母の面影

水沢朱実

母の面影

朝五時半に目が覚めて、お湯を沸かす。

 リプトンの紅茶を朝には淹れる。

 砂糖はティースプーンに山盛り。

 父のと、私、二人の分だ。


「おはようー」

「お、やってるな」

「お茶、入ってるよ。まだ熱いけど」

「あち、あち」

「だから言ったのに」


 先日、大学時代の友人から、にんじんしりしりを紹介された。

 一回目、千切りには程遠い、長方形に小さじを持っていなかった私は、炒り卵のごときにんじんしりしりの一回目を出来上がり、

「卵の味がする」

と、友人にのたまわった。


二回目の今回、父が、

「やろうか?」

と、声をかけてきた。

「うん、あのね」

 言いかけた私に、閃光のように一つの光景が現れてきた。


「にんじんしりしりー?」

「そうよ。ピーラーで細く切るの」


……母の面影。

 母は、幼い私に、にんじんしりしりを教えてくれたのだ。


「ピーラーじゃなくて、千切りでもいいか?」

「えー? ピーラーでやってよー」

 文句を言う私の、覗き込んだ父の手元は、千切りのお手本のようだった。

 私は諦めた。


「手、切らないでよ」

「お父さんがそんなことをするか」


 ごま油と、小さじ、白ごま。

 一回目のしりしりには欠けていたものを、父と私のタッグで、完成させた。

……いや、白ごまを忘れていた。


目玉焼きとハム、ご飯で朝食の完成。砂糖たっぷりの紅茶を片手に、テーブルに着いた。


「いただきます」

「いただきます」


「?!……美味しいっ」

 にんじんしりしりの味が違う。

 料理は科学だと誰かが言っていたが、小さじで味を正確に計量しただけで、味とはこんなに変わるものなのか。


「お父さん、これ、美味しい」

「ん? ああ」


きっと、自分の千切りのお陰だと、父は思っているに違いない。


「また作ろうね」

「ん? ああ」


 今度は私がにんじんを作ろう。

 母の面影のいっぱい詰まった、思い出のにんじんしりしりで。


 お母さん、うちは今日も美味しい朝ごはんだったよ。


 三本の線香を、部屋の隅に綺麗に立てながら。

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母の面影 水沢朱実 @akemi_mizusawa

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