第二章 塗り替えられた神話

30年 邂逅

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 ……30


 視界に映る数字が数を減らし、やがて30で止まると消えた。

 そして気がつくと見慣れない光景が視界を占領していた。

 赤褐色の地面の上に立ち並ぶ白い石造りの家と緑のオリーブのような木が織りなす光景は調和が取れている。

 先ほどまで部屋にいたのに広がる異質な光景。

 もしかして異世界にきてしまったのだろうか?


「ここは……どこだ……?」


 ここの住民と思われる人々の布切れのような服装を見るに、あまり文明が発達してないようだが、それだけでは判断材料が少ない。

 ここは会話を試みるべきか。だが言葉は通じないだろう。

 それに自分はコミュニケーションが何より苦手だ。

 誰かに話しかけるなんて無理だ……

 あれこれ悩んでいると、ヒスイが近くにいる若い男に話しかけた。どうやらヒスイも一緒に飛ばされたらしい。


「あのーすみません。ここってどこですか?」


 伝わるわけがない、そう思ったが……


「ここはエルサレム。ローマの属州さ」


 自分にも分かる言語で気さくに答えてくれた。何故言語が通じるのか……?

 とりあえず言語が通じてよかったがエルサレム……自分は先ほどまで家にいたのにエルサレムとやらにワープしたとでも言うのか。いや、ローマの属州ということは……


「ここは……古代ローマだ」

「古代……ローマ? 過去の世界だというの? え? 嘘でしょ?」


 そう、今から約2000年前の世界、古代ローマ。ローマの属州というキーワードと眼前の光景を考えるとそう納得した。


「そう考えるしかない。しかしまさか過去に飛ばされるとは……俺は平穏な毎日を楽しみたかったのに」


 起伏のない毎日が理想だった。こんな過去世界へ飛ぶ権利なんて必要ない。

 帰りたい。でもどうやって?


 少しすると槍を持った兵士のような男が話しかけてきた。


「む? お前たち東の漢の者か? ……いや、服装が違うな。隷属民か。まあ我々ローマ市民に税を払うならどうでもいいがな」


 いかにも感じの悪い男だ。不愉快だが相手をしても仕方ない。

 自分はそう割り切って生きることに慣れていた。しかしヒスイは対抗心を剥き出しにして突っかかる。


「むぅ~、なによ! その税で豊かな生活してるくせに!」


 この娘は……もしあの槍で刺されたらどうするんだ?


「何言ってるんだ、ローマの平和のために闘う我々に隷属民が尽くすのは当然だろ?」


 男は心底不思議そうに尋ねる。


「その隷属民のおかげで豊かな生活をしているのになんでそんな偉そうなのよ!」


 確かにローマ兵は属州からの税の取り立てで生活している。度重なる領土拡大の結果穀物も不足し、それが重い税になっている。


「なんだと? お前は隷属民の癖にいい服を着てるな。それを脱いで寄越せ。ストリップショーの開幕だ」

「な、なんですって!」

「はは、冗談だ。まあ俺は寛大だからな、大目に見てやる」

「なに上から目線なのよ!」

 

 自分は相手に敵意はないと判断した。


「落ち着けヒスイ。危害を加える気はないみたいだし」


 なお不満げなヒスイを後ろから抱え、引きずって退却する。深呼吸をさせ、少し冷静さを取り戻したヒスイがぽつりと語る。


「隷属民に申し訳ないとか思わないのかしら? 同じ人間なのに……」

「昔と今じゃ価値観も違うだろ? 仕方ないさ」


 こうしてヒスイが周りの人と会話をする、自分が知識を使うという役割分担が生まれる事になる。

 会話を代わってもらえるのは非常に助かる。何より苦手なことだからだ。


 そこへ割るように女性の声が入る。


「あああ、なんと感謝を申し上げれば良いか……! ありがとうございます、ありがとうございます……」


 お礼の言葉を浴びる一人の男が平然と言い放つ。


「大した事してねーよ。ただこの子の血が止まるようにしただけさ」

「貴重な布を裂いてまで……ありがとうございます……」


 何事か、と覗くと一人の男が自らの衣服を破り子供の傷口に巻いて、血を止めてあげたようだ。


「気にすんなって! 困ってるレディを放っておけないからな」


 男は長い、栗色の髪をなびかせ、思わず釣られて笑いそうになるような明るい笑みを浮かべていた。


「へぇ、古代ローマにも見上げた人がいるもんだな」 

「ほんと。いつの時代も良識のある人がいるものね」


 二人で話していると、男の前をほっそりとした男が通りすぎようとし……転ぶ。枯れ木を思わせるその身は栄養失調なのだろうか。


 なんとなくこの細い男はなにやら恵んで貰えると思ってわざと前を通り、転んだのだろうな、と思った。


 しかし男は悲しそうな表情を一瞬だか浮かべると歩み寄り、懐からパンを取り出すと、それをちぎり分けてやった。

 ほっそりとした男は何度も感謝の言葉を告げ、ゆっくりと口に含み、やがて勢いを増して貪るようにパンを食べていく。


「はは、うめーだろ!」

「このご恩は忘れません……!」

「大袈裟だなぁ」


 ここエルサレムは属州だけあって税の取り立てが激しいのか、貧困層が多いようだった。

 彼のひたむきな尽くしっぷりに感銘を受けていると、目が合い話しかけられる。


「ん? この辺じゃ見ない格好をしてるな。どこから来たんだ?」


 ヒスイが男に疑問を投げかける。


「ねぇ、なんでそこまで人に尽くせるの? 確かに貧しい人たちは気の毒だけど」


 男は空を眺め、いや、見据えるように、決意を秘めた眼差しでこう語った。


「オレは信じているんだ。いつか弱者が救われる世界が来るとな」


 ただ悲しいかな、それは2000年経っても実現してるとは言い難い。


「ねぇ、あなたの名前を教えてくれる?」

「オレの名はヨシュア! オレは思うんだ、人は人や動物、植物、物のことまで思いやれる素晴らしい生命だ。なんて偉大なんだろう……とな。

 だからその思いやりの幅を同じ宗教、同じ地位、同じ国……なんて括りにしねーでただ近くの人に当てはめればいいと思うんだ」


 古代ローマにもこんな思想家がいることに驚く。

 男、いやヨシュアは口調とは裏腹に思慮深いようだった。

 なかなかにスケールの大きな話をしているが彼を笑うことは出来ない。


「前向きなのね、ヨシュアさんは」

「前向き、ね……よく言われるぜ! じゃーな!」


 ヨシュアはそういい去っていく。自分とヒスイがその姿を見送っていると、後ろから声をかけられる。


「お二方」


 振り返ると声も姿も細い男が立っていた。


「ん、呼んだ?」

「あの方はあまりにも優しいのです。……そう、お優しい……」

「……?」


 疑問符を浮かべる自分達になおも細い男は続ける。


「あの方の考えは現実性に欠けている……そしてあの方までも傷つける……だから……私は……」

「ちょっと待って、あなたは何者なの?」


 しかし男は去ってしまう。

 ヨシュアは振り返り、戻ってきて言う。


「そうだ、お前達旅人だろ? 今日はオレの家に泊まっていけよ! 旅の話を聞かせてくれ!」


 自分達はありがたく泊めてもらうことにする。

 今日のところはひとまず羽を伸ばせそうだ。



 ──夜


「で、お前らどっから来たんだ?」


 ヨシュアは興味津々の様子だった。この時代は海外旅行も難しい、俺たちのようなアジア人は珍しいのだろう。


「えーと、私たちは東の果てから旅してるの」

「へぇ、東かぁー! いつか行ってみてえな……飯食ってけ!」

「あ、ありがと……」


 そう言って出されたのは少量の粗末なパンだったが、彼なりの気遣いのおかげでありつけるのだ、そう感謝して頂こうと思った時……


「今このパンを粗末だと思っただろ? 俺もそう思う。だが悲しいことに、このパンを食べることすらできないヤツがたくさんいるんだ」


 見透かされ、ハッとしてヨシュアを見ると涙を流していた。


「アイツらはな、産まれた時から飯も満足に食えねえのに、これからも税を払うために我慢して働かなきゃいけないんだ。

 なんて不平等なんだろうな? 俺は金もなければ力も学識もない……ただアイツらに寄り添ってあげる。それしか出来ないんだ」

「ヨシュア……」

「だからいつか、産まれてから死ぬまでみんなが仲良く安心して腹一杯食える世界になればいいな、と思ってるんだ」


 これまた2000年後の現代にまで残されている大きな課題だ。

 ただヨシュアのスケールの大きさには考えさせられる物があった。


「あぁ、わりぃなこんな話ばかりして。せっかくの旅の途中なんだから楽しんでってくれ。なんならオレ特製スープも出すからよ」


 それはなんだか気が引けて断った。ただヨシュアとの語らい……と言っても自分はほぼ聞くだけであったが、この時間はとても充実したものだった。


「そう言うわけで神様は罰ばかり与えるってみんな思ってるがオレの考える神様はもっと優しいんだ」

「なるほどね……確かに前向きな考えね」

「だろ! それに俺はさ、いつか全世界の人々が手を取り合えたらいいなと思う……お前はどう思う?」

「えっ? あ、その、いつか叶うんじゃないかなあと……」

「そうかそうか。いつか叶うかもしれないんだな……」


 ヨシュアは満足げに笑みを浮かべると、眠ってしまった。幸せそうに眠る彼を見て、俺たちも寝ることにする。


「ヨシュア……立派な人ね」

「そうだな、時の権力者がヨシュアならなぁ……まあとりあえずおやすみ」

「おやすみ……」


 そして自分は眠りについた。

 今思うとそれが束の間の平穏であった。

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