【短編】羽衣透かすあの空を
春生直
第1話 羽衣という少女
羽衣透かす あの空を──
時は、平安時代。
帝が死んだ。
残されたのは、
ほかに候補がいないので、皇子を帝にするほかない。
宮中では、落胆の声が上がる。
さきの帝の皇后、
宮中にいる時から、
しかし、その兄──
阿呆の皇子に、傲慢な伯父。
腐敗した宮中をどうにかして救ってほしいと、みな思っていたのだ。
☆☆☆☆☆
「いやーっ、もうかった、もうかった」
じゃらじゃらと小銭を数えながら、不揃いな黒髪の飛び跳ねる、精悍な顔をした少年──セイは満足気だった。
彼は天涯孤独だったが、
瀬戸内の海は、だいたい穏やかで暖かい。
今日も一仕事終えたので、のんびり釣りでもしようかと、海辺を歩いていた。
その時のことだった。
「あれは、何だ……?」
何かきらきらと光るものが、浜辺の岩の合間に見える。
おそるおそる近くに寄ると、それは薄い布のようだった。
手に取れば、それは何とも良い匂いがして、縫い目ひとつ無く、輝くばかりの上等な布だ。
「ついてるなあ、これは高値で売れるぞ」
セイは喜んで、その布をくるくると回しながら、
──しかし、彼を呼び止める声があった。
「もし、それを返してください」
水浴びをしていたのか、薄着の女が彼を追いかけてきた。
このあたりの女とは違って、日焼けをしていない白い肌に、傷んでいない緑の黒髪。
花のように美しい女の姿に、セイは口笛を吹く。
「姉ちゃん、ずいぶんべっぴんじゃねえか。
でも、嫌だね。この布はもう、俺のもんだ」
セイは意地悪く、そう言った。
女は必死に懇願する。
「お願いします、返してください。
何でもいたしますから」
何でも、と言われて、セイは考えた。
その手を振り払うには、女はあまりに美しかった。
「何でもって言うんなら、しばらく俺と一緒に暮らしてくれ。
生まれてこのかた、独りぼっちなんだ。
気が済んだら、返してやるよ」
「ああ、ありがとうございます。
返してくれるなら、そういたしますとも」
あまりにすんなりと女が了承したので、セイは変な気分になったが、深く考えないでおいた。
そうして、セイと美しい女は、一緒に暮らすことになった。
☆☆☆☆☆
セイの暮らすあばら家に着いて、彼は女に訊ねた。
「お前さん、名を何と言うんだい?」
すると女は頭を抱えて、苦しみ出した。
「……名前……私の名前……」
うんうんと唸るが、思い出せないようだ。
「わからないわ」
「自分の名前がわからないってのは、変だな」
セイは首を傾げた。
この女は、頭がおかしくなっているんじゃないかしら、と思った。
「何か、覚えているものはないのかい」
女は、一生懸命頭をひねった。
「……も」
「うん? なんだって?」
「はごろ、も。羽衣」
女は、そう繰り返した。
「羽衣か。そりゃ、いい名だ」
そして、セイと羽衣は、夫婦の真似事のように、仲良く暮らした。
あの布のことなんて、もう忘れているかのように、
「なあ羽衣、俺はもう、お前のいない生活なんて、考えられないや。
ずっと一緒にいてくれるね」
「ええ、もちろんよ」
彼らは、小さくも幸福な生活をしていた。
──しかし、その生活は、ある出来事をきっかけに、壊れてしまったのだった。
☆☆☆☆☆
「ごめんください」
あばら屋には似合わない、ずいぶんと立派な着物を着た男が訪ねてきた。
冠まで被って、どこかのお大臣のようだった。
「なんだい、どこのお偉方だい。
金なら、ねえぜ」
税の取り立ての役人かと思ったセイは、やって来た彼を
「いいえ、私は貴方様を害するものではありません。
貴方様を、お迎えに上がりました」
「お迎え?」
彼が自分に向かって丁重な礼をするもんだから、セイは目を丸くした。
「ええ、貴方こそは、さきの帝の第二皇子様なのですから。
私と共に朝廷に出向き、憎き
いきなり訳の分からないことを言われて、セイは閉口する。
「変なことを、言ってんじゃねえや。
おれが帝の子だなんて、そんなはずないだろう」
男は、にやりと笑って、懐から何かを取り出した。
「いいえ、流刑になったさきの皇后様には、腹に帝の子がいたのです。
それこそが、貴方様です。
その証拠に、貴方様であれば、この剣を抜けるはず」
差し出された一振りの見事な長剣は、黒い漆塗りの鞘に収まっていた。
「さあ、この
帝の子。
神剣。
そんな言葉に、セイはなんだか恐ろしくなって、家の外に飛び出した。
「俺を騙そうとしたって、そうはいかないんだからな!」
【短編】羽衣透かすあの空を 春生直 @ikinaosu
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