味なしかい」

「まあ、割と」

「認めちゃったよ」


 ヒグマよりも注目を浴びられる自信は確かにないけどな。

 ひとまず無事に水守を回収した我らが一行。

 微妙な距離感で彼女を囲みながら、のんびりと自転車を押して地元住宅地を歩く。


「ね、ねえ水守さんって、どこから来たの?」

 

 一人が果敢にコミュニケーションを図ろうと質問を投げかける。


「遠く……遥か西、海と山々の向こうです。日の没する古き都から、日のいずるこの新天地に降り立ちました」

「小野妹子かよ。道外から来たなら誰だって海の向こうだわ」

「鋭い返しですね。1さくらポイントを進呈しましょう」


 そう言って、水守は俺の掌に一枚の桜の花弁を握らせた。

 手が触れてちょっとドキッとしちゃったのは、全力の無表情で誤魔化すものとする。


「集めるとなにか特典があるのか?」

「100ポイント到達で、自転車のチェーンが外れにくくなります」

「限定的過ぎるし遠いわ。普通にチャリ屋に行くっつうの」


 反射的に返してしまったが、すぐに俺ははっと気付いて考え込む。

 こいつ、朝の河川敷で俺の自転車のチェーンが外れて往生してたことを認識している……?

 不満を述べた俺に対し、水守は片眉を吊り上げて言った。


「なら10ポイント集めるだけで、その日の夕飯が大好物になります。頑張って集めてください」

「そっちの方がよっぽど実用的だな……」


 などと他愛もない会話をみんなと交わし、青春に見えなくもない下校の時間を過ごし、めいめいの家に帰った。

 どうやら水守は奈良県出身らしいともわかった。

 丁寧語の中に若干の訛りがあるのはそのためか。


「結構、話しやすい人だね」

「悪い子じゃなさそうだよな」


 地元仲間のうち何人かは、早くも水守に籠絡されつつあった。

 変人に取り込まれて一度しかない青春をワヤなことにしないように、友人としては願うのみだ。


「たでーま」


 やれやれ、なんか妙に疲れたと思い、家の玄関をくぐる俺。

 鼻孔をくすぐる、スパイシーな香りに真っ先に気付いた。


「お帰り。今日はカツカレーだよ。スーパーの惣菜が安かったからさ。テツとお父さんは二枚食べていいよ」

「マジかよやった!」


 母ちゃんの言葉にグッとガッツポーズした俺。

 手に握ったままの桜の花びらに気付き、一人言をこぼす。


「10枚集まらなくても叶っちまったよ。さくらポイントも適当だな」


 けれど素直に喜びながら居間に入ると、母ちゃんが俺の背中を見て呆れたように言った。


「あんたなにさ、制服にそったら桜の花くっつけて。遠山の金さん?」

「え?」


 指定服である紺のブレザーを脱ぐ。

 背中一面に、まるでだれかに押し付けられくっつけられたように散りばめられた、桜の花弁。

 数えるまでもなく9枚、渡された分と合わせるとちょうど10枚だった。


「10さくらポイントで、好きな食べ物……」


 ざわついた感情を胸に覚えながらも、俺はカツカレーが美味かったので考えるのをやめた。

 その夜、就寝前。


「ほら、エサだぞ俺の可愛い天使ちゃん」

 

 俺は役目を終えた10さくらポイントの花びらを、飼育ケースの中でのしのし歩いているカタツムリの「ミニー」へ給仕した。

 きっと明日の朝、ケースの中にはピンク色のウンコが転がっていることだろう。

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