シャンデリア

十二水明

シャンデリア

 八年前に亡くなった祖母は、私のことをとても可愛がってくれていた。祖母は認知症で、両親や近所の人の名前を呼び間違える、物忘れが激しい、といった症状があった。けれども、唯一の孫である私のことだけは、きちんと「ひろちゃん」と呼び、間違えることはなかった。

 両親が共働きだったので、私は祖母と過ごすことが多かった。そのため、祖母との思い出は数多くあるのだが、中でも群を抜いて鮮明なのは、やはり「シャンデリア」についてだろう。

 ただし、それは楽しい、あるいは美しいものではなかった。むしろ、蜜柑の果皮のようにひどく苦いものである。



 その頃、私はまだ小学生だった。私は、祖父母が結婚したときに建てたという、築五十年ほどの二階建ての一軒家で、両親と祖母と暮らしていた。祖父は、私が二歳の頃に病気で亡くなっていた。

 十畳の茶の間には、液晶テレビが部屋の角と直角二等辺三角形を作るように置かれていて、部屋の中央には木製の長方形の座卓があった。寒い時期になると、その座卓は専用の布団を天板と足の間にかけられて炬燵になった。

 冬になると、卓上に置かれた菓子鉢──普段は私のために用意したお菓子が山盛りになっていた──は祖母の好物の蜜柑に占拠された。

 祖母は炬燵のテレビが見える位置にちんまりと座って、私のためにそれをむいてくれた。祖母は様々なむき方を知っていたが、中でも「シャンデリア」が幼い私のお気に入りだった。どうやるかというと、まず、ヘタを中心に五百円玉より少し大きい程度の皮を残し、残りは全てむいてしまう。次に、ヘタを下に向けて卓に置く。そして、一房ずつ、ヘタとつながった白い筋を房の下の方から中ほどまではがしていく。すると、残しておいた皮のふちから、白い筋でヘタとつながった半月型の房が、弦の方を外側に向けて垂れ下がるような恰好になる。全ての房がその状態になったら、完成である。

 祖母は昔お針子だったこともあってか手先が器用で、皺が刻まれ、節くれだった指を意外なほど繊細に動かして、美しいシャンデリアを作ってみせた。私は、祖母が房から白い筋をそうっとはがしているのを見るのが好きだった。その時の真剣な横顔は、その時期の朝の空気のように凛としていて、普段の、ぼんやりとした笑みを浮かべてただ座っている祖母とは別人のようだった。祖母のその顔が見たくて、私は毎日といってもいいほど頻繁に、蜜柑をむいてほしいとせがんだ。祖母はそのたびに、「ひろちゃんは甘えん坊だねえ」と嬉しそうに言ったものだった。


 それは、十一月上旬の寒い日だった。前日は小春日和だったのに急に冷え込んで、空はのっぺりした薄い灰色で塗られ、弱々しい光が全体から漏れていた。学校から帰ると、祖母はいつものように炬燵に入って、テレビの時代劇を見ていた。

 私は、その猫背ぎみな小さい背中に向かって呼びかけた。

「ただいま、おばあちゃん」

 祖母は私の声に気づいてゆっくり振り返った。

 そして、微笑んでこう言ったのだ。

「ああ、アケミ。おかえりなさい。学校はどうだった?」


 その瞬間、世界が凍り付いた。


「アケミ」というのは私の伯母の名前だった。口調も、いつも私に向けるものとは違って、まるで母が私に話しかけるときのようだった。

 きっと祖母は、まだ叔母が小学生だった頃のつもりになっていたのだろう、というのは今だから落ち着いて考えられることであって、その時の私にとってそれはすさまじい衝撃で、絶対に受け入れられないことだった。

 祖母は、自分がしたことに全く気付いていない様子で、私の返事を待っていた。

 柱に取り付けられていた飴色の振り子時計が、沈黙に耐えかねたように、ボーンと一度鳴った。三時半だった。

 返事がないのを怪訝に思ったのだろう、祖母は「アケミ?どうかしたの?」と訊いてきた。

 私は、その場にいることに耐えられなかった。祖母の問いかけを無視して、茶の間を逃げ出した。責めるように叔母の名を呼ぶ声が飛んできたが、何も返さなかった。いや、返さなかったというより、返せなかったという方が正しいだろう。

 

 祖母は足腰が弱っているため、階段を上ることが難しい、というのを私は知っていた。だから私は、二階の自分の部屋に駆け上がった。一人になりたかった。

 部屋の隅にランドセルを放り投げるように置いて、ベッドに倒れこんだ。そして、ひたすら泣いた。

 着ていたパーカーにプリントされていたニコニコマークが、私を嘲笑っているようだった。

 ──お前は、特別じゃなかったんだ。


 母が仕事から帰り、一階に私の姿が見えないことに気づいて呼びに来たとき、私は眠っていた。いつ眠ったのかは覚えていなかった。

 母には、祖母については何も言わずにごまかした。母は呼び間違えられることに慣れているから、きっとこの感情を共有することはできないだろうと思った。それに、祖母の病状について心配させたくなかった。

 私は重い足取りで階段を下り、茶の間に入った。私の姿を見た祖母は、何もなかったかのように「ひろちゃん、おかえり。おみかんむいてあげようか」と言った。おそらく、祖母は先ほどあったことをすでに忘れてしまっていたのだろう。

 その時の私は、祖母と関わりたくなかった。怖かったのだ。

 だから、つい、怒鳴るようなきつい口調で言ってしまった。


「おばあちゃんにやってもらう必要なんかないよ‼」


 本当のことだった。シャンデリアこそ作れないものの、私はとっくに一人で蜜柑をむける歳になっていた。

 一瞬の間の後、祖母は「そうかい、もう大きいもんねえ」と寂しそうな笑みを浮かべ、目を伏せた。

 

 その時の祖母の顔は、今でもありありと目に浮かぶ。


 二日後のことだった。その日は平日で、母は休みだったが、父は会社、私は学校に行っていた。二時間目の国語の授業中、教室の入口に学校の事務員がやって来た。私たちの担任だった若い女性教諭は板書の手を止めて、廊下に出ていった。教室にいた子どもたちは周りの仲間と、口々に勝手な予想を言い合った。もちろん、私もそうだった。

 三十秒ほどで戻ってきた担任は、なんと私の名前を呼び、帰る支度をするようにと言った。教室中の視線が私に集まった。私には全く心当たりがなかったので、「なにかあったの?」といった周りからの問いかけにも首を傾げるしかなかった。荷物をまとめ、訳も分からぬまま事務員に連れていかれたのは、学校の端にある駐車場だった。

 そこで待っていたのは、会社に行っているはずの父だった。その目は赤く腫れていた。私は、父の泣いた顔をその時初めて見た。無性に嫌な予感がした。

 父はいつもより低い声で、短く言った。


「おばあちゃんが、亡くなった」


 その時私の心に湧き起こったのは、驚きや嘆きといったものではなかった。

 それはひどく残酷な確信だった。

 ──ああ、わたしのせいだ。


 祖母は私が学校に行ってしばらくして、台所で倒れた。母がすぐに救急車を呼び、病院へ搬送されたが、間もなく亡くなった。心臓発作だった。というのが、祖母の死について父から聞かされた全てだ。

 父は、弔問に訪れた親戚と、最近の急な冷え込みが祟ったのだろう、と話していた。それでも、私が投げつけたあの言葉が、祖母の急死に無関係であることなどありえない。

 私は、大好きだった祖母を、私の言葉で殺してしまったのだ。


 祖母の葬式は、しめやかに行われた。葬儀会場には、私が知っているよりも若い祖母の遺影が、白と黄色を基調にした豪華な花々に囲まれて飾られていた。遺影の中の祖母は、私が見たことのない、華やかな笑みを浮かべていた。両親や親戚、祖母の友人、昔から付き合いのあった人たちはみな、祖母の死を悼み、涙ぐんでいた。

 けれど、私は泣けなかった。

 

 祖母が亡くなって一年ほど過ぎたころ、私たちの家はリフォームされた。いたるところにガタが来ていたためである。

 私たちの家は様変わりした。ガスコンロはIHになり、風呂場もトイレも真新しくなった。床は畳敷きからフローリングになった。それに伴い、動かなくなっていた振り子時計は取り外された。そして茶の間には、座卓と座布団の代わりにダイニングテーブルと椅子が置かれた。

 それでも冬になると蜜柑は、祖母が亡くなる前と同じように例の菓子鉢に入れられて、テーブルに常備される。

 私は時々それを手に取っては、祖母の手つきを思い出しながらシャンデリアを作ろうとする。

 けれど、大抵白い筋がちぎれてしまって上手くいかない。ごくたまに成功しても、それは祖母の作ってくれたシャンデリアとは似ても似つかないような不恰好なものだ。



 私が、美しいシャンデリアを祖母のように作ることのできる日は、これからも来ないのだろう。

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