第二話
いつもより少し遅れて到着した学校。
自然と私の足は重くなる。
一歩一歩踏み出すたびに、嫌な汗が背中に浮かんでいるのを感じた。
校内に入ったら、まずは靴を履き替える。
靴箱は悪戯を仕掛けるのに都合がいい。
だから、どんな嫌がらせをされても良いように、気分を持ち上げようと意識する。
それでも、私は背中を丸くしてしまう。
自身の存在を主張しないように、身体を必死に縮こまらせる。
下駄箱を見たとき、私はホッとした。
今日は何もされていなかったから。
これまでは、押しピンが入れられていたり、ガラス片が入っていたり、ときには蛙の死骸が入れられていることもあった。
(今日は大丈夫、なのかな……)
靴に何もされなかっただけで、油断してはいけない。
そう思っても、気が緩みそうになる。
だが、これまで受けてきたイジメを思い出すと、顔は自然と俯いた。
そそくさと上靴に履き替え、教室に向かう。
私が向かう教室は三階。
一階からゆっくりと階段を上っていく。
一段一段上っていくと、耳元に荒い息が聞こえてくる。
それが自分のものだと気付くのに、時間はかからなかった。
「はぁ……、はぁ……」
ただ、教室に向かうだけ。
それだけなのに、なぜか足は思うように動いてくれない。
私は心の抵抗を無視するように、必死に歩を進めた。
どんどん重くなる身体を無理やり動かしていると、ようやく三階にたどり着いた。
ここまででも私にとっては、一苦労だった。
それでも、教室へと足を進ませる。
周りの人間から異物だと思われないように、自然な足取りを意識して――。
ガラガラっと、教室のドアを開けた。
俯かせていた顔を少しだけ上げ、自身の机を確認する。
そこには、ちゃんと自分の席があった。
だけど、机の上には花瓶が置かれている。
水も入っていない花瓶の中には、彼岸花が入っていた。
そして、机には罵詈雑言が書かれていた。
“死ね”という直接的な言葉から始まり、“尻軽”と言ったような性的な侮辱も書かれていた。
私は心の中で、必死に抵抗する。
(彼岸花には死を意味する花言葉はないし、馬鹿な私以下の言葉でしか侮辱できない低劣な人の言葉なんかで傷つかない……)
傷つかない。
大丈夫。
傷つかない……。
大丈夫……。
私は心中で唱え続ける。
でも、自然と目から溢れてしまうものがある。
自分が傷ついているなんて悟られたくない。
こんなことで、自分の尊厳がなくなったりなんてしない。
例え、同じクラスの人間が私のことを見てクスクス笑っていても。
例え、苦しんでいる私を知りながら無視していても。
(私は大丈夫……。だいじょうぶ……)
必死に、自分を鼓舞した。
でも、私の心は抵抗しきれず、身体は机の前で立ち尽くすだけだった。
それは先生が朝のホームルームに来ても変わらなかった。
何なら、先生すらも私のことを見て見ぬふりをした。
「春夏冬(アキナシ)、早く席につけ。それと、周りに迷惑をかけるな」
冷たい言葉。
冷めた視線。
(何か悪いことをしたのかな、わたし……)
たぶん、私の心は折れている。
本当なら、もう死んでいる。
じゃあ、なんでいまも私が息をしているのか。
それはたぶん、死ぬ勇気がないから……。
誰かが、私の背中をそっと押してくれたら、何の抵抗もせずに、私は死ぬと思う。
(なんで私は生きているんだろう……)
今日も私は顔を俯かせたまま、周囲は何事もなく日常を送っていく――。
午前の授業が終わった。
今から昼食を摂る時間なわけだけど――。
「……」
私の周りには誰もいない。
教室にいる皆は誰かしらと話をしながら、食事を摂っているというのに……。
ただ机に突っ伏して、午後の授業が始まるのを待つのも良いかもしれない。
そんな思考が過ぎるが、この教室に私の居場所はない。
音を出さないように、そっと席を立つ。
そのまま息を潜め、存在感を消すように意識して、教室を出ようとする。
だが、今日の運は痴漢から助けられたことで、尽きてしまったらしい。
「あ?」
教室を出る瞬間、私の目の前の扉が開いた。
正面にいたのは、このクラスのカーストトップの女子。
私がイジメられるきっかけを作った女の子。
「チッ。お前どんだけ面の皮が厚いんだよ。ビッチがよく平気な顔で学校に来れるよね? キショいんだけど?」
好き勝手罵倒する女の子。
そんな仕打ちに対して、私は何も言い返すことが出来なかった。
怖いという感情もあるし、もう抵抗する意味もないという考えもあるし、何より疲れていた。
女の子は、さらに舌打ちをした。
「チッ。どけよ、ブス」
「サラ。そんなのに構う時間がもったいないよ」
「それもそうね」
女の子を前にして、動けない私。
苛立ち、恐怖、悔しい、つらい、寂しい。
いろんな感情で動けない私を、目の前の女の子は平気で突き飛ばしてくる。
「ジャマ」
その一言と共に、女の子は私から視線を外す
サラと呼ばれる女の子とその友達が、私の傍を何食わぬ顔で通っていく。
彼女たちがいなくなったことで、蛇に睨まれた蛙のように動けなかった私は、ようやく身体が動かせることを思い出した。
「……」
私はその場から急いで去った。
向かう場所はいつでも自分の命が絶てる場所。
屋上だ。
屋上でぼぉっと空を眺めながら、ぼんやりと思い出していく。
いまのクラス編成になって始まった一学期は、サラという女の子も周りの女子も優しかった。
でも、彼女が狙っていた男の子の興味が私に向いてしまった。
それからだ。
彼女たちが私に辛く当たるようになったのは……。
まるで三文小説のような、どこにでもありそうな流れで、私は虐められるようになった。
この立場になって最初に思ったことは、こんな物語みたいなことが本当にあるんだ、というものだった。
だけど、そんな余裕もすぐになくなった。
仲が良いと思っていた子に虐められることが思ったよりも心にきた。
「今更、昔のことを思い出しても、どうにもならないのに……」
それでも、私は過去に想いをはせる。
楽しかった時間を頑張って思い出そうとする。
でも、そんな想い出も穢されていく。
ゴミクズのように捨て去りたい両親のようなものたちとの記憶。
簡単に私のことを敵対視するようになった元友達が私にしてきた所業。
「なんで、私生きているのかな……」
こんな最低最悪な人生を今すぐにでも放り出したい。
でも、簡単にそんな選択は出来ない。
勇気がない。
「死ぬのって簡単なようで、難しいんだ……」
呟き、空を見上げる。
視界に入る風景は憎たらしいほど爽やかだった。
「本当に、空は綺麗……。私は穢されているのに……。あぁ、なんて――」
頭にくるほど美しい青。
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