4月28日 15:30 オックスフォード・寄宿舎
天宮陽人、間もなく19歳。
高校在学中に高踏高校サッカー部監督となり、高校選手権(冬の高校サッカー)優勝二回、総体優勝に加えて、U17ワールドカップの優勝経験がある。
この春、高踏高校を卒業した後、イギリスに留学しており、来年のオックスフォード大学入学を目指している。
正確には、オックスフォードのクリスタルブリッジ・カレッジで哲学を学ぶことを目指している。
オックスフォード大学とケンブリッジ大学。
イギリスのトップ2と呼ばれるこの大学は、同国の他大学とは若干異なるシステムを有している。カレッジ・システムと呼ばれるものだ。
日本の大学も含めて、通常の大学は大学という組織が全体を管理している。
この両大学は異なっており、内部にカレッジと呼ばれる幾つかの学舎がある。
カレッジはそれぞれがそれぞれの学部を有しており、それぞれが一つの教育機関のとなっている。
カレッジ間でのやりとりがないわけではないが、基本的には学生生活を一つのカレッジの中で過ごすことになる。
こうしたカレッジの総称がオックスフォード大学やケンブリッジ大学となっている。
故に、この両大学に進む者は「オックスフォード大学に行く」とか「ケンブリッジ大学に進学する」とは言わない。「(オックスフォードの)セント・チャーチカレッジでPPEを学ぶ」と言うように、特定のカレッジで学ぶこととなる。
高校2年の時に、オックスフォードに行くことを志した時点ではそうしたことは分かっていなかった。
正確にはオックスフォードという知名度に目がくらんだ両親をはじめとする周囲の働きかけで、目指すことを余儀なくされたと言って良い。
そこから1年かけてオックスフォードのことを調べ、最終的に落ち着いたのがオックスフォードのクリスタルブリッジ・カレッジでの哲学専攻だ。
オックスフォードで哲学というと、哲学そのものよりもPPEの方が有名であろう。
哲学(philosophy)・政治(Politics)・経済(Economics)の3つの総称で、歴代のイギリス首相にはこのコースを学んだ者が数多くいる。
ただし、陽人は政治と経済には興味がない。全くないわけではないが、少なくとも政治家になるつもりはない。
専攻するのは哲学のみである。
監督として必要な学問は何か。
スポーツの各種学術もあるだろうが、監督の地位を3年経験した陽人にとって、もっとも必要なのは哲学だという見地に達した。あとは哲学を具現化するアイディアだ。
他は、他の専門職がいれば何とかなる。
それが常勝チームを作り上げた彼の、彼なりの哲学と言えた。
クリスタルブリッジ・カレッジに進むようにと言われたのは、このカレッジの上層にはコールズヒルFCのファンがいるからだという。
オックスフォードでは、選考にあたって人間的な部分をかなり評価されるし、チューターとなりうる教師との相性も重視される。
将来的にコールズヒルFCを導くかもしれない存在は、他チームのファンからは忌避されるが、同チームのファンからは貴重な存在として見られる可能性が高い。
裏を返すと、他のカレッジは上層がアンフィールドFCであったり、マンチェスター・ユニオンのファンだったりして、見込みが低いということにもなる。
イギリスの大学に入学するためには、まず英語力が十分であることを示す必要があることと、英国の大学相当に学力を示す必要がある。これらを春先までに揃えて、そのうえでパーソナルレターと呼ばれる自己紹介文を大学に提出して、一般試験に臨むこととなる。
ここに合格すれば、年末に面接試験を受け、それを越えれば晴れて翌年からオックスフォードのカレッジに入学だ。
昨年、高校3年の間に合格できれば理想的ではあったが、高校サッカーの監督をしながら他国の大学試験……しかも世界トップ5に入るようなところに合格するというのはさすがに現実的ではない。
元々、陽人にこの道を勧めたコールズヒルFCのマリアーノ・ロッジにしても「まず1年、多少余裕ある状態で過ごして、そこから大学に3年行くのがいいのではないか」と言われている。
ただし、浪人期間といえる時間が1年あるとなると、今度は時間がありすぎるという問題が出てくる。
事実、高校2年から準備していたこともあり、5月には試験に向けたスコアは整ったし、自己紹介文(Personal Statement)も完成している。
「コールズヒルの様子でも見に行くか」
というような考えも起きる。
しかし、サッカーの母国であるイングランドの街に、サッカーで名前をあげた若者がいるとなると周囲が放っておかない。
「ハルト、やることがないのか?」
そう声をかけてきたのは現在、宿泊しているモーテルの所有者だ。50前後のビール腹の男で、大体いつも近くのバーでビールを飲んでいるらしい。
「そうですね。バーミンガムに行って、フットボールの試合でも」
「何を言っている。ここオックスフォードでもフットボールは見られるだろ?」
「オックスフォードで……?」
首を傾げたが、確かにオックスフォードにもサッカークラブは存在している。現在3部のオックスフォード・アスレティックスが有名だが、もう1チーム、4部か5部にいたはずだ。
そのどちらでもなかった。
「いやいや、もっと地元の連中だ。ウチの甥っ子も所属していてな」
聞くと、何と9部にあたるところらしい。
ここまで行くと選手は全員アマチュアで、他に仕事を抱えているか、大学生が趣味で所属しているらしい。
2部や3部だと興味を持ちづらいが、9部まで行くと、逆に興味がある。
(9部まで行くと、どんなサッカーになるんだろう。ひょっとしたら、俺の方がうまかったりして)
陽人は高校1年の時から監督となり、1年時は時々数合わせのために試合に出ていたが、2年以降は選手も増えたため練習にもほぼ参加していない。
技術を含めて選手としての能力はほぼ錆びついているが、いくらイングランドといえども9部まで行けば日本の高校レベルでも対応できるのではないかと考えた。
「分かりました」
だから、興味本位で見に行くことを了承した。
後々、余計なことをするのではなかったと後悔することになるが、この時点では知る由もない。
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