いっそゼロになる駆け引きを
梦
第1話
いっその事、全て燃え尽きてしまえと思った。
僕に居場所は存在しない。どこに行っても僕は一人。そう、思い込んでいた。
——凪が現れるまでは。
最初はただのクラスメイトだと思っていた。
でも、会話を重ねていくうちに、そうではないと気づいた。
凪の家族はどうも上手くいっていないらしい。
絶えない両親の怒号、凪に向けられない視線。
家に存在しない、彼の居場所……
聞いた瞬間、胸の中の何かが蠢いた。
運命を感じた。
僕が凪を助けなければいけない。
そう感じ、そう信じた。
すぐ行動に移した。まずは、凪の大切な存在になる必要がある。それ即ち恋人だ。
告白をした。
凪は戸惑った。
当たり前だ。
凪は僕らの関係を「親友」と呼んでいた。親友と恋人は、似ているようで対極に位置する。
親友が恋人になろうだなんて、不可能に近い。
この告白は正直、博打だ。派手に転ぶ可能性は十分ある。
……さあ、どうだ。
**
結論から言うと、呆気なく交際が始まった。
凪は親友だと言いつつも、ちょっとした下心を抱いていたらしい。願ったり叶ったりだ。
ただ、付き合ってからなんの進展もなかった。
いつも通り遊びに行き、程々に遊んで夕方には解散。そんな日々が続いた。
ある放課後に痺れを切らして、
「僕らは付き合っているんだろ?なのに、恋人らしいことを全くしないじゃないか。」
そう問いただした。
彼は
「僕はこうしていられるだけで充分なんだ。充分、幸せなんだ。」
嗚呼、こいつはなんて純粋で、無垢なやつなんだと思った。
「ハグやキスをしたいとは思わないのか?」
彼は視線を下に落とし、穏やかに語った。
「思うよ……ただ、僕らにはまだ早いさ。ゆっくり、じっくり関係を育んでいこう。何時かその日が来た時に、僕は行動に移すよ。」
僕は耐え難いもどかしさに襲われた。
よくもまぁ、あんな家庭環境の中でこんな天使が生まれたものだ。
僕はこの感情に負け、そっと唇を重ねた。
誰もいない放課後の教室。
夕焼けだけが教室を照らす。
瞬間、凪の体は夕日よりも真っ赤に染った。
「え、な…」
口をパクパク動かし、目はじっと僕を見つめている。なんだか、魚見たい。
「はは。今のその顔、すごく滑稽だ。可愛いね。誰にも見せちゃダメだよ。」
「……こんな顔、君以外に見せる予定なんてないから。」
ああ、愛らしい。君はこのまま、何も穢れを知らず、無知なままでいて欲しい。
その光で皮膚がただれ落ちるほど、浴びていたい。
***
しばらくの間は背伸びして、時には足踏みしつつ、関係は穏やかに進んで行った。
関係が進むにつれ、凪は家族の愚痴をこぼす回数が増えていった。
「家にいると、安心できない。」
「海とずっと一緒にいたい。」
「海の声は安心するな。」
「海とずーっと一緒にいられたらいいのに。」
何とか凪の願いを、全て叶えてやりたかった。
——願いを叶えるのに、凪の両親の存在は大きな障害だった。
僕ら二人だけの世界に、あんたらはいらない。
ふと気になった。凪は家族を愛しているのだろうか。障害だと思ってるのは、僕だけなのか?
いやにその考えが反芻して、凪に電話をかけた。
「もしもし?こんな遅くにどうしたの?」
「凪は両親のこと、好き?」
「……急だね。どうして?」
「深い意味は無いよ。」
「へんなの。」
「で、好きなの?」
「……好き…ではないのかもしれない。分からない。」
「へぇ、そっか…わかった。」
「……何か魂胆、あるでしょ?」
「……なんで?」
「勘でわかるよ。それに僕、君の恋人だし。」
「そうなんだ…すごいね」
「……で、魂胆は?」
「言わなきゃダメ?」
「勿論。」
「……」
「凪が、両親から離れたそうなことをよく言ってるから、手助け…したいなって」
「手助けって何を?」
「……分からない、」
あーあ。言うつもり無かったのに…
「へぇ〜…」
「…なんだよ」
「僕のこと考えてくれてるんだな、って」
「……僕に何を手伝ってくれるの?」
「凪が望むならなんでも手伝うさ。」
「そう……」
暫く凪は黙り込んだ。それはそれは長い間、黙り込んだ。電話からノイズだけが流れる。
「ねぇ…手助けってなんでも?」
凪はノイズに紛れるほど小さい声でそう聞いた。
「うん。なんでも。」
「じゃあ……親から離れたいって言ったら?」
「勿論、手伝うよ。」
「僕は、何をしたらいい?」
「家出をする時に、そばにいて欲しい。」
「……その程度でいいの?」
あまりの簡単さに、拍子抜けした。凪のためなら濡れ衣でさえ着る覚悟でいたというのに。
「その程度って言われても……僕からしたら、これ以上ない願いだよ?」
……そんなはずない。凪は、両親のことが嫌いだ。嫌いな人は、いない方がいいだろ?
「本当に、そばにいるだけでいいの?」
「……え?どういうこと?」
「家出は、何時かは必ず家に戻ってしまうだろ?」
「まぁ、そうなるね。」
「……二度と両親に会わなくて済む方法があったら、凪はどうする?」
「きっと……それを選ぶと思う。」
「それが、あるとしたら?」
「……それを…選ぶ」
やっぱり。君は…凪は、両親が嫌いで、呪縛から放たれたいんだ。
君がそう考えるなら、僕は従うだけだ。
「今から計画するものは、言わば駆け引きだ。」
「成功したら、君は二度と両親に合わなくて済む。」
「……失敗したら?」
「全てが終わる。」
「全てって?」
「言葉のままさ。僕らの人生何もかも。」
「この駆け引きをするなら、後戻りはできない。それでも、凪はやりたい?」
「……」
「やりたい、」
「僕は、何もない。どうせ何もないこの人生だ。いっそゼロになる駆け引きに出たって、後悔はないよ。」
「じゃ、決まりだね。」
「……具体的に、何をするの?」
「…両親の、息の根を止める」
「え……?」
「そうすれば、両親と二度と会う必要はない。だろ?」
「そう……だね」
「……両親に未練でもあった?」
「どうして?」
「即答しないから。」
「いや…両親に未練はないよ。」
「犯罪者になるのが、怖いだけ。」
「大丈夫。僕がいるから。」
「罪に問われても、最悪の結末が待っていても、僕が隣にいる。」
「そっか……君が、隣にいるのか…」
「うん。凪が望む限り、永遠に。」
「海がいるなら、安心できるや。」
「どうやって、僕の両親を殺すの?」
「二人で考えようよ。」
「日にちはどうしようか」
「二人ともいる休日の方が……」
「いいね、それじゃ……」
作戦会議という名の寝落ち通話は、日にちが回るまで続いた。話す内容とは対極に、笑い声が部屋に響いた。まるで、修学旅行の夜みたいだった。
***
今日は決行日。心はやけに落ち着いている。
僕らは外から、部屋の電気が消えるのを待つ。
外は真っ暗闇だ。僕らの存在に気づくことはない。
「もうそろそろ、時間だ。」
「……そう、だね。」
「凪、緊張してる?」
「そりゃ、緊張するよ。」
「武者震い?それとも、怖い?」
「どっちだろう…わかんないや。」
「武者震いってことにしておこうかな。」
——パチッ。
部屋の電気が消えた。ついに、決行するんだ。決行、してしまうんだ。
隣を見た。凪は、大きな深呼吸をした。
「じゃあ、入ろうか。」
「……」
「凪、どうしたの?」
「ふふ、なんだか、結婚式みたいだね。」
「結婚式?」
「うん。だって、僕らは恋人同士、これから扉をくぐって僕らの永遠を誓う。でしょ?」
「じゃあ、入場しよっか。」
凪と腕を組んで一歩ずつ、確実に歩みを進める。
静かに、静かに扉を開ける。
散乱した服や壊れた家具が僕らを出迎えた。今日の参列者だ。
「ねぇ海。結婚式って何するんだろう?」
「かしこまらなくていいよ、凪。僕らだけの結婚式にすればいいんだから。」
「そっか…」
「初めは誓いの言葉…かな。」
「辞める時も、健やかなる時も、互いを信じ、支え合うことを誓いますか?」
「誓います。」
「誓います。」
「次は……誓いのキス?」
「多分?」
「じゃあ、キスしよっか。」
「待って。」
「どうしたの?」
「誓いのキスは、ヴェールが必要じゃない?」
「向こうにカーテンがある。それをヴェールに見立てよう?」
「そうだね。そうしよう、凪。」
カーテンのあるところに向かって、凪が目を瞑る。
嗚呼、この子は今、僕に全てを委ねているんだな。
……初めはキスしただけで、あんなに真っ赤になってた凪が自分から催促するだなんて、想像もつかなかった。
僕が、凪を変えてしまったんだな。
「……早くして」
「あ、ごめん…」
ヴェールを外し、そっと口を重ねる。初めの初々しいキスじゃない。重くて、責任感のあるキス。
「次、なんだろ…」
「ケーキ入刀じゃない?」
「ケーキか…」
「ねぇ、ちょっとまっててよ。」
凪が少し離れたかと思うと大きな白いタオルを持ってきた。
「これを被せたら、ケーキらしくなるかな?」
「凪、頭いいじゃん。」
白いタオルをバサッとかける。見栄えはマシになったけど、なにか物足りない。
「…赤いタオルある?」
「あるけど、なんで?」
「ケーキにいちごは必要でしょ?」
「そっか。持ってくるね。」
小走りで凪が赤いタオルを持ってきた。
タオルを小さく丸めてケーキに乗せる。準備が出来た。
「凪、いい?」
「いいよ。入刀、しよう。」
「初めての共同作業、頑張ろうね。」
ナイフを二人で持ち、ケーキに刺した。
白いタオルが赤く染まる。
「ぅぐ!……」
真っ赤なケーキから、声が漏れた。
「ウェディングケーキから声がしたね。」
「そうだね、変なケーキ。」
「あ、そうだ。もうひとつのケーキも、やらないとね。」
「両方ショートケーキじゃないとダメかな?」
「そんなことないと思うよ。もう一つはチョコケーキにしよっか。」
「いいね。茶色いタオル、持ってくる。」
凪が大きめの茶色いタオルを持ってきた。
「大きいタオルでも、ちょっとはみ出ちゃうね。」
「まぁ、いいじゃん。僕らの結婚式は、自由なんだから。」
「それもそっか。」
「じゃあ、入刀しようか。」
二度目の共同作業。
茶色いタオルに、赤黒いシミが大きく広がる。
声は、出ない。
「食べあいっこは…しなくていいよね。」
「うん。したくないもん。」
「結婚式って、これ以外何するっけ?」
「分からない。これでいいんじゃない?凪。」
「じゃあ、これで僕らの結婚式はお終いだね。」
「これから、どうしようか。」
「とりあえず、逃げる?」
「……」
「どうしたの?凪」
「ねぇ、踊ろうよ。」
「なんで?」
「結婚式といえば、舞踏会じゃない?」
「そうだっけ?」
「なんでもいいじゃない。とにかく僕は、今踊りたいんだよ。」
「しょうがないな。僕の新郎はわがままだ。」
「ところで、踊れるの?」
「踊れない。」
「……」
「曲、かけるよ!」
スマホからは、死の舞踏が流れる。嗚呼、なんて優雅なんだ。不気味なまでに美しく、低音のヴァイオリンの音色が心地いい。
「ほら、僕の手を取って。」
「エスコートしてね。僕の旦那様?」
「勿論。」
凪の手を取り、曲の音に合わせて足を動かす。
「……僕も凪も、おぼつかないね。」
「うん……でも、楽しい。こんなに楽しい夜は、初めてだ。」
ああ、こんな夜には、凪にドレスが必要だ。
ドレス…カーテンがあるな。どうせ使わない家だ。何したって構わないはず。
「凪、ドレス欲しくない?」
「そうだね。きっと、ある方が華やかになる。」
ブチッと黒いカーテンを引きちぎる。
満月の光が僕らを照らす。
「凪、君のドレスだよ。」
漆黒のドレスを凪に着せる。
「……綺麗なドレスだね。」
凪は、艶やかに笑った。月夜に照らされて、一等綺麗だ…
「ね、足、止まってるよ。もしかして、僕に見惚れた?」
「……うん。凪、綺麗。」
月光に照らされて普段とは違った凪。ウェディングドレスを身にまとい、顔には笑みを浮かべていて、僕のエスコートを待つ。
僕だけが知っている、凪。
「海も綺麗だよ。」
「さ。踊ろう。夜はまだ長いよ?」
「……そうだね。踊ろう、凪。」
おぼつかないなりに足を動かす。
凪が少し不安げに見えた。
「凪、何か不安なことでもある?」
「……幸せすぎて、不安なんだ。」
「こんな僕が、幸せになっていいのか、って。」
「そんなの、気にしなくていいんだよ。」
「僕たちは今、世界で一番幸せなんだ。」
そっと、凪にキスをする。
凪から不安げな表情は消えた。
二人だけの舞踏会は、綺麗とはお世辞にも言えないものだった。
「曲、終わっちゃったね。もう、逃げる?」
「まだこのままでいたかったけど……それもそうだね。」
こうして、僕らのぐだぐだな結婚式は幕を閉じた。
***
その後、僕らは走った。
行先もわからぬまま、無邪気な子犬のように走った。
「凪、楽しいね」
「ただ走ってるだけなのに、どうしてこんなワクワクするんだろう!」
「奇遇だね。僕も、すっごく興奮してる。」
ふと、顔を上げた。
夜空がやけに綺麗に見える。
夜の冷たい風。
煌びやかな星の輝き。
異常なまでの静けさ。
そのどれもが、僕らの門出を祝福してるようだった。
いっそゼロになる駆け引きを 梦 @yumechoco48
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